【2】赤い夢

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 辺りは見渡す限りの黒、黒よりも黒い闇に落とされたような空間に立っている。


 真っ暗な巨大な空間に、黒いすみを落としたような漆黒しっこくの空。


 地は地で、どこからが大地でどこからが空かを悟らせないように、境界線が見えないほどに黒い。


 視覚も聴覚も刺激するようなものは何ひとつない。


 月も星も、光も音もない空間に、どうやら落とされたようだ。


 と…しばらくすると、その闇の中、彼方此方あちらこちらで小さな明かりがともる。ポッ、ポッと何かが小さく跳ねるような動作をしながら、その明かりは1つ、2つ…と増えていき、気づけば漆黒の空間だったはずが、あたり一帯が明るく茜色あかねいろに照らされ始める。空に散らばる星々が、地に降り注ぎ光を放っているようだ。


 乾いた空気が風に乗って、ほほに生暖かい感触を届けてくる。その風が次第に勢いを増し、心なしかチリチリとした痛みを頬や腕に感じる。


 1つ1つが小さかった明かりは、それぞれがゆっくりと確実に成長していき、さらにお互いが求め合うように融合していく。そしてひとつの巨大な明かりとなったとき、ようやくある事実に気づくのだ。


「あれは…火!?火事!!?しかもここは…大神殿?」


ーーーーー58ーーーーー


 その言葉を合図に、静寂に包まれていた空間に音がよみがえる。


 大神殿の建物の東側を始め、至る所から炎が上がっている。明かりだと思っていた炎は、みるみるうちに燃え広がっていき、時折強烈な破裂音を響かせると、ますます勢いを増していく。そのバチバチと鳴る炎の隙間から、見たこともない黒いフード付きの外套がいとうに身を包んだ人が、数人 あわてて走り出してきた。その者達はボソボソと声を発しているが、何を話しているのかはまでは、距離が遠く聞き取れない。そして、ボソボソと声が聞こえるたびに、さらに炎は大きく燃え上がり、今ではすっかり敷地内にある建物全てを覆うように、紅蓮ぐれんの炎が上がっている。


 なぜだか、その炎はひどく美しい。灼熱しゃくねつの暑さを感じるのに、少しも現実味の湧いてこない紅蓮の風景を、ただ目だけが追うように魅入ってしまう。どちらにせよ、体はすっかり力が抜けたように微動だにしない。


 不思議な光景をしばらく眺めていると、不意に誰かが自分を呼びかける声がし、俺はハッと気づく。ほうけていた時には気づかなかったが、遠くからは大勢の人の叫び声が、目の端々に逃げ惑う人々が映り込む。その中でも、一際高い場所にある中央本殿の屋上に、濃紺のナイトガウンと三角帽子が見える。あの派手な三角帽は大神官に違いない。


《ボーっとしている場合じゃない!早く助けに行かないと!》


 足元を見ると、大神殿の中央本殿がよく見える反省塔の屋上、鐘撞堂のすぐ真横に自分が立っているのだと分かる。かろうじて鐘撞堂には飛び火していないが、ここに火の手が来るのが時間の問題だろう。それに…


《ここからだと…中央階段を降りるより、隣の低い屋根を伝っていくほうが早いな》


ーーーーー59ーーーーー


 そう思い、北側に方向転換をしようと左足を一歩前に踏み出そうとしたところで、さらなる異変に気付く。足が動かないどころか、振り出そうとした手にも力が入らず、ただ意識だけが屋根を伝い、中央本殿へと移動しようとする。


《なぜだ…足が…動か…ないっ!?》


 すぐにでも駆け出したいのに、足が鉛のように重く、一歩も踏み出せない。確かに足の裏に地面の感触を感じるのに、体は金縛りにあったように動かない。


 そうこうしている間にも、東棟の大火が3階建ての中央神殿の3階まで到達し、ついには敷地内全部に火が燃え広がってしまった。今では、燃えていない場所は、自分のいる反省塔だけになってしまった。


 眼に映るもの全てが灼熱の炎に包まれ、赤い宝石よりもまばゆ煌々こうこうと照らされている。


 鼻をついてくるのは、黒煙の焼け焦げたような臭いと、なにかが腐った時に放つえた臭い。


 このままでは、大神殿にいる全員が焼けてしまう。全てが灰となって消えてしまう、人も生き物も…自分のいるべき場所全てが。


《頼む…動いてくれ!お願いだ》


 祈るように目をつぶると、再び何者かが自分を呼びかけて来る声がする。その声に傾聴していると、フッと自分を押さえつけていた力が抜け、勢い余って鐘撞堂の屋上から転がり落ち…


 黙々と立ち上る煙の中に落ちていった………


ーーーーー60ーーーーー

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