序章 ~05~

「夜になると変貌へんぼうするトリッパーもおります」

「……おまえはくわしいなデライエ」

 ひやりとした声で言われて、デライエはうっ、と言葉にまる。

「……そういえば、ヤトには研究家がいたな。そやつか?」

「あいつは医者です、殿下」

「であるか。しかし、おまえよりも詳しいとみた」

「殿下、お許しを……。あの男は殿下の命令でもそうそう研究室から出てきません……!」

 ほとんど悲鳴のような声をあげるデライエが可哀想になってくる。亜子はそっとシャルルを見上げた。

 シャルルは傲慢ごうまんそうな表情かおをしてはいるが、その瞳がなにかを探るように真剣だ。

(殿下は……知っているのかな?)

 わかっていて、わざとデライエと喋っているとしか思えない。

「ならばこちらから出向けばよい。アガット、立て。余のともをすることを命じる」

 突然のことに護衛兵たちがざわついた。デライエは必死にシャルルを止めている。

「トリッパーは今夜はここで過ごすことになっております、殿下。おやめください」

「なにか起これば自分で身を守れる」

「未知の多い存在を、殿下のそばに置けと!?」

「そうだ。余の寝室に現れた。興味がなければおかしいではないか」

 亜子の手をつかんで無理に立たせる。驚く亜子は彼を見上げた。意地悪そうだが、どこか愉快そうに彼の目は細められていた。

「では行くぞ。なに、今夜中に戻ればことは済む。馬車か、早馬を用意させよ!」

「……あーもー……」

 疲れたように項垂うなだれたデライエの小さな声を、亜子ははっきりと耳にした。なぜこんなにもあの小声がのか、亜子にはわからない。



 馬車に乗せられて、亜子は静かに向かい側に座るシャルルを見る。囚人服のような格好の亜子を一瞥いちべつし、彼は偉そうに足を組んだ。これまた美貌びぼうに似合うほどスタイルのよい体躯につりあう足だ。

「なんだ。不満そうだなアガット」

「……アガットじゃありません。亜子です」

「余のつけた名前では嫌と申すか」

「そ、そうじゃなくて……」

 まじまじと見られて赤面してしまう。頬杖ほおづえをつくシャルルを上目遣いに見遣り、亜子は切り出した。

「どうしてあたしに構うんですか? トリッパーならほかにもいるのではないのですか?」

「……おまえ、阿呆ではないのだな」

「あ、あほ……?」

「第一に」

 シャルルは人差し指を立てた。

「アガット、おまえは余の寝室に出現した。大抵のトリッパーならば、遺跡に姿を現すものだ」

「……そうらしいですね」

「こんな異例はまれだ。それに、余の部屋というのも気になる」

 それはそうだろう。いきなり自分の部屋に見知らぬ人物がいたら……確かに気になるだろう。

「第二に」

 と、中指を今度は立てた。

「おまえはにそれほど変化が出ていない。だがトリッパーは

「それも聞きました」

 その様子見としてあそこに閉じ込められていたのに、シャルルが連れ出したのだ。

 カーテンを閉められている車内で、たった二人でいるのは少々居づらい。だがシャルルは気にした様子はなかった。

「どのようなものか、余は一度見てみたい」

「……興味本位で、ですか」

 今まで聞いた話が本当だったならば、亜子はバケモノになる可能性だってあるのに。

 デライエがかたくなに反対していたというのに、この王子は興味だけで亜子を連れ出したというのだろうか?

「第三に」

 薬指を立ててから、シャルルは腕をおろした。

「トリッパーに関して、余は知らないことが多すぎる。聞き出すいいきっかけだと思った」

「殿下でも、知らないのですか?」

 王子というのは、あらゆる勉学を学ぶことが義務のようなものだと思っていたのだが、違うのか?

 不思議そうにしている亜子に、シャルルは薄く笑う。

「学者どもは、トリッパーをうとんでいるからな」

「? どうして、ですか」

「異界の知識は確かに我が国にとって有益だろう。だが、進歩した世界から来た異邦人どもに牛耳ぎゅうじられるのではという不安もまた、強いのだ」

「…………どうして、ですか。トリッパーの数は少ないと聞きました」

「そうだ。恐れる理由は、トリッパーの『異能』にある」

「異能?」

 亜子が不思議そうにしていると、シャルルはくすりと笑った。

「ああ。個々で違うようだが、能力は様々だという。その能力を使われては、太刀打ちできないと考えたのだろうな。少数でも、脅威としてうつる。

 だから、トリッパーは政府が、帝国が管理している」

「管理……」

「そうだ、管理だ」

 きっぱりとシャルルは言い放つ。彼は足を組み替え、小さくまた笑った。

「アガットはどのような異能が発現するのか……余は興味があるのだ」

「……たいしたものではないと、思います」

「…………」

「な、なんですか?」

 じっと見つめられて亜子は顔に血がのぼる。

「いや……思ったより元気だと思っただけだ」

「!」

 心配、してくれていたのか?

 そう思って驚く亜子は、ますます顔を赤くする。こんな綺麗な男の子に心配されたことなど、人生で一度もない。

 そういえば彼の前で亜子は泣いてしまっていた。思い出すと恥ずかしい。

「あの、殿下」

「なんだ?」

「ありがとうございます」

「…………」

 ふ、と彼は笑った。優しい微笑に亜子の胸がどきんと大きく高鳴った。

「よい。おまえが元気なら、余も嬉しい」

「…………」

 まぶたを閉じてしまったシャルルを、亜子はまじまじと見つめる。

 いま、嬉しい、と言った。空耳ではないはずだ。

(王子様なんだよね、この人)

 それなのにこんなわけのわからない世界から来た自分のことを心配?

「これから行くのはどこなんですか、殿下」

「魔法院だ」

「まほーいん?」

「まぁ簡単に言えば、魔術師を養成する学院だな」

 そんなところがあるのか!

 瞼を閉じたまま、シャルルは少し眠そうにこたえてくれる。

「そこにある男がいる」

「あ、えっと、さっき話題に出ていた人ですか? 研究室にこもっているとかいう……」

「察しがいいな。そう、名前はマーテット=アスラーダ。皇帝直属部隊『ヤト』の軍医だ」

 すらすらと名前を言うシャルルを亜子は驚いてまた見つめる。さっきは名前も知らないような素振りをしていたというのに。

(? どうしてなのかな……)

「ふふっ、アスラーダはおまえのことを気に入ると思うぞ?」

 悪戯っぽく片目を開けて言われて亜子はたじろぐ。

「あいつは気に入った女を見つけると、実験体にしたがる悪癖あくへきがあるからな」

「えっ!」

「…………」

 黙ってにやにやするシャルルを、亜子は困ったように凝視するしかない。

 つまり、彼はマーテットという男に会うことが目的なのだ。亜子はそのためのエサ、なのかもしれない。

 馬車の周囲には、護衛のために馬に乗った護衛兵たちがいる。デライエもきっと一緒にいるのだろう。

 亜子の両腕にはかせがはめられており、手首が固定されて動かせない。何かあったときのためなのだろう。

 枷は重いが、歩いてついて来いと言ったデライエの言葉を思い出すとありがたい状態だった。シャルルが提示した条件をんで徒歩はまぬがれたのだ。

 シャルルはふいに身を乗り出してきた。

「ん? なんだか瞳の色が変わっていないか?」

「え? さ、さあどうでしょう? 鏡がないのでわかりません」

「……まぁ、ここは暗いし、勘違いかもしれぬな」

 亜子は曖昧に笑っていることしかできない。身体に変化が起きているのは、なんとなく気づいていたからだ。

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