4話
なぁ、俺と付き合ってくれないか?」
「え……」
少女は驚きのあまり唇をきゅっと結ぶ。青年からの思いもよらぬ告白。その言葉に、少女は息を飲み、心臓の鼓動が早くなるのを感じる。その音はドクドクと速いテンポを刻み、どんどん顔が紅潮していくのが分かる。
青年は少女の綺麗な瞳をじっと見つめ、すっと息を吸って思いの丈を述べる。
「ずっとお前のことが好きだった。言えなかった……お前とこうして過ごせる日々が心地よくて、この関係が壊れるのが怖かった。でも、お前が他の男と仲良くしているのを見て、居ても立っても居られなくなった。他の誰かに奪われるくらいならこの関係が崩れたっていい。お前を独占したい。だから――」
青年は右手を差し出し、意を決して最後の言葉を言う。
「俺と付き合ってください」
劇の最後、部員たちが出てきて挨拶をする。部員はだいたいい二十人くらい。観客は葵たちも含め十数人で、劇が終わった後、部員に話しかける生徒もいれば帰る生徒もちらほら。葵と紗菜はそのままの席で劇の余韻に浸っていた。
「感動した……私もあんな青春したい!」
「葵は乙女ね」
「紗菜はああいう青春したくないの?」
「んー……別に、って感じ」
「紗菜はいいよねーモテるから」
「あのね、モテてもいいことないのよ? 小学校の時はリコーダー盗まれたことあるし、中学校の時は体操着だって――」
「あーはいはい。その話何回も聞いた」
「もう……。はぁ、もっとまともな人にモテたいわ」
そんな会話をしていると、さっきの演劇でヒロインを演じていた女の先輩に声をかけられる。
「今日の見学に来てくれてありがとう。二人とも新入生?」
「はいそうです。演劇上映会が面白そうで気になってきました」
「そうだったんだ。ありがとう。二人ともお名前は?」
「雪村紗菜です」
「私は太刀川葵です……」
「紗菜ちゃんに葵ちゃんね。私は三年生の金木聖子よろしくね」
そう言うと、丸く大きな目を細める。顔の輪郭は丸く、くっきりとした涙袋。長い髪の毛はオシャレに巻いてあり、綺麗というよりか可愛い。愛嬌があり、モテそうな印象を感じる。
葵は初対面のしかも年上ということもあり少し緊張していたが、聖子の物腰柔らかい人柄と、優しい表情のおかげでリラックスできた。
「今日の演劇はどうだった? 恋愛ものでちょっと恥ずかしかったんだけど」
「凄くおもしろかったです!」
「わ、私もあんな青春送りたいなーっておもいました!」
「ほんと!? 嬉しい! ありがとう~」
聖子はそう言って頬に手を当てる顔が少し赤い。
「先輩はもとから演劇をやってたんですか?」
「私は高校から。この部活は元々演劇をやっていた子もいるけど、基本的に初心者の子が多いから、未経験でも大丈夫!」
「そうだったんですね」
紗菜はふむふむと頷きながら答える。葵は初心者でも大丈夫だと聞き安堵するも、自分が芝居をしている姿を想像して少し不安になる。そんな葵の表情を汲み取った聖子は、
「演劇部って言っても皆が役者をするってわけじゃなくて、演出や照明、大道具、小道具といった裏方の仕事もあるから安心して」
そう言って葵に微笑みかける。葵は人見知りながらも聖子の人柄に徐々に心が開く。
「裏方から役者をやったりすることもできるんですか?」
「もちろん! 私は人前に出るのが恥ずかしくて裏方の仕事をやってたんだけど、演劇部にいるうちにだんだん役者をやりたいって思い始めて、それで今は役者もやってるし、裏方もやってるよ」
「私も人前に出るのが苦手で……」
「恥ずかしいし、緊張するよね……」
聖子はそう言って葵の話に共感する。
「初めて役者やった時は文化祭の後夜祭だったんだけど、大勢お客さんいたから凄く緊張した」
「文化祭の後夜祭?」
新入生である二人は後夜祭が何か分からず首をかしげる。聖子は二人の様子を見て、後夜祭について説明しだす。後夜祭とは文化祭一日目が終わった後に体育館で行われる行事で、生徒や教員が有志を募ってバンドの演奏や漫才、劇などの出し物をする。話によると文化祭よりも盛り上がるだとか。先生の意外な一面が見れたり、バンド演奏で生じる一体感が盛り盛り上がる理由だろう。聖子は二年生の時の後夜祭で初めて役者として劇に参加したらしい。その時、緊張のあまり噛んだり、セリフを飛ばしたりしてしまったが、そこから場数を踏むごとに人前に出てもあまり緊張せずミスもなくなたらしい。聖子は懐かしそうにそのことを語る。
