宗家の話
第二次世界大戦後、古武道の伝承者を宗家と言う例が一般的になりました。
今では古武道関係者にはある程度知られているようになりましたが、明治以前に武術流派で流派を統率する「宗家」が存在した事例はほぼありません。印可を受けた場合は自分の稽古場を作って自由に弟子を取り、指導して免状を出すことが許されるのが一般的でした。(尾張柳生の新陰流のように柳生一族親類のみが師範となり、死後は免状を返却する流派も存在しましたが、こういう例は江戸時代でも比較的例外的な例です※。)
これを完全相伝と言って、印可なり皆伝を得た場合、弟子を育てる権利も含めて全て相伝されるのが一般的だったからです。すじ
これに対して、現代の武道や茶道華道のように家元だけが免状等を与える権利を持つものを不完全相伝といいます。詳しくは西山松之助「家元の研究」などを参考にしてください。私はまだ読んでいませんが、最近西山松之助の書籍が「芸 秘伝伝授の世界」と題して講談社学術文庫から復刊されたのでこちらも良いかもしれません。
流派の開祖の子孫が師範として存在している場合は「家元」などと呼ばれて流派関係者から敬意を受けたり、その支流末流から留学が来たりする例も多くありましたが、支流や末流も対等に近い関係で、どちらかがどちらかを統率するような関係ではありませんでした。
現代に見られるように古武道や近代武道(空手や近代柔術でも宗家という用語は使われています)で宗家という言葉が一般的になった時期がいつか不勉強ながら私は知りません。
ですが昭和に入ってから、特に第二次大戦語には一般的になっています。
この宗家制度、色々な問題があります。
○現代の宗家制度の問題
色々な古武道関係の方が言ってますが、古い武道における「宗家」制度、全ての流派が標準仕様で使うには害になる例が多いように思います。
宗家制度で大きな問題が発生して無さそうなのは江戸時代から代々家系に伝わっているところ(示現流等)か、または組織が巨大な近代武道(講道館・合気会等)の場合だと思います。そうでない場合、問題がおこる例が多いようです。
・宗家になりたい人たち
「宗家」という伝統的権威のありそうな名称が、ある種の虚栄心が強い人を刺激しやすいように感じます。本来、宗家の責任を考えると、なりたくないと考えるのがむしろ普通です。(何百年も続く流派を存続、繁栄させて弟子を増やし、未来に伝える責任があるわけです。多くの場合お金にもなりません。やりたいですか?)
小説や漫画などでも伝統や因習の残る家を継ぐ事から逃げたしたりするテーマはよくありますよね。
そのあたりを考えると、本来まともな人は嫌がる(だから引き受けた人は尊敬される)のが伝統団体(家系や流派、道場)の継承者なわけです。
なのに武道の場合は宗家が乱立したり、代々伝家系で伝承してるわけでもない、客観的には一道場主、一会派の長でしかない人が宗家を名乗ったりしています。
ざっと古武道含む武道の世界を見てみると、宗家の意味としてはなんとなく
武道団体のトップ=宗家
となってる印象です。
ただ、世間一般では武道流派は代々伝わっていて、その伝承者も伝統的家系の人だろうみたいなイメージがあり、実質的に単なる一新興団体のトップである「宗家」も「長い伝統ある家の当主」みたいなイメージも重ねられているように思います(印象ですけど)
言葉のイメージと実態に齟齬が見られます。
・江戸時代いなかった宗家を復活?させる人
流派名を出しますが、北辰一刀流には現在宗家を名乗る人が4人います。このうち3人は全て東京玄武館の小西重治郎宗家の弟子や孫弟子にあたります。
ですが、玄武館を継がれた現小西宗家以外は、一人は千葉家の系図を使い千葉道場を、一人は信濃の北辰一刀流を名乗られています。つまり自称する系図が技術上の系図と無関係なものになってるわけです。
これも日本の伝統武術の免許制度から考えると普通ではない、かなりの変化球ですね。まるで子孫の絶えた家名を遠縁の人が名乗って百何十年後に復活させるような行為です。
しかも何故か皆さん宗家を名乗っています。当然ですが北辰一刀流の師範らは(千葉家も含め)江戸時代や明治には誰も宗家とは名乗っていません。北辰一刀流は完全相伝の流派なので、そのために千葉周作らから免許を得た門人たちが地元でさらに弟子を取り、さらにその弟子たちが独立し…と日本各地に広まった流派です。宗家制度だったらあれほど広まらなかったことでしょう。
また、日本でもっとも広まっている土佐居合こと無双直伝流ですが、この流派も近代に大江正路の門人が交代して〇〇代宗家を名乗っていますが、無双直伝流系の諸派でも江戸時代には誰も宗家を名乗っていませんでした。
