ハワイに渡った熊本の新陰流(七) 「剣道の話」全文

前回まで一話ずつ紹介した和田喜傳「剣道の話」一~四をまとめてあります。

「剣道の話」のみ読みたい方はこちらを参考にしてください。


──剣道の話(一)~(四)──


 左は和田喜傳氏が□に布哇ハワイ中学通俗講演会に於て為したる「剣道の話」の草稿也。却々なかなか趣味あるものなれば特にここに掲載す


 剣道の話〔一〕

 和田喜傳


 けん吾国わがくにに於ては御承知ごしょうちごとく三しゅ神器しんきの一でありましてれに対する尊崇そんすうねんは一種特別しゅとくべつ他邦たほうれいを見ざる所、あるい神霊しんれいまつあるいまた武士ぶしたましいとしてもっとこれ貴重きちょうしてたのであります、


 したがって製造法せいぞうほう保存法ほぞんほうおいても熱心ねっしん研究けんきゅうされたもので、こと使用法しようほうに至っては最も深く最もひさしく研究錬磨けんきゅうれんまされ、武士にして剣道けんどうおさめないものは一人もなかったので、古来幾多こらいいくたの名人勇士を出して居ります、


 然して夫等それらの名人勇士は積年の研究錬磨けんきゅうれんまごとを積んで各々おのおのりゅうを案出し何流何流と命名し、其の流儀今日に伝わり其の数いく十の多きに及んで居るのであります


 ▲流儀

 を大別たいべつしますれば、(いま流儀りゅうぎ大別たいべつしたるはなしは聞きませんが私一人の卑見ひけんあるいは間違ってるかも知れない)二派とする事が出来ると思います。


 ・第一は己をなげうって敵を倒すと云う流儀りゅうぎ


 ・第二は己をまもって敵を倒すと云う流儀りゅうぎ


 であります、


 しかして其の数十の流派は何れも大同小異で互に相似合あいにあってて其の類別にこまる様なものもありますが、其の極端と極端のものに至って極々明白ごくごくめいはくに其の異なる点を見る事が出来ると思います。


 第一、己をなげうって敵を倒すと云う流儀りゅうぎおのれの全心全力を一刀にめて全く己を捨てて突進猛撃とっしんもうげき唯々ただただ一打に敵を倒さんとするのでありまして其の最も適当の好例は熊本にある運向流うんこうりゅう文字もじ失念仮しつねんかりに此の文字をもちいたり)であります、これを称してごうの太刀とでも申しましょうか。


 第二、己をまもって敵を倒すとう流儀は徹頭徹尾てっとうてつび十分己を護り一すんかん、一てんすきさえなき様に自身じしんの身をかため、しかして敵のかんに乗じてれを倒すと云う主義しゅぎ流儀りゅうぎであります、これ諸君しょくん承知しょうちの今日ひろく行われて新蔭流しんかげりゅうでありまして、これやわらの太刀とでも申しましょうか。


 要するに剣道けんどう即ち剣法けんぽう大別たいべつすれば右の二つにける事が出来る、其の極端きょくたんの二例をぐれば以上の運向流神影流が最も適当で、其の二つの異なった流儀の最も異なった要点ようてん明白めいはくあらわしてるものとおもいます。


 ▲運向流

 運向流うんこうりゅうは勿論、胆力たんりょく養成、技術錬磨れんまう事にはあくまでも重きを置いてるが、おのれやしないたる胆力たんりょくおのれみがきたる技術の全力を一とうげきめてだ一うちに敵をほろぼさんとするのでありますから相手あいて胆力たんりょくてんおいおのれ同等どうとうのものかあるい同等どうとう以上いじょうであればあるいは意のごと効力こうりょくあらわす事が出来ず、かえって不利におちいるかも知れない、


