日本の柔術と外国のジュウジュツ①

「YAWARA 知られざる日本柔術の世界」という本が1997年に出版されました。当時、某流派の稽古を始めたばかりの単なる武術オタクだった私は書店で見かけて即購入、一読して

「これは他の本と違う」

と思った事を覚えています。


 武術オタクとして漫画「拳児」や大東流の名人狭川幸義先生の事や語録を書いた「透明な力」(木村達雄)や「合気道の科学」(吉丸慶雪)、歴史読本の古武道記事や甲野義紀先生の初期の古武術本、黒田鉄山先生の武術談義などを読んでいた私は、古流柔術や古い武術にやや(かなり?)偏った認識をしていたと思います。合気だ発勁だと現代格闘技や剣道等には伝わっていない、はるかに高度な達人技や、秘密主義の神秘めいた武術、みたいなイメージでした。


 ところが、この本は違いました。

 江戸時代から明治大正までの史料や記録、さらには絵や小説などから当時の現実的な柔術の実態について説明しています。江戸時代の創作作品に出てくる手刀打ちの話などもありました。今は見かけませんけど、中年世代以上なら時代劇等で武器を持った相手の手を手刀で打ち、武器を取り落とさせるような描写はどこかで見た事があると思います。あれですね。

 また、江戸時代後期から明治の記録から柔術家の武者修行や他流試合の様子、武者修行にあたっては師匠からの推薦文のようなものを書いて貰って持参した事、道場によっては襟に柿渋かきしぶを塗ってゴワゴワにして他流の修行者と試合になった際に掴みにくくして、さらには相手の手を痛める事に利用した事、ムシロ(昭和までは畳ではなく厚いムシロを引いて稽古している流派は普通でした)の中に針を隠している事があったので、すり足で探りながら間合いを詰める心得があった事など、非常に面白い内容でした。

 他にも講道館四天王の横山作次郎の必殺技「天狗投げ」とは何かという考察などもあったように思います。(手許に無いのですべて記憶で書いており、間違って居るかもしれません)


 さらにある流派の柔術史として、埼玉県秩父に伝わった気楽流きらくりゅうが幕末から明治にかけて非常に隆盛し、第二次大戦後に最後の演武えんぶが行われるまでを、流派の技術体系等も含めて解説している章がありました。これが非常に面白かった。伝説や神秘的な古流武術ではなく、実際に存在し、多くの人が修行した柔術としてリアルに描かれています。


 残念ながら絶版でAmazonやヤフオク、古書店でもプレミアムがついて中々手に入りませんが、ちょっと大きな図書館にはあると思います。古流柔術の実態に興味がある方はぜひ読んでみてください。


 著者の山田實先生はいくつかの流派を修行された方で、とくに秩父に伝わった三神荒木流柔術や気楽流柔術(先ほど書いた秩父の気楽流です)の最後の伝承者たちを訪ね歩いて技法を保存されています。


 残念ながらつい先日亡くなられ、お目にかかる機会はついにありませんでしたが、私が武道史は面白いと思ったきっかけがこの著書でした。先生のご冥福をお祈りいたします。



 そして本題ですが、是風会さんの以下の投稿、

「似た例として、技法内容の多様性の幅でいえば、いまや世界中に広まっている柔術(含む柔道)も、母国である日本国内に存在する/した古流柔術流派群のそれは、国外の柔術の全てを合わせても簡単に凌駕してしまうほど広い。

 世界的に広まった種目はおそらくどれも似ているでしょう。」

 https://twitter.com/zefukaijapan/status/1779683219643973699


 アフリカ外の人類(ユーラシア大陸からオーストラリア、アメリカなどの人類)の遺伝的多様性や言語的多様性は、アフリカ内の人類の遺伝的多様性に比べると非常に小さい、という話が、日本国外のジュウジュツの多様性と日本国内の柔術の多様性に比することができる。という話です。

(※是風会さんは東京都内で新陰しんかげ流・二天一にてんいち流などの剣術を中心に古流武術を指導されている会です。初心から丁寧に指導していただけるので、剣術等に興味ある方はおすすめです)


 現生人類の進化の過程はほとんどアフリカであって、その中からごく少数が出アフリカを果たしたため、アフリカと比べると遺伝的多様性が小さくなるという話です。これは他の生物でも同じで、日本のヤモリは人間の舟などに乗って渡ってきたごく少数が先祖のため、大陸の同種のヤモリに比べて日本のヤモリは遺伝的多様性が非常に小さいとか。


