霞の構え

かすみの構え。


 映画やイラスト、ゲームでよく見かける刃を上に向けて手を交差し頭の側面あたりにする構えは一般的に霞の構えと言われています。

 霞の構えは剣道の五行の構え(上段・中段・下段・八相はっそうわき構え)に含まれていませんが、諸流派でよく使われる構えの代表格だと思います。


 見栄えがする事や、刀が目立っている事などから構図として好まれているようです。

(「霞の構え」で画僧検索してもらえれば、どこかで見た構えが出てくると思います)

 剣道でも対上段などで使われる変形中段構えを霞の構えと言うようですが、創作作品に出てくる霞の構えとは別物なので、創作の霞の構えは創作で使われる構えで実際は使わないと思ってる人もいるようです。

 殺陣では(殺陣の流派によるようですが)切先が敵を向いているが霞の構え、切先が下がっているのがやなぎの構えというそうです。どちらも霞の構えの1種ですね。


 この文章ではとりあえず刃を上へ向け、拳は胸〜頭上の高さ、切先は前や横方向に構えるのを「霞の構え」としますが、さきほど書いたようにこの名称を使わない流派もかなり多いです。


 ところで「霞の構え」の名称の由来、以前から気になっています。WEB上でも気になる人結構いるようです。よく見かける霞の由来のは

 ①かすみ(こめかみ)の急所に構えるから

 ②目を狙って霞が掛かったように見えなくする

 ③霞掛かった様に刀の内側に隠れる

 の三つです。


 ①は20年以上前の古武道書籍にあり、平上先生なんかは「神集かすみだ」なんて書いています。


 〇こめかみ

 コメカミの急所を霞と言うのはいつからだ?と思って以前調べてみたところ、やや想定外の結果がでました。

 調査前から講道館柔道や空手(急所名は講道館柔道の引用)の急所名に霞があることは知っていました。コメカミへの当身なので、まあ一般的にコメカミ急所を霞というのは柔道と空手の影響だろうと思っていました。講道館柔道の急所は、元になった二流派のうち天神真楊流の急所をそのまま使っています。

 というわげ、天神真楊流の急所について書かれた伝書を探すと、「地の巻」に急所の教えである七箇条之極意があり、その中に「霞」がありました。これが講道館柔道に取り入れられたのですね。

 天神真楊てんじんしんよう流の中段以降は真之神道しんのしんとう流を元にしてます。なので次は真之神道流の中段の巻を確認しました。


 真之神道流の中段の巻には九箇条くかじょう之極意があり、これが天神真楊流の七箇条しちかじょう之極意の元になったと思われます。

 これを確認してみると、霞はありませんでした。

 念の為、真之神道流上段の巻の当身の教えである雲上も確認しましたが、霞はありません。どこから霞が来たでしょうか。


 天神真楊流は真之神道流と、さらにその元になった楊心流を合流して江戸時代後期に出来た流派です。

 ということで、楊心ようしん流に古くから伝わる胴釈どうしゃく(楊心流につたわった急所についての古文書)を二、三確認しましたが、こちらにも霞の急所は乗っていません(そもそもコメカミの急所が載っていない)


 楊心流は16世紀半ばに大江仙兵衛おおえせんべえによって長崎近辺で成立した流派と考えられています。かなり多くの流派が楊心流の急所や活法を取り入れており、柔術殺活さっかつの元祖と言えます。

 また、同時期には成立していた制剛せいごう流に急所図があります。より簡素なものですが古くからあります。ということで制剛流の急所図を見てみるとなんと霞がありました!

 で、制剛流の霞がどこかと確認してみると、こめかみではなく両目の事とされています。


 これは非常に妥当な名称で、柔術では一般的に目を指で払ったり手の甲で打って目くらましする技を「霞のあて」「霞をくれる(かける)」などと言います。


 ちなみに楊心流系では両目を烏兎うとと言います。これは頭を天に見立てて、両目を日月にちげつとし、日には3本足の烏、月には兎がいると伝説にあるので烏兎としてるそうです。


 とりあえずコメカミを霞と言い出した(または広めた)のは天神真楊流の可能性が高そうな事がわかりました。

 ここで明治の文献になりますが、天神真楊流の殺活を西洋医学の知識を踏まえて説明した井口松ノ助「柔術生理書」の霞の項目を見てみました。


 柔術生理書では霞、両毛とあり、流派によって名称が違うが16流派では二様(両毛と霞のこと?)に名づくとしてます。

 両毛ってなんでしょうか。

 また「俗に米噛こめかみというところのまわり一寸四方をいう」としていて、霞が一般的に身体の部位として使われて無さそうです。


 コメカミを霞と一般的に言わないとすると、

 もし「霞のあたり構えるから霞の構え」

 と名称を付けた人は天神真楊流創始(江戸後期)以降の人になります。


 しかし霞の構えの名称は状況証拠から室町時代頃には新當しんとう流で使われていたと思われます。(16世紀半ばには分派している各派で霞の用語と構えが使用されている)、この「コメカミを霞と言い、霞の場所に構えるので霞の構え」説はコジツケと考えた方が良いでしょう。また、コメカミの急所を霞と呼ぶのが一般化したのは講道館柔道が広まって以降なので、「①霞(こめかみ)の急所に構えるから霞の構え」の説は明治か大正以降の現代に考えられた由来の可能性も高そうです。


「しかし、室町から霞がコメカミを指していた可能性はまだある」

 という意見もあるかもしれません。


 しかしそもそも霞の構えは頭上や顔の前方、胸前で構える例もかなり多くないでしょうか??霞(コメカミ)で構えないのに霞(コメカミ)の構えと名付けたりしないように思います。