 しかてき胆力たんりょくおのれ以下であれば随分用易ずいぶんよういに敵を倒す事が出来るかと思います。これ実際じっさい運向流うんこうりゅうなるものの試合しあい御覧ごらんになった方には知れましょうが、未だ御覧にならぬ方には一寸ちょっとわかりますまい、しかし余りながくなりますから運向流うんこうりゅうかんしては此のくらいめまして。


 剣道の話[二]

 和田喜伝


 ▲新蔭流

 つい少々しょうしょう申延もうしのべます、新蔭流しんかげりゅう無論むろん胆力たんりょく養成ようせいは第一でありますが、技術ぎじゅつ研究けんきゅう他流たりゅうして最も超絶ちょうぜつしていて、余程よほどよい流儀りゅうぎように思われます、今日日本全国にほんぜんこくわたって普通行はれて剣道けんどう使つかい方はまったく新蔭流であります、たとえ他の流名ゆうめい流儀りゅうぎもとにありとも其の実際じっさいの使いかたは新蔭流とどう一なり

 の新蔭流にかんしてはあとすこしし申添えるつもりです


 ▲剣道の極意

 いまだ其のみちたっせざるわたし極意ごくいなどとう事をおはなししますのはまこと可笑おかしき次第しだいでありましょうが、だ私けの卑見ひけんで、随分ずいぶん間違まちがいだらけでありましょうが之によりて大方諸君おおかたしょくん御高見ごこうけん御教示ごきょうじあおぐ事をますれば誠に仕合しあわせの次第しだいで、一すんむしにも五たましいとか申すとおただわたしけのかんがえを申延もうしのべますからその御積おつもりで御聞おききをねがいます

 剣道けんどう極意ごくいとは其のきょくに達し、の極におよびたるものが其の極意ごくいたっしたのであります、しかして此の二しゃ両々りょうりょう二つながら完全かんぜんの域にらざれば剣道けんどうの極意にたっしたものとう事は出来できません。しかたんに胆力の養成ようせい技術ぎじゅつ修養しゅうようの極にたっすると申しましては一寸要領ようりょうませんが、も一すすんで其のと言う意義いぎすなわ極意ごくいの意身をきますれば


 すなわち胆力の養成ようせいに達したるものは眼中がんちゅう切敵さいてきもなく、けんもなく、すなわち空であります、剣則是空、空則是剣、則ちてきおそれずけんを見てたゆまざるていきょうるのであります。しかして此のてんまですすみ此のきょうにまでるのにはけっして剣道独特けんどうどくとくほうに限るものにあらずして、ぜんなどのほうにてもすすむ事が出来できます、ゆえ古来こらいよりの話に武士ぶし刀剣とうけんひらめかしてぜん法師ほうずりかけたれどもついに一刀をくわうることあたわずして降参こうさんしたなど言うはなし沢山たくさんありますが、れは其の胆力のてんおい雲泥うんでいがありまして其の勢力せいりょくに呑まれ、一とうを下すのゆうしっするのであります、くの如く胆力たんりょくと云う事は剣道の基礎きそとなる一大要素だいようそ大事だいじな事であります


 技術のみょうきょくたっするとう事は如何いかなるものかともうしますれば一ぱつの間一てんきょ神速自在しんそくじざい電光石火でんこうせっかの如くけん利用りようしてかちめるのじゅつたっするものであります。然して其のじゅつみょう、其のほうきょくに達するには禅道ぜんどうによりてる事も出来できなければ腕力わんりょくによりて達する事も出来できない、唯剣道独特ただけんどうどくとくの一妙法みょうほうによりてのみ達せられるのであります


