【3】赤い龍

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{………おい。おい、人間の小僧}


 生温かい感触に包まれ、俺はハッと目を覚ます。


 目を開けると、目の前が真っ赤に燃えていた。眼に映るものがすべて赤、赤、赤!すぐに逃げないといけないのに、体が何かに縛り付けられたように固まり、身動きひとつできない。


「う、うわぁぁぁぁ!!!」


{うが!}


 大きく叫び声を上げると、体を押さえつけていた何かの力がフッと抜け、その勢いのまま腕を振り上げる。すると、視界に映っていた赤は消え、蜘蛛の巣の張る薄汚れた天井へと変わる。


「なんだ…気のせいか」


{おい!小僧!いや、馬鹿力が!私を突き飛ばしておいで、気のせいか~はないだろう?}


「へ…?」


 俺はベッドから起き上がり、部屋のあちこちを見回す。照明のない真っ暗な室内には相変わらず光源が少なかったが、その中で一際輝く2つの赤い珠を部屋の隅に見つける。


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 その瞳は、赤く燃えるような輝きを放ちながら、まっすぐ暗闇から見つめてくる。赤い透明度が高いガラス玉の中央に、細かく光る黄金色の一等星を散りばめた宝石のようにまたたいている。目の中の光源を見ていると、自分の魂ごと瞳に吸い込まれてしまいそうな、不思議な引力がある。


{…ガキが…思い切り突き飛ばしおって…}


「君は、昨日の赤い龍…さん?」


{小僧、お前な…その前に言うことがあるだろうが!}


「あ…そっか。突き飛ばしてごめん」


 俺はベッドから起きあがると、赤い2つの瞳に向かってお辞儀をする。あまりにも呆気なく謝罪の言葉が聞けたことが、赤い竜にはよほど驚きだったのだろう。赤い瞳の中のまばゆく光る瞳孔どうこうが小さくなり、その驚き具合が目だけで分かるほどだった。


{ふん。別に人間ごとき、痛くもないんだがな}


「そっかぁ。君に怪我がなくて良かった」


{……はい?私と小僧では、この体格差だぞ?}


「いきなり突き飛ばしてしまったし、君に怪我があったら、ごめんじゃ済まないでしょう?俺は龍さんの怪我なんて治せるわけもないし」


{……………お前、行動が読めないやつだな}


「そうかなぁ?ライには分かりやすいとかよく言われるんだけど。あ、そんなことより!大変なんだ!神殿が燃えてるんだよ!」


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 ベッドから勢いよく起き出すと、転びそうになりながら扉に飛びついてガチャガチャと鍵を回す。当然ながら、鍵のかかった扉が開くはずもない。


「ああ、やっぱり開いてないか。みんな起きてくれ!大変なんだ!火事なんだよ!起きて逃げないとー」


{火事?}


「そうだよ、大火事だよ!ほら、龍さんも早く逃げないと!」


{どこが火事だって?}


「だから、大神殿が真っ赤に燃えて、外は煙でもくもく…って…あれ?」


 振り返り3mの高さのある窓を見上げても、真っ黒い煙どころか、焦げくさい臭いのひとつもしない。綺麗な星が雲ひとつない空に浮かんでいる。


{私の知る限り、火事なぞないし、小僧はベッドにずっと横になっておったぞ。大方、夢でも見てたのだろう}


「あれれ。夢だったのかぁ…やけにリアルで変な夢だったなぁ」


{人間は大体変な夢ばかり見るものだろう。菓子屋になりたいだとか、花屋だとか…花屋なんぞ、人間が自然に成ってる花を勝手に売ってるだけであろう。人間が好き勝手にしていいものじゃないー}


「いや、それ違う種類の夢!龍さん、俺をからかってるでしょ?」


{さあ、どうだかね。そんなことより、小僧。その目はどうした?}


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「へ?」


{少しも自覚がないのだな。ほら、私の目に映る自分の姿を見てみるが良い}


 赤い瞳はそう言うと、ゆっくりと近づいてくる。窓から射し込むわずかな光に照らされ、黒いもやに隠れていた体が少しずつ明らかになる。身の丈は高さ2mほど、全長は約3m。長い尻尾は全長と同じくらいの長さがあるため、狭い反省塔(15畳=約27㎡)の室内で尻尾を体に巻きつけるようにして、いかにも窮屈そうに見える。


 その体は見たこともない形状をしており、体の表面は魚のうろこのようなものが見える。近づくにつれ、龍の口からはハアハアと激しい息遣いが聞こえ、顔が俺の目の前に来たとき、その口元がニヤリと笑う。すると、口元からギラリと光る巨大なきばが覗いているではないか。俺はその牙の鋭さに


