【2】守衛のりんさん

 黒ずくめの男達の襲撃してきた理由は今のところ不明だが、恐らく今一番最初に狙われるのは、この大神殿内で一番権力と情報を握っている大神官であろう。そう思い、俺は真っ先に大神官が逃げ込みそうな場所を捜索することにする。捜索する間に救出を待っている人がいれば、彼らも同時に救えると思ったからでもある。


 昔から本を読んだり勉強するのは大の苦手であったが、だからと言って考えることが不得手なのではない。遊びを兼ねた隠れんぼや宝探し、救出作戦などは実は誰よりも得意だったりする。大神殿始まって以来の天才と呼ばれたライよりも、俺の方が勝率をあげていたくらいだ。


 なので、この捜索活動もこんな状況では考えられないほどに、得も言われぬ高揚感を覚えていた。本来ならば一番大切な親友を捕らえられて、絶望感に打ちひしがられるものなのかもしれないが。


 大神官が普段寝る場所は何ヶ所かあり、大神官本人曰く、それはひとつの寝室で寝ていては不都合がある…という理由らしい。今思えば、敵の夜襲やしゅうから逃れるためだったのかと、不思議と納得がいく。とは言え、俺の知る限り大神殿が何者かに襲われた記憶もないし、記録にも残ってはいない。


 一番最初に、反省塔からほど近い、西側居住区にある立入禁止区域へと向かう。付近は焦げ臭くはあったが、火の手はまだそれほど広がっていない。そこの3階奥の部屋に、よく大神官はいたはずだ…と、居住区入口に向かおうとしたところで、奥から人の駆けてくる足音がいくつも聞こえる。


 俺はサッと反対側の壁まで走り、物陰に隠れる。すると、居住区の立入禁止区域から出てきた黒いフードの男が “ここはもぬけの殻だ。火を放て” と言う声が聞こえる。一足遅かったようだが、ここにいた人達は逃げ延びたのだと、ホッと安堵あんどのため息をつく。


《神殿のみんなも、大神官様も捕まってなくて良かった。とりあえず、この場から離れて、すぐにでも大神官様が居そうな場所を当たらないとなぁ…人の気配の少なそうな場所は………》


 次々と立入禁止区域から出てくる黒いフードの男達が、1人…2人…20人ほどの声がボッと炎が上がる音と共に歓声を上げ、炎を満足げに見ている。その隙に、俺は次に大神官の潜伏していそうな場所へと移動することにする。


ーーーーー96ーーーーー


 次に入口から右手に行った場所、南東方向にある守衛の宿舎に向かう。ここは行く前から予想するべきであったが、火の気も人気ひとけもないのをラッキーだと、すっかり油断してしまっていた。


 宿舎の入口に到着すると、何か言い知れぬ違和感を覚える。違和感というよりは、いだことのない臭いというべきか。鼻をつーんと刺すような刺激臭と、吐き気をもよおす不快感が全身を襲う。近づけば近づくほどその不快感は増し、手足が震え始める。乱暴に壊された入口の扉を退け、異様な気配がする中に、ゆっくりと進むと…


 そこは、赤よりも赤い赤だった。


 チカチカと薄明かりが点滅している室内は、照らされる度に中の様子を映し出す。


 最初の明かりでは、一面真っ赤に塗り替えられた壁が目に入る。


 次に、血の気も肉感も失った何かの残骸ざんがいが目に入る。


 そして、家具が散乱した室内。そこに折り重なるようにして積まれた何かの上に、1人の男性がうつむいて座っているのが目が止まる。俯いて顔は見えなくても、特徴的な赤いりんごのような髪の毛で分かる。いつも出かけるときに、笑顔で送り出してくれる制服を着た若い男性がいた。


「りんさん…………?」


 呼びかけても返事はない。もしかしたら、意識を失っているのかも!?そんな淡いありもしない期待をしてしまったのが、俺の未熟さだろう。


 俺は躊躇ちゅうちょなくりんさんに近づくと、肩を揺する。反応はない…と、カク…カク…と首が動き出し…俯いた首がゆっくりと下がっていき…


ゴトリ………


 足元に首が転がり落ち、思わず避けてしまう。俺はあまりの光景に、何が起きたのかすぐには理解できなかった。地面に落ちた首に、5回…6回…照明が当たったところでようやく何が起きたのかが分かった。


