【5】夜のアインツベルグ

 この鐘の音色を合図に、本屋の店主が言っていた通り、街の様子が一変する。


 黄昏時たそがれどき茜色あかねいろに染まっていた空は、一瞬で漆黒しっこくの闇に染まり、そこに無数の明るい火花が飛び散る。


煌々こうこうと光る照明が、そこかしこに浮かび、あたかもそれ自体が夜空に浮かんでいるかのようにふわふわと浮いている。


辺り一面に楽しげな音楽も流れ、遠く噴水の周りでは、踊っている人々が見える。


「18時過ぎると…ってこういうことか」


 ライが意識のおぼろげなエレナを介抱しながら、おもむろに収穫祭について話し始める。


「収穫祭の時期には、世界各国でカーニバルが開催されるらしく、この時期になると夜18時以降には子供は家に戻らないといけないそうだよ。ほら、昼間あれだけたくさんいた子供達が1人も見当たらないだろう?」


「本当だ!しかも、昼間の美味しそうな匂いもなくなってる」


「リヒトは食いもののことばっかりだな!しかし、なぜなんだろうとは思ってたけど…そうか」


「そうかって?」


「ほら、あれ見てみろよ」


ーーーーー31ーーーーー


 ライが指差す方角には、俺達が今いる通りからは坂を下ったとこにある大きな広場がある。昼間でさえにぎやかだった広場は、更に多くの人であふれかえり、皆が見たこともない不思議な格好をしている。中には人ではないお面のようなものを着けた者もおり、動物のように尻尾や耳が生えた者もいる。


「これ、仮装ってやつだよ。仮装をしてしまうと、子供達が迷子になるだろう?だから、子供達は18時には家にいないといけないのかなと」


「仮装?あの耳も尻尾も、不思議な形をした鼻も、みんな作り物?」


「なあに、仮装ですって?ボウヤ達、何を言っているのかしら?」


 隣を通りかかった猫のような仮面をした女性が、いきなり俺達の会話に割って入ると、俺とライとを、まるで品定めでもするかのように順番に見つめてくる。


 そして、暗闇が恐ろしいのか、ショックのせいか、一言も発さないエレナを指差しながら


「この子、私どこかで見たことあるわよ。どこだったかしら…いやだわ。思い出せないわ」


と、あごの下に手をやりながら、分かりやすいほどに悩み始める。


ーーーーー32ーーーーー


「そんなことより!ボウヤ達は何も知らないのねぇ。もしかして12歳以下? “許可” は取ってあるの? “所属” は?誰かに“所有” されているのかしら?こんな時間にこんなところにいて、人攫ひとさらいにっても知らないわよ?」


と、仮面の上からでも薄ら笑いを浮かべているのが分かる。というより、本当に仮面なのだろうか?とさえ思えてくるほど、毛の1本1本まで精巧せいこうにできている。それに、よく見たら猫の髭もピクピクと動いているし、尻尾もくねくねとそれ自体が生命を持っているかのように動いているではないか。


「ラ!ライ!あれ!」


「うん。分かってる」


 ライも猫の仮面の女の様子がおかしいことに気づいているらしく、俺とエレナとを後ろ手にやりながら、少しずつ女との距離をとっていく。


「やっぱり、何にも知らないようねぇ。何なら、わたくしが家まで送り届けてあげましょうか?うふふ」


「いえ。結構です。自分達で帰れますから。お気遣いなく」


「あら、遠慮なんていらなくってよ。でもねぇ、その女の子はいらないわ。口も聞けないみたいだし。ボウヤ達だけ連れていってあげましょうね」


と、猫の女の仮面がみにくゆがみ始める。


ーーーーー33ーーーーー


「ほーら、いらっしゃい。わたくしのところで “飼って” あげる。案外そっちの世界では、居心地がいいって評判なのよ?」


 女の息が上がってくると、周囲にいた数人の仮面を着けた者達も、遠巻きにこちらの様子をうかがい始める。


「まずいよ。このおばさん、人間じゃないよね?しかも、他にも何か集まって来てない?」


「分かってる。こいつらに捕まったら、きっと大神殿には帰れない。だからどうにかしてー」


 俺とライとがヒソヒソ話していると、遠巻きに見ていた者達の話し声が聞こえてくる。


“おい、あれって” “こんなところに、所有の印のない子供が?” “タダで手に入るなんて…” “しかも、まだ若いからうまくすれば高値で…” “小僧2匹の方は…” と口々に話すささやき声であった。