「え…なんか怖いんだけど。噛まない…?」


と、思わず後ずさりする。とは言え、狭い室内逃げ場などほとんどないのだが。


{今のお前を食うほど、私は落ちぶれてはいない。安心しろ、小僧}


「本当に?」


{くどい!いいから、消える前に見ないか!}


 龍はもたついている俺に苛立いらだちを覚えたのか、ただでさえ大きな目をさらに見開き、にらみつけてくる。これ以上、自分より遥かに巨大な生き物を怒らせてはたまらないので、観念して赤い瞳を覗き込んでみると…


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 そこには…


 赤い龍とそっくりな瞳を持つ男…変わり果てた俺の姿が映っていた。


「うわぁぁぁ!なんだこれ!?」


{おい、小僧!落ち着け!そんなに大声を出すと、隣にいるさとい人間に気づかれるだろう!せっかく、私が結界を張っているというのに…}


「そんなこと言っても!目だけじゃなく、俺の髪!!!髪の色まで変わってるじゃないか!!!」


 そうなのだ。重苦しい真っ黒だったはずの髪の毛が、今や銀色に光り輝いている。そうかと思えば、夕暮れよりも真っ赤に染まったり、また黒髪に戻ったり…角度によって色が変化するカレイドスコープのように、くるくると色が変化していく。


「なんで…なんでこんなことに…ちょっと龍さん!早く治してよ!」


{無茶言うな。私も人間の仕組みなぞ知らぬ。そもそも、髪の色が変わるのがそんなに珍しいこととは思わないが?}


 赤い龍はそう言うと、真紅しんくに染まっていた体表を、一瞬にして真っ黒に染める。


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{ほら、お前の要望通り、黒髪に戻ったようだぞ}


 先ほどまで銀色に輝いていた髪の毛は、すっかり元通りの黒色に戻り、瞳の色もいつも通りの薄茶色の色味に戻っていた。


「あれ…もう戻っちゃった。なんだ、つまんないの」


{お前…戻してって言ったそばから、それか}


「いやぁ、だって。見慣れたらなかなか珍しいし、かっこいいかなと♪」


{人間ってやつはこんなに現金なものなのか…?}


「さぁ?よくライには “順応力高すぎ。リヒトならどこでもやっていけそう” とは言われるよ」


{そのライとやらのことだが…お前に伝えておかねばなるまい。あの者にはあまり………}


 龍は何かを言いかけたところで、赤く光っていた瞳をギラリと光らせ、瞳を黄金色へと変化させると


{そろそろ行かねばなるまい。おい、小僧。くれぐれも私の存在をらすではないぞ。もちろん、ライとやらにもだ}


と言い残すと、一瞬にしてその姿を消してしまった。


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 龍と入れ替わりにして、頭の中に別の声が響いてくる。ライだ。


『リヒト?良かった。やっと繋がった。さっきからずっと通信を試みてたんだけど、リヒトに繋がらないから心配したよ』


《あ、ごめん。寝てたみたい》


 俺はとっさに嘘をつく。いや、確かに龍と会う前までは寝ていたので、あながち嘘ではないのだが。


『ところで、大変なことが分かった。明日、この大神殿にエレナの父親の率いる使節団が来るらしい』


《え!?珍しいよね?4年間も音沙汰おとさたなかったのに、やっと娘の顔を見に来るんだろうか?》


『いや…話はそう単純ではないみたいだ。どうにも目的は緘口令かんこうれいが敷かれてるらしく、神官の誰も話してはいないから分からない。あるいは、神官達にも使節団の目的は知らされていないのかもしれないね。大神殿全体にピリピリとした空気が漂っているのは間違いないようだよ』


《なんだ、それ。エレナの父親って、確か名のある貴族なんだよね?その父親が、娘の顔を見に来るでもなく、別の目的だけで来るって…薄情すぎやしない?》


『俺も詳しくは聞いてない。というより、エレナ自身も父親についてはあまり知らされていないらしく、どんな人物かは顔くらいしか分からないらしいし…』


 そう言うと、ライは通信でも分かるほどに大きくため息をつく。そして


『どちらにせよ、俺達がこの反省塔から解放される予定はなさそうだ』


と言い残すと、“もう夜も遅い。今のうちに寝ておこう。続きは明日にね” と一方的に通信を切ってしまった。


 その数時間後に、予想外の出来事が起こるとは夢にも思わず、俺達はつかの間の夢の世界へといざなわれていった。


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