第9回 全国に広まった流派(剣術編)1

江戸時代、日本には一説には千を越える剣術流派があったと言われています。

それは大袈裟でも、分派や独自の特徴がある道場などを含めたら、それくらいあったかもしれません。


しかし、江戸時代二百数十年を通して全国各地、様々な場所で行われた流派はそう多くありません。どんな流派があって、どんな感じに広まったのでしょうか?


などとそんな事を言い出すと、えらい調査と研究、執筆時間が必要になるので、ざっくり適当に考えてみます。


まず、東北から九州まで全国各地に伝承があったと言える剣術流派の名前を並べてみると


新陰流(柳生流)

小野派一刀流

直心影流

神道無念流

心形刀流

トダ(戸田、冨田)流

鹿島新當流

無外流


などでしょうか。


ほかには、関東を中心に伝承されながら遠方でも何か所か伝承された流派は馬庭念流、柳剛流、北辰一刀流。


あまり知られていないところでは、


実は(支流を含めると)九州から東北まで、全国に伝承があった示現流。


実は日本各地で伝承された二天一流(円明流)や鉄人流(十手流)といった宮本武蔵関係の二刀流。


あたりが挙げられると思います。


ではそれぞれどのような雰囲気で広まったか、知る範囲で書いていきます。ついでに現在の伝承状況も。


◯新陰流

開祖上泉信綱が京に来て数多くの弟子を育てたので広まりました。超有名。いろいろな弟子がいましたが疋田豊五郎が慶長年間に近畿や九州で多数の大名や武士に教えた影響で西日本では新陰流というと疋田系が多かったのですが、知られてなくて悲しい。神後伊豆守は京都で教えていたようですが早くに亡くなった影響か、中部や関西の一部に伝承があったのみです。一番有名なのは柳生家の新陰流です。


柳生宗矩が将軍家指南役になって、各地の大名が弟子になり広まった面もありますが、それ以前、石舟斎の時代の弟子も各地で教えていたようです。


◯示現流

タイ捨流を学んだ東郷重位が京に来て天真正自顕流(神道流の流れ)を学び創始。薩摩で広まり数多くの弟子がいた。初期の弟子が各地に散らばり西日本や北関東を中心に全国にジゲン流を名乗る流派が存在。また宮崎から関東の笠間に牧野家が国替になった伝わり、笠間を中心に関東でも学ばれた。


○二天一流

宮本武蔵が江戸や肥後で教えた。肥後時代以前の弟子が愛知や中国地方で伝承。伝承者の移動で肥後から福岡、福岡から新潟に伝わる。熊本では数派に別れて伝承され、現在でも野田派、山東派が活動してます。

また、江戸などで学んだ弟子により、尾張近辺や中国地方でも伝承された。あとは武蔵と関係あるのか不明だけど、宮本武蔵政名を開祖とする二刀流流派が各地に見られます。有名なのは鳥取の武蔵円明流。


○(小野派)一刀流

小野忠明の弟子や孫弟子が水戸、青森、広島などに伝えた他、小野家の弟子の中西家が江戸で町道場を開き竹刀防具稽古を重視したため各地の武士や農民が入門、全国に広まりました。


◯直心影流

開祖山田一風斎の息子、沼田藩士長沼国郷が江戸で道場を開き防具試合を重視して流行、各国の弟子が増え全国に広まりました。また長沼家の弟子筋の藤川家から、赤石、男谷と有力な師範が出、彼らの道場も繁盛しました。江戸末には男谷が名人として有名で、諸藩から留学多数でした。


○神道無念流

開祖の弟子戸賀崎熊太郎が江戸で道場を開き試合稽古を重視したためか、多くの門弟がいました。熊太郎が郷里に帰る際に高弟岡田十松に道場を譲り、その道場も繁盛します。江戸後期には岡田道場から斎藤弥九郎が独立、幕末の有名道場となりました。また斎藤弥九郎の息子たちが回国修行で諸藩で活躍、その影響でさらに諸藩の門弟が増えます。


○鏡新明智流

開祖大禾伴山(桃井直由)が江戸に道場を開き、神社に奉納額をあげました。その奉納額が直心影流長沼道場の勢力圏だったため直心影流の門人の挑戦を受けたのですが、ボロ負けします。負けたのになぜか門人は増えていったそうです。教え方が良かったのか何なのか。今では位の桃井として知られていますね。ここも試合剣術重視だったので幕末には各地からの留学を受け入れていました。


◯心形刀流

初代の伊庭さんからずっと江戸に道場がありました。ここも試合剣術を早くから取り入れているようです。幕末はやはり留学を多数受け入れています。心形刀流が伝わっていたので夕名なのは肥後人吉藩、肥前平戸藩、伊勢の亀山藩、越後の村松藩です。平戸の藩主松浦静山は心形刀流の伝承者となっていて、研究者のように大量の書籍を残しています。


○柳剛流

心形刀流を学んだ開祖がスネ切を取り入れて創始。免許制度が三段階でシンプル、二十代で免許が取れる、試合重視、という事で関東各地の農村に道場がどんどんできていきました。二代目が宮城の人だったので宮城でも伝承、ほかに三重や兵庫県竜野にも江戸経由で伝わっています。


◯天然理心流

西関東の農村地帯で盛んだった流派です。一応講武所師範になった人もいますが、有名になったのは新撰組の影響でしょうね。


◯富田流

有名な富田勢源が回国した先で教えた影響か、全国各地に富田流、戸田流という流派が存在していました。本流の富田家や山崎家は加賀藩に仕えたため、加賀藩および富山などで中條流は昭和頃まで残っていたようです。


○鹿島新當流

有名な塚原卜伝が戦国時代に回国修行をおこなった影響か、神道流、新當流は戦国時代には既に九州あたりまで広まっていました。江戸時代以降は卜伝流、一羽流など様々な名称になりましたが、卜伝の影響を受けた流派は各地に伝承されていました。


◯無外流

江戸時代前半の流派です。開祖辻月丹の弟子が仇討ちを成功させて評判になり、各地の武士が門弟になりました。辻家はのちに土佐藩に仕えましたが、江戸で教えていたため土佐以外に東北、関東、姫路などにも伝わっています。


◯タイ捨流

開祖丸目蔵人やその弟子が最初新影流として、その後はタイ捨流として薩摩熊本天草佐賀などで広めたため、戦国時代末期は九州のかなりの範囲で学ばれていたようです。江戸時代以降は勢力が小さくなりましたが、丸目蔵人がいた人吉藩、丸目蔵人自ら訪れて指導した肥前(佐賀)などでは明治頃まで盛んでした。また分派は北九州、関西、山陰、東北などでも確認されています。示現流も分派の一つと言っていいと思います。また福岡黒田藩で盛んに学ばれ、剣道十段斎村五郎も少年時代に学んだ安倍立剣道はタイ捨流4代目の安倍頼任が創始したもので、タイ捨流の極意をそのまま伝承していたようです。


○馬庭念流

馬庭の地方流派ですが、代々の当主の中でも何度か江戸に道場を出している影響か、柳川藩(家川念流)や中部地方などにも広まっています。また、馬庭近辺の村落や小藩でかなり学ばれており、江戸時代を通して北関東の有力流派でした。


○北辰一刀流

中西道場や浅利道場で小野派一刀流を学んだ千葉周作が創始した流派で八段階あった免許段階を三段階に減らした、わかりやすく教えた、などの理由で人気があったようです。千葉周作も鳥取藩や水戸藩に関係してそれらの藩でも学ばれた部分もあります。大変有名ですが案外全国規模で見ると小野派や直心影流、神道無念流に比べると広まっていません。

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