 この室内にいるりんさんを含め、全員が人形のようにバラバラにされ、無惨に打ち捨てられているのだと。


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「う…うぅ………」


 恐ろしい事実に気づかされたとき、どれだけの人が冷静でいられるのだろう。


 どれだけの人が正気を保っていられるのだろう。少なくとも俺は、かなりの少数派なのだと思う。


 これだけの光景を目の当たりにしながらも、思わず口から出かかった叫びを抑え込むことができたのだから。もしこの場で叫び声を上げたのならば、すぐにでも追っ手が迫り、呆気なく捕まっていたことだろう。これでは、せっかく逃がしてくれたライに申し訳が立たない。


 それでも、その場に居続けることなどできなかった。


 俺は何とか口から出かかる嗚咽おえつを口の中で封じ込めると、その場から駆け出していた。その先に敵がいようとも、味方がいようとも、お構いなく全速力で駆ける俺の勢いを止めたのは、偶然にも曲がり角を曲がってすぐ、出会い頭にぶつかった少女だった。


「いっ………た…!」


「………っ!!」


 真っ先に声を発したのは、黒いよそ行きの礼装を身にまとったエレナだった。


「ライ…じゃなく、リヒト?」


 思いがけなく冷静なエレナは、すっくと立ち上がると衣服についた砂埃すなぼこりはたきながら、いつものようににらみつけてくる。その様子が、動揺した俺の心を不思議と落ち着かせてくれた。


ーーーーー98ーーーーー


「エレナ。お前、無事だったんだな。良かった…」


「こんなところで、何してるの?大神官様は?」


 エレナは落とした松明たいまつを拾い上げると、不思議そうに俺の顔を下から覗き込む。人形のように光るガラス玉のような瞳が、俺を見上げてくる。


「大神官様は、俺も探しているところだ。それより、ライが黒ずくめの男達に捕まった!」


「ああ…それはさっき私も見た。本殿の方角に連れて行かれたみたい」


「みたいって…!?お前、エレナ…何でそんなに冷静なんだよ!?ライだぞ!!?」


「冷静?ああ…そっか…」


 エレナは何かを思い出したように、せっかく拾った松明を落とすと、今度は顔を覆ってしまった。そして、せきを切ったように激しく嗚咽を上げ始めた。


「冷静…な…はず…ないじゃな…い…ひっく…これでも…1人で耐えてた…んだから…っ」


「エレナ…わるい…俺が悪かったよ…」


「ひどい…ひどいよ…リヒト…うわぁぁぁ」


「ちょ…っ。ここでそんなに大声上げたら、誰かが聞きつけてしまう。ちょっとこっち来い」


 エレナの腕を掴み、今いるひらけた場所から、少しでも身を隠せる場所に移動しようとしたとき…


 とてつもなく強い力でグンと引っ張られ、思わずその場でよろけてしまう。振り返ろうとしたとき、その動きを完全に封じるように、背後から何かが抱きついてくる。


ーーーーー99ーーーーー


「エレ…ナ???お前なにー」


「ねえ、リヒト。私を守ってよ。みんなはもうダメだと思う。このまま一緒に逃げましょう」


「はぁ!??お前、何言ってんの?ライも生きてるし、大神官様もまだ生きてるかもしれない。それに他の人だってー」


「分かった。そうよね。じゃあ、 “赤いたま” のある場所に行きましょう。きっと、助けになると思うから」


「赤い…?お前何言って…おかしいぞ!?」


 強い力でしがみついてくるエレナをひじで跳ね除けると、エレナはよろよろとその場で座り込んでしまった。


「ごめん。怖すぎておかしくなっちゃったみたい」


「こういう時こそ、何も考えずに行動!ライがいつも言ってただろう?」


「………?そうね。大神官様を探しに行きましょう」


「うん。今は2人で力を合わせて、大神官様と他の人達を探そう」


 そうして、自分にも言い聞かせるように


「大丈夫だ。大丈夫。きっと、みんな無事だよ」


うなずくと、不思議と力が内側からみなぎってくる。俺はエレナの前に手を差し出し、彼女を立ち上がらせると、地面に落とした松明の火を消した。


「松明の火は敵に見られたら危ない。火がなくても、目が慣れてくれば見えるよ」


「うん…」


 繋いだエレナの手はひどく冷たく、さぞかし1人で怖い思いをしていたのだろうと思われた。


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