「やっぱり場数踏むのが大事なんですね」
「そうね。うちの部は講演する機会が割とあるから二人もすぐ慣れると思う」
「凄くおもしろそうな部ね」
紗菜は葵の方を向き微笑む。紗菜は基本的に好奇心旺盛で何に対しても興味を持つのだが、演劇部に関しては特に興味が湧いたらいい。葵自身も不安はあるが今日の劇や聖子の話を聞くにつれて徐々に興味が湧き、役者をやってみたいかもと思い始める。
「うん」
「ほんと!? 嬉しい!」
聖子はパッと弾ける笑顔になり、声のトーンが上がる。
「一応、演劇上映会はまだ定期的にやっているからいつでも見に来て! あと、体験入部したいと思ったらポスター記載のメールアドレスかSNSの演劇部アカウントに連絡してくれればこっちから先生に連絡して参加できるように取り計らう!」
聖子は嬉しさのあまり早口でまくし立てるように言う。あまりの速さに二人は驚きを隠せないでいると、聖子はハッと我に返る。そして、今度は落ち着いた口調で言う。
「あ、でもまだ部活見学始まったばっかりだから色々な部活見てくるといいよ」
「ありがとうございます」
「こちらこそ、今日は見に来てくれてありがとう。あっちの方で私呼んでるみたいだから行くね」
「楽しかったです!」
「私も! ありがとうございました!」
「ありがとう。また来てね」
聖子はそう言うと、ニコニコしながら二人に手を振り、他の新入生の方に向かう。葵の目に映るその姿は、二歳しか違わないと思えないほど大人っぽく見えた。
教室を出た二人は夕日が射す茜色に染まった廊下を歩いていた。
「葵どうだった演劇部?」
「おもしろかったし、入ったら楽しそう」
「私も同じ。聖子先輩凄くいい人だった」
「入る?」
「候補としてはあり」
紗菜はそう言って窓に歩み寄り、窓枠に腕を乗せ、外をぼんやり眺めながら言う。
「いろいろ見てみないと分からないけど」
葵も紗菜につられて同じようなポーズをとる。外ではまだ運動部は活動しており、廊下にまで元気な声が届く。
「葵は?」
紗菜は葵の表情を伺う。葵は「うーん」と言って窓の外をぼんやり眺めながら考える。演劇部自体は凄くおもしろそうで、先輩も人柄がよく、居心地がよさそうに感じる。他の部を見てみないと分からないが、葵の中で他にこれといった部活がなければ演劇部に入ろうかなと思い始めている。
しかし、葵の心に魚の棘のような何かが刺さって抜けない感覚がある。これが葵にとって何なのか分からないが、違和感のように心に残っている。考えても分からない。モヤモヤしてもどかしく、気持ちが悪い。
「入るかも」
何とか振り絞った言葉はどこかぎこちない気がしてこのモヤモヤ感が紗菜に見透かされそうで怖くなる。別に紗菜に知られたくないわけではないが、自分の中で消化できない気持ちを紗菜に曝け出すのは気が引ける。しかし、紗菜は短く「そう」と言って窓の外を眺める。葵は安堵して同じように窓の外を眺める。
外では陸上部が練習していた。葵の目に見覚えのある少女の姿が映る。その少女は連続して並んだ腰の高さほどあるハードルを身軽にテンポよく超えていく。ハードルジャンプ。葵は懐かしさを感じる。
「あれ紫音ちゃんだよね」
「うん……」
「もう練習参加してるんだ」
「全中チャンピオンだしね。春休みから参加してるんじゃない」
しなやかなフォームにスムーズな足の回転。前傾姿勢から体を起こしてもぶれない姿勢は体幹の強さを表している。恐らく受験期間中も練習をしていたのだろう。最後に見た時よりも格段に力強い走りをしている。
「やっぱ私とは違って凄いや……」
「なんか言った?」
ぼそりといった言葉はどうやら紗菜には聞こえてなかったらしく、きょとんとした顔をしている。葵は首を横に振り、「何でもない」と言うと、紗菜は「そう」と短く答える。
「帰ろっか」
紗菜がそう言うと、二人は窓の外の少女を背に茜色に染まる廊下を後にした。
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