ハワイに渡った熊本の新陰流(四)剣道の修養法
剣道の話[三]
和田喜伝
▲古来の修業法
▲現時の修養法
▲修養の法
修養の
一は自身に適当と思う相手を選び真剣の心持ちで打つも受けるも進むも
──本文終──
古来の修業法
・過去の達人は山にこもって一人稽古したとあります。現代でも流祖が山や神社に籠って一人修行し、極意に開眼して~というイメージは比較的一般的だと思いますが、戦国時代から安土桃山時代の各流派の縁起(発祥・発端)の記述を見ると、
・僧
・
・日州
・
・愛宕山に七日七晩
・
というように、神社や山に
和田喜伝の記述では、まるで修行が一人稽古主体のように感じられますが、上記の流派はいずれも先行する流派を学んでいます。ですので、対人での稽古も多く行った人たちが、一人工夫して新機軸を打ち立てたと考えた方が自然だと思います。(ただ、上記の開祖たちの時代はまだ
修養法
ここで防具を付けて稽古をする前に、竹刀だけで十分に基礎訓練をする、というように書かれていますが、このあたりは現代剣道にそのまま受け継がれている稽古方法ですね。ただ、明治期の熊本では、初心者は現代の竹刀(コミ竹刀)ではなく、
この、まず竹刀だけで稽古を始める、という部分、おそらく袋竹刀の事をさしているのでは無いかと思います。現代剣道の切り返しや打ち込みのような稽古を袋竹刀だけでやっていたのでしょうか。
熊本の剣道は、旧肥後藩の師範たちからほぼそのまま人脈的に現代へつながっています。ですが明治後期以降、
形と表
文中に「
現代では
など色々な呼び方がありました(剣術の場合、
防具を付けた稽古を二種類紹介していますが、これはちょうど第三回で説明されていた
(本文中敬称略)
参考文献
各流派の創始伝説については
「日本武道大系」1982(元になった「日本武道全集」は国会図書館の個人送信サービスで閲覧可能です)
林崎甚助源重信公資料研究委員会編「林崎明神と林崎甚助」居合振武会 1991
熊本の明治の剣道については
「肥後武道史」
大野久磨夫「剣士一代」日本武教社 1968
など
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