ハワイに渡った熊本の新陰流(三)新陰流と剣道の極意

 剣道の話[二]

 和田喜伝


 ▲新蔭流

 つい少々しょうしょう申延もうしのべます、新蔭流しんかげりゅう無論むろん胆力たんりょく養成ようせいは第一でありますが、技術ぎじゅつ研究けんきゅう他流たりゅうして最も超絶ちょうぜつしていて、余程よほどよい流儀りゅうぎように思われます、今日日本全国にほんぜんこくわたって普通行はれて剣道けんどう使つかい方はまったく新蔭流であります、たとえ他の流名ゆうめい流儀りゅうぎもとにありとも其の実際じっさいの使いかたは新蔭流とどう一なり

 の新蔭流にかんしてはあとすこしし申添えるつもりです


 ▲剣道の極意

 いまだ其のみちたっせざるわたし極意ごくいなどとう事をおはなししますのはまこと可笑おかしき次第しだいでありましょうが、だ私けの卑見ひけんで、随分ずいぶん間違まちがいだらけでありましょうが之によりて大方諸君おおかたしょくん御高見ごこうけん御教示ごきょうじあおぐ事をますれば誠に仕合しあわせの次第しだいで、一すんむしにも五たましいとか申すとおただわたしけのかんがえを申延もうしのべますからその御積おつもりで御聞おききをねがいます

 剣道けんどう極意ごくいとは其のきょくに達し、の極におよびたるものが其の極意ごくいたっしたのであります、しかして此の二しゃ両々りょうりょう二つながら完全かんぜんの域にらざれば剣道けんどうの極意にたっしたものとう事は出来できません。しかたんに胆力の養成ようせい技術ぎじゅつ修養しゅうようの極にたっすると申しましては一寸要領ようりょうませんが、も一すすんで其のと言う意義いぎすなわ極意ごくいの意身をきますれば


 すなわち胆力の養成ようせいに達したるものは眼中がんちゅう切敵さいてきもなく、けんもなく、すなわち空であります、剣則是空、空則是剣、則ちてきおそれずけんを見てたゆまざるていきょうるのであります。しかして此のてんまですすみ此のきょうにまでるのにはけっして剣道独特けんどうどくとくほうに限るものにあらずして、ぜんなどのほうにてもすすむ事が出来できます、ゆえ古来こらいよりの話に武士ぶし刀剣とうけんひらめかしてぜん法師ほうずりかけたれどもついに一刀をくわうることあたわずして降参こうさんしたなど言うはなし沢山たくさんありますが、れは其の胆力のてんおい雲泥うんでいがありまして其の勢力せいりょくに呑まれ、一とうを下すのゆうしっするのであります、くの如く胆力たんりょくと云う事は剣道の基礎きそとなる一大要素だいようそ大事だいじな事であります


 技術のみょうきょくたっするとう事は如何いかなるものかともうしますれば一ぱつの間一てんきょ神速自在しんそくじざい電光石火でんこうせっかの如くけん利用りようしてかちめるのじゅつたっするものであります。然して其のじゅつみょう、其のほうきょくに達するには禅道ぜんどうによりてる事も出来できなければ腕力わんりょくによりて達する事も出来できない、唯剣道独特ただけんどうどくとくの一妙法みょうほうによりてのみ達せられるのであります


 ゆえに剣道をおさむるものはの二の目的もくてきとの修養研磨しゅうようけんませなければならず、うちの一をけば決して剣道の極意ごくいは得られるものではありません


 く申しますれば剣道けんどうの極意はきわめて簡単かんたんなもので一向要領こうようりょうない様であるが、すべて剣道の極意ごくいとか或は剣法けんぽう伝授でんじゅとか申すものは其位そのくらいに達しないものには其のあじうものはらないもので、伝授でんじゅなどとうものは先生せんせい門弟もんてい進歩しんぽおうじて一のヒント、すなわ暗示あんじあたえるものであります、ゆえに其の門弟もんていにしてもいまだ其のじゅつるの程度ていど、其のほうさとるのちからなきものたとへ其の先生の伝授でんじゅいてもねこ小判こばんんにもなりませんがの人の力、其のてんまですすんでる人なればだ一ぺん暗示伝授あんじでんじゅつたちま釈然しゃくぜんとして理解会得され無上無根むじょうむこん快楽かいらく難有味ありがたみを感ずるのであります、


 ゆえに剣法の伝授でんじゅなどはだ一しゅうたなる事もあり、又た数行すうぎょう文字もんじたる事もあり、又は二三ほん手数てかず(剣道の方法ほうほう)なる事もありましてむかしは之を秘密ひみつたもち、他流他人たりゅうたにんにはけっしてかさないと誓書せいしょ血判けっぱんを押して入門の際師弟さいしていめいをなしたるものであります、昔は武士ぶしいづれも剣道をみがいてたから一ぺんのヒントをたらただちに他流たりゅうの極意を会得えとくしたかもれませんが今日こんにちでは天下てんかぱん人士じんしことごとく剣道の素養そようなどはありませんから之を満天下まんてんかに向って講義こうぎをしてもあまかる人も少なかろうとおもいます。


 みぎ申述もうしのべたものがたいする私の卑見ひけんでございましてつぎにはの事につい御話おはなししたいと思います。



 ──本文終──


 和田先生、自身の流派(新陰流)について、技術が超絶している、世間に行われている剣道は流名が違っていても使い方は新陰流、と随分大きな事をおっしゃっていて自信のほどが感じられます。


 ここで興味深いのは、肥後藩の新陰流の家に生まれた著者が、全国の剣道が流派名が違っても新陰流である、と言っている点です。おそらく和田喜伝が明治半ばに修行した新陰流の技術が、当時の全国一般の剣道技術と(喜伝から見て)大きな違いが無かったという事は言えるのでは無いかと思います。


 剣道の極意


 和田喜伝は剣道の極意は術と胆(技術と胆力)が極まったところだとしています。

 技術についてはわかりやすいですね。


 術と胆


(剣道では語られる事もあるようですが) 現代では現代武道、伝統武術、そのどちらでも胆力という事を修練の対象として語られる事はあまり無いように思います。特に伝統武術では術の方の話がほとんどではないでしょうか。

 平成頃から有名になった古武術の身体操法や合気や発勁、古流の特別な技術云々や古の達人の逸話みたいなものも、技術面での話に始終しているように思います。


 和田先生の講演の内容もですが、明治後半~昭和初期の武道関係の講演や記述を見ると技術より胆力や精神みたいな話が散見されます。それ以前の現代武道が精神面だとか道を強調していた反動で、古武術の術を強調したような事は甲野義紀先生も書かれたようにも思います)


 ですが諸外国でのZEN流行りや仏教由来のマインドフルネス、それがアメリカ経由で日本に入ってきてビジネス界隈で流行ってます。本来この辺に武道が入っていても良かったのですが、日本ではそうならなかったようです。


 江戸後期から明治にかけて、武道の修行は体育的な目的以外に、こういった精神上の修養も兼ねていました。勝海舟も本当に修行したのは剣術、夜稽古で心胆を練った、幕末の難局(小は刺客から大は政変)を乗り越えられたのは剣術と禅の修行で得た精神の成果、みたいな事を語っていますね。(氷川清話) 

 講道館を創始した嘉納治五郎も精力の善用という事を語っています。


 遡って安土桃山や江戸初期を見てみても、有名な沢庵たくわん和尚と柳生宗矩以外にも、示現流じげんりゅう東郷重位とうごうしげかた文之ぶんし和尚、針ヶ谷夕雲はりがやせきうんと虎伯和尚、田宮次郎右衛門たみやじろうえもん虎林こりん和尚、と武芸者と僧侶の親交については多くの例が見られます。それだけ関係が深いということでしょうか。剣禅一致みたいな言葉は今でもよく知られていますね。武道や武術における胆力・心法の部分はこれから見直しが進む分野かもしれません。


 ところで肥後熊本藩の新陰流は疋田豊五郎の流れです。その熊本の新陰流で一子相伝や免許皆伝の巻として扱われる「紅葉観念之巻」があります。この巻には


「たとえ(敵が)如何なる構えで来ようとも、動転どうてんすべからず。かの一剣をもって勝負を決すること疑うことなかれ」


 とあります。「かの一剣」は新陰流極意の太刀のことです。

 疋田豊五郎は特に禅を学んだというエピソードはありませんし、胆力や禅などが剣術と関連付けられる前の時代の人物ですが、どんな敵でも動転するな、敵にむかうに身を惜しまず進め、一歩一刀は善悪を思わず、我が身を釈迦如来摩利支天とせよ、などなど胆力的なものを彷彿とさせるような事を書き残しています。言葉は違っても同じような方向性を示しているのかもしれません。


 剣法の伝授

 剣豪ものに限らず、秘伝書や一子相伝の極意みたいなものは創作作品のテーマや味付けによく使われていますが、そのあたりの事が実際どうだったか和田喜伝が書いていて非常に興味深いです。

 和田家は江戸時代後半、ずっと新陰流を伝えた家ですので、ここに書かれた事は肥後藩の剣術伝授の実態を背景にしていると思われます。


 ここで、その伝授を受ける術や位が無い者は伝授されても猫に小判、その域に至っていればヒントだけで至る事が出来、そのヒントが伝授である、と解説しています。また、伝授(ヒント)には歌や文字(文章)、また形や技の場合もあるとしていますが、前回に紹介した「なかなかに〜」の歌や柳の絵図がその伝授に該当しますね。

 初心者がいきなり極意の教えや技を教わってもちんぷんかんぷんだったり、誤解したりするという話は現在の武道でも言われる話ですね。別に武道に限らず技術分野ではどこも同じかもしれません。受け取る側の能力がある程度無いとわからないという話でしょう。

 これは肥後藩の新陰流で重要とされた「景根先生講釈の書」(疋田豊五郎から新陰流を伝授された上野左右馬助の孫、景根が新陰流について講釈をした聞書、成立は17世紀末?)でも同じような事が書かれています。新陰流には中極意ちゅうごくい天狗書てんぐのしょ)という形グループがありますが、これはその段階、極意の入口に至らないものが教わっても中極意の技とならない、その至った位を指してというのである、と教えられています。小学生に中学数学や高校数学教えても理解出来ないみたいなものですかね。


 秘伝として隠すのも、ある段階に至っていれば他流の人でも見ただけで理解出来たりするからなので、現代(明治末)では見せても理解出来る人は少ないでしょう、みたいな事を言っているのは面白いところです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る