第2回 古武道における「正統」「古伝」ってなんだ

(※2016年4月8日に書いた記事の改訂版です)


 古武道を稽古していたり、興味を持っていれば


「どこどこの会は正統だ」

「どこどこの流派は古伝を伝えてる」


という議論や論争を見かける事があるかもしれません。(古武道の世界では、古伝というと創始者の技や技術、理念を正しく伝えている、途中で大きく改変されていない、という意味で使われる事が多いようです)


 同じ流派にいくつか会派がある流派、とくに分裂の際いざこざがあった場合など


「○○派は改変されている」

「○○派は剣道(柔道・合気道)の影響を受けて古伝を伝えていない」


と互いに批判しあっている例も見かけますす。(剣道や柔道に対する古流側からの批判もこの一種だと思います)


 また私みたいな第三者が「あっちは古文書の記載と全然違うなぁ」「こっちは何代か前の演武ビデオとずいぶん見た目が違うぞ」と思ったり、仲間内で話す事はよくあります。まぁ、こういった話は基本的に他流批判、他会派批判に繋がるので普通の武道愛好家は仲間内の飲み会の席で話すくらいで、おおっぴらに公言することはありません。なんといっても下品ですし、不必要な争いの元になります。


 ですが、いろいろな流派の方と付き合いがあると、その中には

「流派というものは開祖より一字一句変わらず伝えられるもので、変化などありえない。変化したところは正しく伝わっていないのだ」

という極端な原理主義的な方を見かけることがあります。(さすがに宗家とか師範とかの方がそういった事を言っているのは見たことがありませんけども)


 では、原理主義の人達が言うように、そもそも昔のまま残っている流派があるのか?というと、たぶん有りえないとおもいます。


 真面目に考えようとすると、「伝統武術において伝承が変化するとは何か」という事について考えなければいけませんが、それを一度横に置いといて、ざっくり考えてみても、室町時代、長い江戸時代、明治維新と近代化、と常に社会的背景(社会制度や風習、習慣、考え方)が変化してきた以上、そのまま変わらず伝わる流派、なんて事はありえないと考えた方が現実に近いでしょう。


 例えば、時代による変化を剣術で考えてみれば


1、16世紀前半に袋撓ふくろしないが発明されたこと

2、17世紀後半の幕藩体制の確立

3、17世紀末から18世紀初頭に直心影流じきしんかげりゅうが頑丈な防具と袋撓で試合稽古をし始めた事

4、18世紀半ば以降に江戸町道場や関東農村など各地で他流試合が盛んになり始める事

5、江戸後期に回国修行が盛んになり、他流試合を禁止してきた古来の流派も対応を余儀なくされたこと

6、武家支配の崩壊、中央集権化。武徳会成立


 などが大きな環境変化としてあげられます。(伝書や記録からわからない流派の内容に変化があったことはタイムマシンでもないと証明しようがないですけど)


 変化することは本来は良いとか悪いとか、技が正しく伝わっているか、などと関係ない話で、例えば戦国時代に発祥した流派はそれ以降変化し続けていると考えてよいと思います。江戸中期・後期に生じた流派でも同じです。(※変わらないとは理念や術理が変わらない事だ、という考えもありますが、ここで話題としているのはもっと具体的な変化についてです)


 目録や伝書の内容・教えが変わっていない流派でも、代々の継承者や修行者の工夫や、社会背景から無視できない変化の強要(防具試合他流試合の隆盛で「お前の流派も他流試合しろ」との藩命など)などがその時代その時代で色々とあったはずです。

(※伝書とは流派の師から弟子に伝えられる文献全般のことです。)


 例えば馬庭念流まにわねんりゅうの師範家や肥後藩のいくつかの流派、岩国藩の剣術、小野派一刀流おのはいっとうりゅうなどのように、江戸時代以前発祥の流派ででも防具試合を受け入れた経緯などが記録に残っている流派がいくつもあります。むしろ、歴史が長い流派の方が、こまごました点は時代の流れによって変わっていると思います。


 もちろん、伝統を守る、という意識は特に江戸時代中期以降は強かったようです。前述した剣術の世界での様々な変化の中、開祖以来の伝授内容を変えず、もしくは変わってしまったものを流祖なり先師の時代に復そう、間違った方向に変化しないように記録を残そう、とする動きがあった流派もいくつも見られます。


 例えば有名な尾張の新陰流の長岡桃嶺ながおかとうれいは様々な伝書や伝わってきた口伝や技を整理して書籍にして残しましたし、平戸藩主松浦静山まつらせいざん心形刀流しんぎょうとうりゅうをはじめ、様々な武芸を学んでいました)は、各地から心形刀流の史料を収集して心形刀流の研究書ともいえるような成果を大量に残しています。また、當流とうりゅう剣術を学んだ福田誠斎(日光神領の医師)は、家伝の當流と小田原に伝わった別系の當流の免許となりましたが、「事理両輪じりりょうりん※であるべきだが、他流試合を禁止したため理にかたより、(極意の)心明剣を知る人もいない。」として江戸に出て男谷精一郎おだにせいいちろうに入門し、他流試合を解禁して心明當流と名乗っています。ここで面白いのは福田誠斎も「伝来の技は全く崩していない」と自分で書いていることです。こういった史料整理や復古的な動きも時代による変化の一種と言えると思います。


 ※事理両輪じりりょうりん : 一般的に事は具体的な技術、理は理論や原理を指します。江戸時代後期には事は試合稽古での強さや技術、理は組太刀くみだちなどの形を示す事があります。一般的に武術の形は理論を動作にあらわしている訳ですから、理=形稽古となるのだと思います。


 近代に入ってから成立した剣道・柔道でも明治・大正・昭和・平成と時代による技術の変化はありますし、いわゆる現代に伝わる古武道といわれるものを見てみても、

・竹刀稽古・乱補らんどり稽古を一度採用した後に形だけになった流派

・剣道や柔道と一緒に伝わる流派

・失われた形などを伝書や資料から復元した流派

組太刀くみだちをやらなくなって居合だけになった流派

・入門直後に学ぶ組太刀くみだちを、高段者のみが学ぶ極意みたいな扱いに変更した流派

などがあります。


技術の変化以外でも昔はいくつかあった流派名を一つに決めたり、流派名に使用する漢字が多数あったものを一種類に固定したりした流派などもあります。(香取神道流かとりしんとうりゅうは神刀流などの字を使っていたようです)


 武術が人から人によって伝えられる以上、変化はするものです。「古武道」と言っても博物館に保管されている骨董品ではなく、現代社会に生きている人が稽古して伝承している存在です。不変に見えたとしても常に変化しているわけです。一流の免許皆伝になるほどの人なら、常に技量を高くしようと工夫するでしょうし。


 ですので実質的には、「我が流派が正統」と言ってもそれは社会的なもの、理念的なもので、「古伝が伝わっている」と言っても内容が一字一句変化せず代々伝わっている、というより古伝を追及するという態度や方針でやっている、という事なのではないか?と個人的には思います。


追記: 特に史料的な根拠がなく自身で工夫された技を指して「これが本当の古伝の技です」とされているような方もいらっしゃいますが、今回の話はそういった方は対象にしていません。

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