・最近見かけたいくつかの宗家問題
最近は商標問題で流派名の争いがよく見られます。宗家を名乗たところ以外、もしくは商標取ったところ以外が伝統の流派名を変える例も複数あります。
この辺の事こそ、武道史や武道の研究者や古武道団体がなんか提言でもするべきところなんじゃないのか?と思いますけど、人間関係や立場があると研究しても発表が難しそうですね。
・反乱、分裂
これも宗家問題の一つですが、老舗や伝統芸能でよくある分裂騒動や乗っ取りに騒動も武道の世界ではよくあります。裁判沙汰になってる例も結構ありますね。よく知られてるのは極真空手などですが、マイナーな古武道
世界でもここ十年程度でいくつもありました。まあ、これは組織がある以上避けられない問題と思います。
また、宗家となった人が独立して会を始めた兄弟子、弟弟子の活動を禁止しようとする例なども見受けられます。禁止ではなくでも独自の活動を辞めて傘下に入るように働きかけトラブルになる例もあります(次項)
・宗家と破門
例えば、先代宗家から免許と支部許可みたいなものを貰った古い門人たちがいました。先代宗家没後、彼らは先代の生前と同様に独自に道場を経営し流派を教えていたところ、代替わり後の新宗家から「新しく制度を作りました。あなたの弟子も昇級、昇段の審査を宗家道場で受けさせなさい。審査料はこれこれです」と要求されたり、新宗家の傘下に入れと言われたりします。そんな例は戦後から現在まで何例も見かけます。
さらに最近見た例では、傘下に入るのを断った前宗家の門人が破門にされた事件もありました。この例では師弟関係は先代宗家と支部長たちの間にしかありません。
江戸時代の先例を調べると、先代が亡くなった後に道場や藩の師範を継いだ人と先代の弟子のと間で再度入門と師弟関係の結び直しが行われる例が見られます。ただし、一般的には修行中の人間のみで、免許なり印可なりを得た人は独立するのが普通です。
これが現代的には「組織の傘下に入れ」になるのだと思いますし、この行為自体は一門で結束するための行動で理解できます。
しかし、問題なのはこれを断った人を破門したり弟子への指導を禁止する行為です。
先代の弟子と新宗家の関係は基本的に兄弟弟子でしかありません。新たに師弟関係を結んではじめて師弟関係になります。それが無いのに破門なんてそもそもできませんよね。
もちろん、先代の頃から一門会みたいなものがあって、その規約などに
「一門は宗家の門弟とする」
など決まりがあるとか、入門の際に「代替わりした際は新宗家の門弟となること」等とあるのなら組織の決まりなんだな、と納得できそうですが、後付で言い出すのはだいぶ変です。
○今後の宗家制度
現代的な「古武道の宗家」は、江戸時代以前の武術では使われておらず、武術ではなく近代以前の芸能や職能の認可関係(家元制度)の一種です。
宗家の概念は日本武術伝統の完全相伝とは相性が非常に悪い反面、近代以降の中央集権とは相性が良い制度だったのだと思います。そのため近代以降多くの流派で採用されたのだと思います。(そもそも江戸時代だと各地が独立しているので全国統括組織の作りようが無いのですが)
家元制度を微妙に近代化したものが現代の宗家概念で、日本の武芸において伝統的なものとも言い難いですし、かといって現代的な仕組みでもないと思います。武道史や歴史の知識があるので室町時代から現代まで、過去の実例を踏まえて現代的にアップデート(この言葉嫌いですけど)出来るんじゃないの?と思わなくもないです。
ところで、江戸時代に宗家制度は無かったと書きましたが、本部道場と支部道場、師範と師範代、というような関係は江戸時代後期、各地に存在していました。また、永代免許と一代免許という差、指南免許と免許という指導と伝承についての制約がある流派も出てきています。次回はこのあたりの武道の宗家制度の前身、江戸時代の道場の仕組みについて書きます。
※ 死後に師匠や師の後継者に伝書を返却する風習は一般的なものではありませんでしたが、そういった習慣が無い流派でも伝書を授かった人の子孫(流派を修行してない)が伝書を師範家に返却する例や、その時代の関連流派の師範に譲渡する例はあります。「ご先祖さんが貰ったものだけど、うちにあっても仕方ないし…」という感じで持つべき人に譲渡していたのかもしれません。
そうやって開祖の伝書や古い時代の伝書が師範家に収集されて現在まで伝わっている例があります。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます