【第3章1】エレナと白い髪飾り

 その日俺を起こしてきたのは、驚くべきことにエレナであった。


 乱暴に反省塔の扉を開けてくるもんだから、その音で目が覚めたくらいである。


「ほら。これ着替え。今日はこれ着て1日過ごせって、大神官様が言ってたわよ」


 そう言うと、ますます乱暴に着替えの衣装である白い礼服をベッドの上に投げてよこす。


「エレナ!お前。いつも以上に扱いひどいぞ」


「うっさいわね。なんか朝からイライラすんのよ。やたら眠いし」


「あ、眠いって。お前、昨日夜中に外を出歩いてただろう?あんな夜遅くなにやってたんだよ?ってか、暗い場所怖いって言ってたの嘘だったのか?」


「え?それ、ライお兄ちゃんにも同じこと聞かれたけど、大神殿戻って来てから、一度も部屋から出てないわよ」


「じゃ、夢遊病とかじゃないの?それか、暗闇怖いって言っとけば、ライに女の子扱いしてもらえると思ってー」


「はぁ!?本当にリヒトってむかつく。ほんと、ありえないから!」


「冗談だって。怒るなよー。で、ライはどうした?」


「知らないわよ。先に大神官様のところに行ったんじゃないの?呼びに行ったら、すぐに部屋から出て行っちゃうし…ったく、感じ悪い」


ーーーーー73ーーーーー


 俺はかすかに違和感を覚える。なにかがおかしい。あれだけライになついているエレナが、ライをこんな風に言い表すなんて、どう考えてもおかしい。


「エレナ?お前、今日変じゃー」


「ああ、待った。リヒトとくだらない会話してる場合じゃなかったわ。今9時だけど、9時半にはお父様の使節団がこちらにいらっしゃるから、すぐに着替えて大神官様の執務室に行くようにって。大至急ね。はい、よーいスタート」


 エレナの様子に違和感は残るものの、時間もないし忙しさもあり、結局何も追及できないまま着替えを済ませ、執務室へと急いだ。



「もういいです!失礼!」


 執務室のドアを叩こうとしたとき、中から若い男の怒鳴る声が聞こえてくる。思わず叩く手を引っ込めようとしたとき、


バァァァァン


とドアが勢いよく開き、俺はその場で尻餅をつく。


「なんだ。お前か。何の用だ?」


 中から出てきた若い男に、出会い頭睨みつけられる。3ヶ月ぶりに見るシュナウザー神官だ。眼鏡の奥の目が、心なしか怒りとさげすみに満ちている気がする。


「あー。シュナウザーよ。そやつは私が呼んだのじゃ」


「そうですか。大神官は、こいつ(リヒト)を特別扱いしすぎです」


 そう言って、シュナウザー神官は俺を一瞥いちべつすると、真紅のローブをはたいて執務室を後にした。


ーーーーー74ーーーーー


「リヒトよ。突然の呼び出し、すまなかったの」


 執務室に入ると、珍しく大神官の部屋が散らかっていた。大神官自体も取り乱したのか、立ち上がり、机に手をついてようやく息を整えているところだった。室内は書類や本などが散乱し、綺麗好きな大神官にしてはありえない室内の状態に、俺は思わず


「これは、どうしたんですか!?シュナウザー神官が何かしたんですか?」


と大神官に詰め寄ってしまう。しかし、そこは年の功なのか、大人の余裕なのか。大神官はロングローブをひらりとひるがえすと、何事もなかったかのように革張りの大きな椅子に着席する。


「シュナウザーには用事を頼んでおったのだが、逆に用事を頼まれてきたようでの。私とは意見が食い違ってしまったようじゃ。なあに。お主が気に病むことではない」


「そうですか…」


「そんなことより、お主に急ぎの用があるんじゃ。今から使節団がこちらに参られる。あちら様たっての希望で、お主とライの2人に案内を頼みたいそうなのじゃが…よろしいな?」


「分かりました。えと…案内って?どこを案内すればいいんです?」


「内容は全てライの方に知らせてある。私としてはお主が案内役に適してるとは到底思えぬから反対なのじゃが、あちら様がどうしてもとおっしゃるので仕方がない。お主は、おとなしくしておれば良い。くれぐれも粗相そそうのないように」


「大丈夫です。ちゃんと役目くらいこなしますから」


「お主はお調子者だから、どうにも心配なんじゃ。それから、ライは門の補修に向かっておるが、お主には別の役割を申し付ける」


「門?どうかしたんです!?」


「昨夜、門が壊されたらしく…まあ、それはお主には関係のないことじゃ」


ーーーーー75ーーーーー


 そう言うと、大神官は机の下のスイッチを押す。すると、部屋の奥の隠し扉が開き、中にある金庫から黒い箱を取り出す。昨日、生地屋で受け取って来たあの黒い箱である。


「これは、お主にしか頼めぬ。龍神像は分かるな?あの像の手にある龍珠リュージュを、この中にある布で覆ってきて欲しいのじゃ。使節団が来るより先に、済ませてくれ。よいか?必ず使節団が来るより先に終わらせるのじゃぞ?」


「えと…ただ覆ってくればいいんですね?」


「そうじゃ。ただし、龍珠には直接は触れてはならぬ。お主はすでに知っておるじゃろうが…くれぐれも…いや、お主は心配には及ばぬか」


「大丈夫です。心得てますから」


「それと………この事は他言無用じゃからな」


 黒い箱を手渡されると、心なしか昨日よりも軽い気がする。しかし、気にしているいとまもなく、大神官に “早く行け” とばかりに手でシッシと部屋の外へと追いやられる。執務室のドアを閉める瞬間、大神官の


「しかし、なぜこうもタイミングよく…」


と、悔しさをにじませた声が聞こえた気がした。


ーーーーー76ーーーーー


 本殿3階にある執務室からほど近い裏の隠し階段から降りて、俺は龍神像をまつる円形堂へと向かう。


 地下にある円形堂へ向かう道は2つしかなく、1つは執務室を経由して裏の隠し階段から直接向かう方法。もう1つは、誰も立ち入らない下水道の先にある鍵付きの水門から中に入る方法である。この水門を開けてしまうと、下水が敷地内にあふれてしまうために、誰も利用する者はいないし、その存在を知る者も当然数人しかいない。大神官、大神官の信頼する側近2名と俺だけである。


 時間もすでに9時15分を回り、使節団の訪問時間が迫っている。俺は円形堂に入るとすぐに黒い箱を開け、中から手触りの良い真紅の布を取り出す。


 そう言えば、前日に黒い箱から飛び出した “なにか” はどうしたのだろう?と、一瞬頭をよぎるが、龍神像に近づいた瞬間、すっかりそのことは頭から抜け落ちてしまった。


“何か” が見ている。


 そう思った。いるはずのない存在に、あるはずのない視線。円形堂には自分しかいないのに、まるで姿の見えない何者かが、背後から自分と龍神像とを重ねるようにして見ているのだ。その視線は熱いでもなく、冷たいのでもなく、ただありのままの事象を観察しているだけの監視者のような…生地屋で感じた違和感そのものであった。


《と…とりあえず、布掛けないと…》


 普段通り、赤く鈍く光る龍珠を直視しないように近づき、真紅の布をサッと掛ける。ファサっという軽やかな音と、思わず出た安堵のため息の音とがシンクロする。 しかし、その時ー


ーーーーー77ーーーーー


カタ………


という何かが落ちた音がかすかに背後から聞こえ、そのすぐ直後、


パタタタタタタ………


と、何かが駆けていく音が遠ざかっていく。


「だ!誰だ!?」


 背後を振り返り呼びかけるも、足音も遠ざかっているのだから、当然返事などあるはずもない。それよりも、このままでは足音さえも聞こえなくなり見失ってしまう。龍神像にきっちり真紅の布が掛かっていることを確認すると、円形堂の扉に向かって走り出した。


 扉を出たところで階段のある曲がり角を、一瞬だけ人影が映った気がしたが、すでに階段を登る音が聞こえ、俺も全速力で追うことにする。しかし、第一歩を踏み出したところで、足の裏に鋭い痛みを感じ、あまりの痛みにその場でしゃがみこむ。


「いってぇぇぇ!なんだ、こ…………!?」


 痛みの原因を探ろうと、足を持ち上げて確認すると…靴の裏に薄汚れた白い花びらがぴったりと貼り付いていた。生花を乾燥させて手間暇かけて作られた花は、相当器用な人物じゃないと作れない。これは、間違いなくライが作ったものである。少しつぶれてはいるが、それはあの白い花の髪飾りであった。ライが先日エレナにプレゼントしていたものが、なぜか自分の靴の裏に刺さっていた。


ーーーーー78ーーーーー

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