 ゆえに剣道をおさむるものはの二の目的もくてきとの修養研磨しゅうようけんませなければならず、うちの一をけば決して剣道の極意ごくいは得られるものではありません


 く申しますれば剣道けんどうの極意はきわめて簡単かんたんなもので一向要領こうようりょうない様であるが、すべて剣道の極意ごくいとか或は剣法けんぽう伝授でんじゅとか申すものは其位そのくらいに達しないものには其のあじうものはらないもので、伝授でんじゅなどとうものは先生せんせい門弟もんてい進歩しんぽおうじて一のヒント、すなわ暗示あんじあたえるものであります、ゆえに其の門弟もんていにしてもいまだ其のじゅつるの程度ていど、其のほうさとるのちからなきものたとへ其の先生の伝授でんじゅいてもねこ小判こばんんにもなりませんがの人の力、其のてんまですすんでる人なればだ一ぺん暗示伝授あんじでんじゅつたちま釈然しゃくぜんとして理解会得され無上無根むじょうむこん快楽かいらく難有味ありがたみを感ずるのであります、


 ゆえに剣法の伝授でんじゅなどはだ一しゅうたなる事もあり、又た数行すうぎょう文字もんじたる事もあり、又は二三ほん手数てかず(剣道の方法ほうほう)なる事もありましてむかしは之を秘密ひみつたもち、他流他人たりゅうたにんにはけっしてかさないと誓書せいしょ血判けっぱんを押して入門の際師弟さいしていめいをなしたるものであります、昔は武士ぶしいづれも剣道をみがいてたから一ぺんのヒントをたらただちに他流たりゅうの極意を会得えとくしたかもれませんが今日こんにちでは天下てんかぱん人士じんしことごとく剣道の素養そようなどはありませんから之を満天下まんてんかに向って講義こうぎをしてもあまかる人も少なかろうとおもいます。


 みぎ申述もうしのべたものがたいする私の卑見ひけんでございましてつぎにはの事につい御話おはなししたいと思います。


 剣道の話[三]

 和田喜伝


 ▲古来の修業法

 古来こらいりゅうひらいた名人達人めいじんたつじんの人々は如何いかなる修業しゅぎょうをしたかともうしますればおももっぱらにしたのでありまして、三更草木こうくさきねむころ深山幽谷人跡しんざんゆうこくじんせきえたる所に立木たちきを敵として心胆しんたんじゅつみがいたるものであります、しかなんうても敵は反抗力はんこうりょく攻撃力こうげきりょくもなき立木でありますから其術そのじゅつかならつたなきものでるにるべきものなく、今日の術にすれば到底比較とうていひかくになるものではなかったろうと想像そうぞうされます、しか眼中敵がんちゅうてきなく剣無けんなてい心胆しんたんは十分に修養しゅうようされたものとおもわれます、しかしていよいよ試合となれば真剣しんけんまた木剣もくけんでやったものですから気合きあいと言うものはまったく今日の芝居しばいの様なあいとはことなったものとおもわれます


 ▲現時の修養法

 現時げんじ修養法しゅうようほう古来こらいの修養法にしまして撃剣げきけん道具どうぐ すなわ機械きかいと言うものが進歩整頓しんぽせいとんした少々しょうしょうたれてもかれてもいたくない處から修用法則しゅうようほう稽古けいこうものが一ぺん愈々いよいよ精神せいしんうしない胆力の養成ようせいなどは忘却ぼうきゃくされつくししてじゅつにのみながれ丸で舞踏ぶとうの如きなき技術ぎじゅつとなりおわったのであります、しからばの修養則ち稽古けいこと言うものは如何にす可きかと申しますれば


 ▲修養の法

 修養のほう技術ぎじゅつ養成ようせい胆力たんりょくの養成をふたつながら完全かんぜん研磨けんまするものであります、之を具体的ぐたいてき申述もうしのぶれば初学しょがくの者は一切他さいほか道具どうぐもちいず適法てきほうながさの竹刀しない一本をたずさえてき先生の教導きょうどうもと太刀筋たちすじ打込うちこみ、進退の動作どうさ歩行ほこう調子ちょうし呼吸こきゅう工合ぐあいとう一切の剣法けんぽう練習れんしゅうするのであります。勿論もちろんかた(或はおもてともう)は不断ふだん充分じゅうぶん研磨けんま修養しゅうようしなければなりません之が正則せいそく修養法しゅうようほうで、丁度ちょうど弓術きゅうじゅつ巻藁まきわらようなものでの修養法をなければすじのよき剣法けんぽう習得しゅうとくする事は出来できません、之をおわりましてから普通ふつうの道具、めん小手こてどうなどをけて稽古けいこするのでありますが、の稽古に又た二しゅあります