「チッ。ボウヤ達、話し声が大きいわよ。おかげで、みんなにバレちゃったじゃない。せっかく独り占めしようと思ってたのに!」


 猫女はくやしそうに歯噛はがみすると、長い尻尾をむちのようにしならせ、いきなりライに向けて振り下ろした。


ーーーーー34ーーーーー


 見た目以上の衝撃に、ライの体は半回転しながら吹き飛び、俺は何とか彼の体を抱きとめる。ライは俺の肩にもたれかかるようにして体重を預けており、耳元には苦しげな息遣いが聞こえてくる。


「おいっ!?ライ!大丈夫か!?」


「………」


「おい!!!お前!なんてことをする!!!」


あわてる俺とは対照的に、ライは “しー” と落ち着いた声で俺を制止すると、周囲には聞こえないほど小さな声で耳元でささやきかけてくる。


{いい…俺は…大丈夫だ。それより、エレナはおそらく走れないだろうから、俺が担いで逃げる。お前は黒い箱を持って門の外まで逃げろ。分かったら、1回咳払いをしろ。声は出すなよ。たぶんこいつらは恐ろしく耳がいい}


 俺はライが言うように、1度だけ咳払いをする。乾いた音が周囲の喧騒に溶け込み、誰一人として気づいてはいないようだ。


「なあに?その生意気な目は。抵抗しても無駄なのよ。さぁ、分かったらこっちにいらっしゃい。さぁ!さぁ!」


ーーーーー35ーーーーー


 女の仮面だと思っていた顔はみるみるうちに歪んでいき、猫の顔だと思っていた顔は恐ろしく醜い顔に変貌へんぼうしていく。女の口元からは長い舌が垂れ、猫の瞳のようにキラキラ輝いていた部分は真っ黒に落ちくぼんでいる。じっと見つめていると、闇に吸い込まれてしまいそうだ。


{いいか?合図が出たら、門の外まで振り返るんじゃないぞ。あと少し…}


そのとき…!


ドーン!!!という爆音と共に、周囲一帯に大きな振動が走る。


 無数の花火が上空に上がると、どこからともなく現れた人形達が音楽をかなで始め、その音楽に合わせて噴水の水が派手に巻き上がる。すると、周囲の視線が一斉に大広場の方へと向けられた。


「今だ!」


 周囲を見る余裕もなく、俺は黒い木箱を小脇に抱えると、一心不乱に門めがけて走り出した。


 下り坂を転びそうになりながら駆け抜け、大勢の人がいる大広場を避けるように、裏通りを右へ左へとジグザグに曲がりながら進む。


なぜそんな逃げ方をするかというと、背後から迫ってくる者の気配がするからだ。何者かがえる声と、獣のような臭いが背後からぴったりと追いかけてくる。


ーーーーー36ーーーーー


 裏通りは蜘蛛くもの巣状に入り組んでいるが、この街のことは地図がなくても頭の中に道が叩き込んであるから分かる。


ライお気に入りの角の本屋の前を左折し、広場を時折左手に見ながら南へ、南へと進んでいく。


《次の角の花屋を1回右に曲がり、すぐ次の角を2回左に曲がって階段を下り、もう1回赤い屋根の家の横を右に大きく90度曲がれば、すぐに門が見える表通りに着くはずだ!》