 さらに付け加えると、我々から見ると、アフリカの人は皆黒人で同じに見えて、ヨーロッパやアジア、アメリカ大陸などの方が人種的に多様に見える(けど実際は違う)という話にもつながりそうです。日本の柔術でも同じで、たぶん古い柔術をやっていない人(合気道や合気柔術の修行者も含む)から見ると、『古流柔術』はなんとなく一つのイメージで見えているのではないかと感じています。


 で、本題に入りますがまず最初に、今回は「第7回 古流柔術の技ってどんなん? 柔術ザックリ発展史」を読んだ事を前提に書いていますので内容を理解したい方は先に読まれることを推奨します。


 日本の柔術の多様性


 日本の柔術が(に限らず武術全般ですが)多様な理由ですが、アフリカで進化した人類がアフリカ内部で非常に多様な利用と同じだと思います。


 ①歴史の長さによる多様性。室町時代、戦国時代、江戸時代、明治大正、現代と数百年の歴史がある。社会や文化が変化しており、それぞれの時代に独自の流派が生まれ、さらに古い流派も比較的残っている。


 ②日本の広さと地域の独自性。日本全国で武術を修行する文化があったが、それぞれの地域社会が半ば独立していた。そのため一藩一流と言われるような地域独自の流派や分派が成立している。


 ③参勤交代等の影響で江戸や大阪などで各地域の武芸者が交流する事は珍しい事ではなく、江戸や大阪を本拠とする流派は全国に広まった。また伝承者が浪人したり他藩の家に養子に出たりして遠方に伝わったる事もあった。


 というような背景で室町時代から幕末まで数百年に渡って分派、変化して多様化した流派が明治期まで存在していました。


 また、「第7回 古流柔術の技ってどんなん? 柔術ザックリ発展史」で説明しているとおり、「柔術」が成立する以前の日本の素手もしくは小さい武器を使う武術は

 ・捕手とりて

 ・小具足こぐそく腰廻こしのまわり

 ・組討くみうち(相撲)

 という三種類に分類できます。(この三種の説明は「第7回 」を参照)

 江戸時代に成立した柔術は、上記の要素を複数兼ね備えていました。(それぞれの要素の割合は流派によりけりです)


 歴史的に見ると、安土桃山時代には既に竹内たけのうち流や天下無双てんかむそう流その他にも名前も残っていない流派があった事が史料から伺えます。記録が残っているものに限っても前記の流派以外にてん流(のちの天道てんどう流)や中條ちゅうじょう流(富田とだ流)など剣術系の流派にも小具足や捕手の技法が存在してました。


 安土桃山時代から江戸時代にかけて、それらの流派や名もなき捕手や小具足を学んだ者が工夫を加えて新流派を建てます。

 竹内流からは難波一甫なんばいっぽ流、双水執そうすいしつ流、荒木あらき流などが生まれます。

 流祖が何を学んだか不明な流派としては一伝いちでん取手とりて(流祖浅山一伝一存あさやまいちでんいちぞん)、河上流、當山とざん流取手(示現じげん流開祖東郷重位とうごうちゅういが教えています)


 江戸以降の流派の記録や現在に残っている形などを見ると、上記の三種類の技法を体系の中に含んでいました。

 例えば有名な関口新心せきぐちしんしん流柔術(関口流)には手続てつづき、小具足、とりかため立合たちあいなどの体系がありましたが、小具足は短刀を使った技術で、名前のとおり小具足腰廻に相当します。取と固はこちらから攻撃して捕り抑える技や固め技で、捕手に相当すると思います。立合は互いに立った状態からの攻防で組み合ったり投げたりする技で組討に相当する技法かと思います。

 また、有名な楊心ようしん流は、その基礎をこちらから攻撃して取り押さえる捕手の技としていましたが、それに加えて高度な締め技や急所攻撃の技を発展させていました。

 また、起倒きとう流は組討、相撲の技法を基礎にしつつ、柔よく剛を制する、また拍子の妙などの原理を発展させていたようです(系統によりますが、短刀を使った組討や締め技、座った状態での護身術的技は余技程度だったようです)


 というように江戸時代の流派は流派ごとに特徴があり、多種多様でした。


 次回は、近代化以降の柔術と、江戸以前と近代柔術の技法的な相違について説明したいと思います。

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古武道徒然 @kyknnm

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