 一は自身に適当と思う相手を選び真剣の心持ちで打つも受けるも進むも退しりぞくも仮初かりそめにせず、愈々いよいよてき玉散たまち白刃しらはひっさげておのれを一げきもとらんとするおそるべきものであるとおもうて仕合しあいをするのであります、之を度々たびたびかえし繰り返し稽古けいこをしてれば愈々いよいよ心胆しんたんる事が出来できます、んどなればつねに真剣のたいしてやってゆえれにれてるからであります


 だい二は最も仲間なかまおい上達者じょうたつしゃ或は先生についおの自身じしん打捨うちす勝負しょうぶなど眼中がんちゅうかずおも存分ぞんぶんに打つなりすなりはらうなりたおれてち止み足腰あしこしたぬようになるまで稽古けいこしてもらうのであります、れは充分じゅうぶんじゅつる稽古になるのでだい一のほうにのみよればかたくなりすぎてじゅつすすみませんのですが、れを此のだい二の稽古法けいこほうによりて技術ぎじゅつ変化へんか進歩しんぽはかるのであります、つぎの事を少し御話おはなししたいと思います。


 剣道の話[四]

 和田喜伝


 ▲新蔭流の奥義

 はじゅうを以てだい一としてありまして、てきたいする心持こころもちはふのが大切たいせつであります、ゆえに敵が強力ごうりき無双むそう強者つわものでありましたらその敵のちからを以ててきつからしついかちせいするとう事で、あたかのよなゝしたやなぎが力のつよかぜこたへるとおな意味いみで、かたな切先きっさきすんにてよくてきをあしらいいささかのきずけずして敵をたおすと云う流儀りゅうぎであります、当流とうりゅうかまえの事は青眼せいがんかまえともうしましておのれの身体しんたい中央ちゅうおうへその少ししたの所にえ、び過ぎずちぢみ過ぎず、みぎへんせず左によらず自由自在じゆうじざい活動かつどうやすところき、かたなの切先は敵の小鼻こばなところけるのであります

 刀をにぎるのは各流同かくりゅうどう一でありますが左手さしゅ小指こゆび一本刀の柄先つかさきおとすのでありますはやはらかににぎり、む時ににぎめるのであります、あし工合ぐあいあまひろからずせまからず、すすむにも退しりぞくにも最も便利べんり自由じゆうなる位置いちむのであります、呼吸こきゅうは一切口さいくちにてせずに鼻孔びこうにてはらの下部に充分力じゅうぶんちからこしわる事が肝要かんようであります、てきと立合ってからはてきおのれとの距離きょり)をる事が大切たいせつでありましての距離はたがいの切先きっさきくらい適度てきどであります、つぎ大切たいせつあまり長からずみじかからずたかからずひくからず、ようするにおのれ勇気ゆうき引立ひきたて敵の英気えいきくじくのをむねとするのであります


 ▲竹刀の長短

 新蔭流しんかげりゅうしん寸法すんぽうつか七寸位、刀身二しゃくすんくらい(全長三尺二寸)を流儀りゅうぎとしたるもので、此の竹刀しない長短ちょうたん撃剣げきけん使つかい方に直接密着ちょくせつみっちゃく関係かんけいゆうしてるもので其のうものもな竹刀の寸法すんぽうよりされてます、あま長過ながすぎると芝居しばいの如き派手はで使つかかたとなり、剣法けんぽう真意しんいうしなってしまう、れはかならうしなうまいとおもうてもながい竹刀をふるうにあたってはいきおむを無理むり使つかい方になるのであります、近来きんらい大分だいぶみじかくなりましたが、まだまだみじかくする必要ひつようがあるとおもいます