頭の中の地図通り、予定通りに薄暗い道を駆け抜け、門へと続く表通りが見えた辺りで…不意に、違和感を覚える。


 ほんの数時間まで露店が並んでいた表通りは、露店はおろか、人の気配もなくなっており閑散かんさんとしていた。


それに、大広場から裏通りまでずっと響き渡っていた旅楽団の音楽も、何かにはばまれたように聞こえなくなってしまっていた。


更に、門があるべき場所に門はなく、代わりに長く高い壁が立ちはだかっている。


壁沿いに100mほど進んでみても、少しも門らしきものも見えない。それどころか、裏通りに戻る道すら見えなくなってしまった。


「なんでだ!?ここに門があったはずなのに…」


ーーーーー37ーーーーー


「ああら。もう追いかけっこは終わり?なあに?門がないって思ってるのかしら?残念ね。18時を過ぎると、この街の出口は変わるのよー?第一、所有者もなく、通行証もないんじゃ、ここから出られもしないんだけどねぇ」


 暗い裏通りの陰から、猫女の声が聞こえてくる。それに、獣のうなり声と息遣いが方々から聞こえてくるのに、その姿も見えない。


「所有者?通行証?さっきからお前は何を言ってる?」


「はーん。ボウヤ、さてはこの近くにある大神殿の孤児でしょ?どおりで何も知らないわけねぇ。ふーん、こんなに美味しそうな子達を隠してたとはねぇ」


「孤児だったらなんだ?俺達をどうするつもりだ?」


 俺の質問には興味がないとばかりに、猫女は独り言のようにぶつぶつと話し続ける。


「ふん。第一、たかが人間のボウヤ風情が、わたくしから逃げられるはずないじゃない?もう1人のボウヤは多少機転が利くみたいで、見失っちまったけどねぇ。まぁ、1人でも十分だわぁ。大金持ちに売って報奨金ほうしょうきんをもらうのもいいけど、やっぱり自分で飼うのも素敵よねぇ。あぁ、どっちにしようか迷っちゃう」


ーーーーー38ーーーーー


「まぁ、どちらにせよ…捕らえてからゆっくり悩むとしますかね」


 薄暗い照明しかない表通りに、奥からゆらゆらと揺らめく影が5体。ゆっくりと黒い影だけが近づいてくる。


 獣の臭いが周囲を包み、荒い息遣いとよだれをすする音、クスクスとたのしげに笑う底意地の悪い女の声がすぐ耳元まで迫って来ている。


《ああ!もう、だめだ!》


 俺は木箱を胸の前で力一杯抱きしめ、迫り来る恐ろしさに耐えきれず目を閉じた。


恐ろしい女の笑い声と、獣の呼吸する音と気配とが、次第に薄れていく。


代わりに自分の吐く息の音、心臓の拍動はくどうする音が大きく聞こえ始めると…


どこか遠くの方から、優しい音色が風に運ばれてくる。


 それは、空気を振動させて鼓膜こまくに伝わるような、自分の頭の中に直接語りかけてくるような、対称的な響きをもっていた。


 初めて聴くような、どこか懐かしいようなその不思議な音色に、自然と自分の呼吸音と拍動とかシンクロしていく。


ーーーーー39ーーーーー


 目を閉じているのに何故か周囲の様子がはっきりとまぶたの裏に映し出され、視界がゆっくりと全方位へと広がり、さらに上空へと移動していく。


 意識が空気に溶けて、あたかも俯瞰ふかんで全ての情景を見ているようであった。


 そして、シンクロしていた音楽がわずかに意識から離れると、そこに明らかに自分を呼びかける声が乗せられてくる。その声は、いきなり意味の分からないことを告げてくる。


{契約するか? }


《え?けい…やく?》


{契約も分からないのか?………仕方ないやつめ。今回は仮ってことにしてやる}


 声がそう告げた瞬間、全身が激しい痛みに包まれる。それに、周囲の温度が一気に下がり、驚きのあまり目を開けると…


自分の足元、遥か下方に街があり、街がどんどん小さくなっていくのが見える。


 自分の身体が宙に浮いていることに気づくまで、俺は息をすることさえ忘れていた。


ーーーーー40ーーーーー

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