 ②目を狙って霞が掛かったように見えなくする説


 この目を狙って(切って)霞が掛かったようにする構え、もしくは目を狙う攻撃的な構えという説はWEB検索すると多数見つかります。古いものは2007年頃の剣道いちに会の掲示板でこの説が書かれています。


 この説は一刀いっとう流、新陰しんかげ流、直心影じきしんかげ流など知られた流派における霞の構えという名称の由来に同種のものがなく、かなりマイナーな説と思われます。実際、古い剣道・剣術関係の書籍で同種の説明を見たことがありません。


 目へ切先を付けるのは霞の構えに独特の事ではなく、現代剣道でもっとも一般的なセイガンの構えなどで目を狙うように構える流派は非常に多くありました。切先を前へ向ける構えで顔面(目)を狙うのはある意味常套手段と思わるので、目を狙うという意味を霞の構えで特筆するのはかなり独特の解釈と思われます。


 この説に関してはそもそも何流の説なのかも不明で調査が必要そうです。ですが、江戸時代から昭和の書籍に見られないので過去の武道の世界一般的な説でないのは断言できそうです。


 ③霞掛かった様に刀の内側に隠れる


 この説は小野派一刀流宗家、故笹森順造氏の著書「剣道」((旺文社スポーツ・シリーズ)、1955)における霞の構えについての説明です。

 そこでは中段霞の構えについて

いんから切先を下げ、相手の眉間につける。霞の構えはしないをあたかも霞のようにつかい、その奥に何があるかを包み、相手に知らせず、相手がわからないところからおのれのあらゆる変化の技を出す構えである。」

 としています。(※陰は一刀流の構えで腰・胸のあたりに手を下げた八相のような構え)

 中段霞の切っ先をさげれば下段霞、手を頭まであげ切先を敵の眉間に付ければ上段霞となります。


 というように構えによってこちらの動静を敵に知らせない事を霞んでよく見えない事に例えているのでしょうか。技術的な内容はよくわかりませんが、甲源一刀こうげんいっとう流(※)にその名もずばり霞隠という技があります。


 ※小野派一刀流と甲源一刀流 小野派一刀流は小野治郎衛門じろうえもん忠明ただあきの家を継いだ忠常ただつね以降、代々幕臣小野次郎右衛門家に伝わった流派で、笹森順造は弘前藩に伝わった系統の伝承者です。それに対して甲源一刀流は小野忠明の弟とも子とも言われる小野忠也の伝承した一刀流の一派に分類されます。埼玉県秩父の逸見氏に伝わり、逸見氏が甲斐かい源氏げんじだったため甲源一刀流と名乗りました。


 ○霞の構えはどこから?


 というように、①と②はどうも怪しいというか、比較的近年考えられた理由のように思います。私も数年以上前から霞の構えに関してあれこれ調べたり考察したりしているのですが、現在の推測を書くと、

 新陰流系の霞については

 一、霞の構えや霞むという言葉は上泉信綱かみいずみのぶつなの新陰流もしくは愛洲陰あいすかげ流では使われていた形跡が見当たらない。

 二、柳生系の新陰流では霞や霞むという言葉が江戸初期から使われているが、これは新當流から流入したのではないか?

 三、ただし、新陰流の技(花車やエンピなど)で現在でいう霞の構えに類する姿勢になる事はあった。

 だったようです。


 また一刀流系では江戸初期から霞や霞の構えが使われていた形跡が見られますが、戦国時代の頃の一刀流については使われていた記録をまだ見つけていません。

 次に、シントウ流等で使われている「霞の構え」ですが、新當流には「霞の太刀」というものが飯篠長威の頃からあったようです。また、鹿島新當かしましんとう流の記録を見ると「かすむ」という動作があったようです。これは敵の太刀を受け流したり、(太刀で防御しながら)かわしたりするような動作だったようです。つまり

「霞むときの姿勢(に似たような)構え」

 が霞の構えになったんじゃないかと思います。

 これは江戸時代の色々な流派の伝書、たとえば柳生流などで「霞む」という動詞として使われているので、特に変な推測でもないと思います。


「霞む」動作は相手の太刀をかわしたり、受け流したり、受け止めたりする防御的意味合いの動作で使われている事が多いので、意味合いとしてはそれほど変では無いのではないかと思います。(霞んで敵の手を切り上げたりする場合も見られます。柳生の燕飛の最初の動作はこれの変種と思います)


 私の推測はともかく、③は小野派一刀流や新當流の一部の伝承や古文書に登場する霞の意味なので、少なくとも江戸時代からある解釈てす。

 ①に関しては、先日推測したように、急所名としての霞が一般化したのはおそらく近代あたり

 ②についてはさっぱりわかりませんが、かなりマイナーな解釈のようです。古い書籍や古文書では見かけません。


 なので、霞の構えはなんで霞というの?と一般的に答える場合があるときは、③の

「霞の中にいるように、太刀の内に隠れる構えだから」

 とするのが無難そうです。


 流派や会派によって意味合いは色々だと思うので、あくまで一般論としての話です。


 霞について色々書きましたが、実は私が学んだ流派では「霞の構え」という名称が一切使われていません。「霞の構え」と一般に言われている構えは組太刀の中で沢山出てきますけど、まったく「霞の構え」という言葉を使わない(古文書でも全く出てこない)ところを見ると、江戸時代でもセイガンや中段、上段と違ってそこまで一般的では無かったのかもしれません。同流他派(江戸時代に別の藩で伝わった同じ流派)では、「俗に霞の構えという」と書き残していますから、江戸時代は地域地域で多様だったようです。



 この投稿は以下のまとめが元になっています。

 https://togetter.com/li/1552327

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