 荒木あらき又右衛門またうえもん柳生やぎゅう飛騨守ひだのかみ御話おはなしをして御免ごめんこうむろうとおもいますが此のはなし随分ずいぶん荒唐無稽こうとうむけいの話のよう馬鹿ばかげてえますがわたしは此のはなしの中にしんの剣法の極意ごくい充分じゅうぶん明瞭めいりょうあらわれて居ると思いますから一寸簡単かんたん申延もうしのべようとおもいます


 御承知ごしょうちの通り荒木又右衛門が諸国武者しょこく修行しゅぎょう遍歴へんれきのち江戸えど道場どうじょうを開き柳生流やぎゅうりゅうの看板をかがげてりますとたちまち市内の大評判おおひょうばんとなり四ほう剣士けんしくもの如くあつまりその名声非常めいせいひじょうに高まりましたので飛騨守ひだのかみてにすべき事ならず、将軍家しょうぐんけ師範しはんたる当流の名義めいぎ容易ようい民間みんかん流布るふすべきにあらず、れいによりて(従来じゅうらい柳生流やぎゅうりゅう看板かんばんかがげたるものは飛騨守ひだのかみてい呼出よびだころされたるものなり)相当そうとう始末しまつけざるべからずとてすぐに又右衛門をし一しつに引き入れ初対面しょたいめんさかづきを下すとて三ぽうをつき出しました、もっと又右衛門またうえもんこしものすなわ両刀りょうとうすで玄関げんかんにてられ今や寸鉄すんてつびるものなくことに其のみちひいでたる千数の門弟もんていは又右衛門一人の周囲しゅうい圍繞いぎょうしてあり這出はいですきもないのであります、此時このとき飛騨守ひだのかみは三尺の秋水玉しゅうすいたまちる剣を真向まっこう上段じょうだんりかざし荒木目あらきかけておろさんと身構みがまへたのでありますが荒木あらき神色しんしょく自若じじゃくいささかもおどろかず御免ごめんと三宝上ぽうじょう熨斗紙のしがみきすごき青眼せいがんかまえたのであります、くして暫時ざんじあいだヤー、オーの掛聲かけごえをしてたがいに其のすきをねらってりましたが忽然こつぜん飛騨守はけんて、うちたしかに拝見はいけん感服致かんぷくいたした、天晴あっぱれのお手並てなみ賞揚しょうようし遂に師弟してい関係かんけいむすんだと云うことでありますが、これ一寸ちょっと素人しろうとが見ますと真剣と紙片しへん試合しあい勝負しょうぶかない事があるものか、飛騨ひだが一とう打ちろせば荒木はまっ二ツになるは請合うけあいで、そんな馬鹿ばかはなしがあるものかとおわらいになるかたがあるかもれませんが之がすなわ名人めいじんと名人との試合、達人たつじんと達人との勝負でありましてじつに剣法の極意ごくい遺憾いかんなく発揮はっきして実例じつれいと思います、なんとなれば、名人と名人との試合しあいは前にも申しましたとお眼中敵がんちゅうてきなくけんなしで、飛騨ひだが眼に紙片しへんけんなどの差別さべつは一さいないので、にらう處は荒木の間である、すきであるのであります、しかるに只だ一てんすき、一ぱつかんを見出すあたわざりしよりついに刀をとうじて降参こうさんしたのであります、れがすなわち名人の試合勝負しあいしょうぶと言うものは実に生死しょうし超越ちょうえつしてていきょうにまですすんで居ると実例じつれいになるのであります、はなしあるい虚構きょこうであると事実じじつでないと御方おかたがあるかもれませんが私はけっして虚構の事でない、もしつくごととしても此に言う事はかならべき事柄ことがらと信ずるのであります、永々ながなが御清聴ごせいちょうわづらわしまして……れで御免ごめんこうむります

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