ハワイに渡った熊本の新陰流(三)新陰流と剣道の極意
剣道の話[二]
和田喜伝
▲新蔭流
▲剣道の極意
技術の
──本文終──
和田先生、自身の流派(新陰流)について、技術が超絶している、世間に行われている剣道は流名が違っていても使い方は新陰流、と随分大きな事をおっしゃっていて自信のほどが感じられます。
ここで興味深いのは、肥後藩の新陰流の家に生まれた著者が、全国の剣道が流派名が違っても新陰流である、と言っている点です。おそらく和田喜伝が明治半ばに修行した新陰流の技術が、当時の全国一般の剣道技術と(喜伝から見て)大きな違いが無かったという事は言えるのでは無いかと思います。
剣道の極意
和田喜伝は剣道の極意は術と胆(技術と胆力)が極まったところだとしています。
技術についてはわかりやすいですね。
術と胆
(剣道では語られる事もあるようですが) 現代では現代武道、伝統武術、そのどちらでも胆力という事を修練の対象として語られる事はあまり無いように思います。特に伝統武術では術の方の話がほとんどではないでしょうか。
平成頃から有名になった古武術の身体操法や合気や発勁、古流の特別な技術云々や古の達人の逸話みたいなものも、技術面での話に始終しているように思います。
和田先生の講演の内容もですが、明治後半~昭和初期の武道関係の講演や記述を見ると技術より胆力や精神みたいな話が散見されます。それ以前の現代武道が精神面だとか道を強調していた反動で、古武術の術を強調したような事は甲野義紀先生も書かれたようにも思います)
ですが諸外国でのZEN流行りや仏教由来のマインドフルネス、それがアメリカ経由で日本に入ってきてビジネス界隈で流行ってます。本来この辺に武道が入っていても良かったのですが、日本ではそうならなかったようです。
江戸後期から明治にかけて、武道の修行は体育的な目的以外に、こういった精神上の修養も兼ねていました。勝海舟も本当に修行したのは剣術、夜稽古で心胆を練った、幕末の難局(小は刺客から大は政変)を乗り越えられたのは剣術と禅の修行で得た精神の成果、みたいな事を語っていますね。(氷川清話)
講道館を創始した嘉納治五郎も精力の善用という事を語っています。
遡って安土桃山や江戸初期を見てみても、有名な
ところで肥後熊本藩の新陰流は疋田豊五郎の流れです。その熊本の新陰流で一子相伝や免許皆伝の巻として扱われる「紅葉観念之巻」があります。この巻には
「たとえ(敵が)如何なる構えで来ようとも、
とあります。「かの一剣」は新陰流極意の太刀のことです。
疋田豊五郎は特に禅を学んだというエピソードはありませんし、胆力や禅などが剣術と関連付けられる前の時代の人物ですが、どんな敵でも動転するな、敵に
剣法の伝授
剣豪ものに限らず、秘伝書や一子相伝の極意みたいなものは創作作品のテーマや味付けによく使われていますが、そのあたりの事が実際どうだったか和田喜伝が書いていて非常に興味深いです。
和田家は江戸時代後半、ずっと新陰流を伝えた家ですので、ここに書かれた事は肥後藩の剣術伝授の実態を背景にしていると思われます。
ここで、その伝授を受ける術や位が無い者は伝授されても猫に小判、その域に至っていればヒントだけで至る事が出来、そのヒントが伝授である、と解説しています。また、伝授(ヒント)には歌や文字(文章)、また形や技の場合もあるとしていますが、前回に紹介した「なかなかに〜」の歌や柳の絵図がその伝授に該当しますね。
初心者がいきなり極意の教えや技を教わってもちんぷんかんぷんだったり、誤解したりするという話は現在の武道でも言われる話ですね。別に武道に限らず技術分野ではどこも同じかもしれません。受け取る側の能力がある程度無いとわからないという話でしょう。
これは肥後藩の新陰流で重要とされた「景根先生講釈の書」(疋田豊五郎から新陰流を伝授された上野左右馬助の孫、景根が新陰流について講釈をした聞書、成立は17世紀末?)でも同じような事が書かれています。新陰流には
秘伝として隠すのも、ある段階に至っていれば他流の人でも見ただけで理解出来たりするからなので、現代(明治末)では見せても理解出来る人は少ないでしょう、みたいな事を言っているのは面白いところです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます