序章 ~04~
「徐々にこの世界のことを知っていくわ。一度に教えてもわからないでしょうし」
「……元の世界に戻る方法は?」
「見つかっていないわ」
断言、だった。
「トリッパーたちが地学者をしているのは、帰る方法を探すため、というのもあるらしいの」
*
亜子は診察を終え、なんの病気もないと判断されてさらに違う小さな白い個室に案内された。
窓が一つしかない。まるで囚人の部屋のようだ。
今は夕刻で、差し込んでくるオレンジ色の光だけでそれがわかる。
真っ白で四角い部屋だ。
「……なんか、精神病患者の部屋みたいなイメージだなぁ」
そう苦笑いと共に
ベッドに座り込んだ亜子は、渡された本を見る。日本語で書いてある。これを読めということだろう。
一枚一枚開いていく。先程女医に説明された『バースト・ダウン』のことも載っていた。
簡素なワンピースのような白い衣服を一枚だけ着せられた亜子は、窓から
そこに月が見える。
どくん、と心臓が妙な音をたてた。
「!?」
慌てて胸元をおさえて、戸惑ったように視線を
……なにも、ない?
ほっとして、渡された本に亜子は再び目を通し始めた。
この世界には13歳になると職業を登録するという法律があるらしい。亜子も例に漏れないので、1週間後には登録しなければならない。
トリッパーがなるのは、と職業をめくっていくと、「地学者」という項目が見えた。
(ちがくしゃ……)
各地を巡り、遺跡を巡り、その謎を解明せんとする職業。
亜子にはこれしかないのではないのかと思われた。「道」と呼ぶにはあまりにも粗末なもので、一本道にしか見えない。
傭兵や魔術師など、ゲームなどでよく聞く職業が多い中、聞いたこともないようなものもある。よくわからないので、とりあえず誰かに説明を求めたいが……ここは一人ぼっちだ。
孤独を意識した途端、亜子は泣きそうになって涙腺が緩む。どうして自分がこんなことになっているのか、皆目見当がつかない。
顔を伏せそうになった時、ドアが乱暴に開かれた。バン、という音とともに。
反射的に泣きそうな顔のままそちらを見遣ると、朝に出会った「殿下」が護衛をつけて立っていた。あまりにもきらびやかで、亜子は唖然としてしまう。
彼は室内を見回し、つまらなそうに目を細める。視線がゆっくりと亜子へと定まる。
彼は室内に入ってくると、背後の護衛たちを制して「来るな」とばかりに合図をした。ずかずかと亜子に近づいてくると、彼は偉そうに腰に両手を当てて見下ろしてくる。
「なんだその顔は。余がせっかく会いに来てやったというのに」
「殿下! 時間は……」
「うるさい、黙れ」
冷たく言い放つシャルルに、護衛の兵士たちが渋い表情をしてみせた。どうやら彼は
なぜそこまでするのかわからない。
彼は亜子の持っている薄い冊子を見遣り、「うーむ」と洩らす。
「何に登録するか、決めたのかアガット」
「アガット……?」
「おまえの名だ。余がつけてやっただろう? このままいくと、アーコ=ナガ、などと適当でいい加減で低俗な名をつけられるぞ」
まさか……いくらなんでもないだろうそれは。
「この世界でのトリッパーは希少種だからな。生存を守るために仮の名を与えられる。勿論、本名を名乗ることは以降、許されない」
「そんな……!」
「本当だ。そうであろう、デライエ」
「……はぁ」
面倒そうに応えたのは、朝、亜子を連行した男だ。白い軍服姿の彼は本気で嫌そうな表情をしている。
「ファルシオンの知り合いにおるのであろう、トリッパーが。そやつに証言させればよい」
「……そんなこと言ってましたか?」
「ファルシオンが言っておった」
「……あのクソチビ」
ぼそりとデライエが悪態をついた。
「いくらなんでもファルシオン少尉を呼べませんよ。彼は今、帝都にはいませんからね」
「また嘆願書先に行ったのか。あやつも熱心なものだ」
「感心しないでください、殿下」
ほとほと困ったように言うので、亜子はなんだか彼に同情してしまう。
「我々は皇帝直属の部下なんですよ!? ファルシオン少尉の行動はそれを逸しています」
「ではやつを軍務から外せばよい」
「できるわけないでしょう!」
「なら文句を言うな。文句を言うのは子供でもできる」
さらりと告げたシャルルは亜子に向きなおった。やはりこの淡い夕陽の中でさえ、神々しいほどに美しい。
なにを言われるのだろうかと身構えた亜子は、彼がじっとこちらの手元を覗き込んできたのに驚いた。
「あと一週間は猶予がある。それほど急いで決めずともよいぞ」
「あ、あの、シャルル……殿下」
「ん?」
さん、と呼んだ時よりも対応は柔和な気がする。
(そっか……やっぱり王子様なんだよね。ちゃんと対応しなくちゃ。失礼なことをしたら大変だもん)
「トリッパーについて、もっと知りたいんですけど……どうしたらいいのでしょうか? 不慣れなので、誰に訊けばいいのかわからないのです」
殊勝な態度でそう言うと、シャルルはじっとこちらを凝視して、にやっと笑った。ぎょっとする亜子は瞬きをする。
(な、なにその意地悪な笑顔……! な、なになに? 変なこと言ったかな、あたし)
彼は顎に手を遣り、神妙にドアのところにいるデライエを見た。見つめられた彼のほうは居心地の悪さを感じていることだろう。
「デライエ、ファルシオンを呼び戻せ」
「無理です! 今はルーデンの真反対にある、ウェドカにいます。弾丸ライナーでこちらに戻ってきている最中だと報告は受けていますが」
「いつ戻るかわからない、か。あやつは気紛れを起こすからな」
平然と言ってのける王子にデライエは何度も
「……ふーむ。だが余も知っている知識は少ない。王宮の図書館か、魔法院の図書館になら資料はあるだろう? なあ、デライエ」
そう呼びかけられた彼は、一気に青ざめた。
「殿下! トリッパーを傍に置くのはおやめください!」
「なぜだ」
「害を及ぼす可能性が高いからです!」
はっきりと言い放たれ、亜子は怪訝そうにするしかない。自分のような非力な少女が、この王子になにかできるとは思えなかった。
「トリッパーは精神と肉体に『必ず』影響が出ているのです。危うい存在を、殿下に近づけさせるわけにはまいりません!」
「アガット」
呼ばれ、亜子はシャルルのほうを見遣った。青緑の不思議な色の瞳は、夕焼け色の光を反射している。美しい金色の髪がさらりと揺れた。
(綺麗……)
朝も思ったが、亜子は彼ほど美しい人を知らない。胸がときめくのも仕方がなかった。
「なんだ……? 余に見惚れておるのか?」
「えっ」
ずばり心中を言い当てられ、亜子は羞恥に耳まで赤くなる。シャルルはうんうんと頷き、満足そうに流し目を
「アガットも余の
「あ、あの、そ、そんなことは……」
「しかし……今晩何もなければ職業登録までは監視つきで下町に滞在させるのであろう? 可哀想ではないか」
「下町とはいえ、それほど危険のない区域です、殿下」
「どう見ても、アガットになんら恐怖は
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