第51話 李凱翔
かつて、
「その七家はよく知っているぞ」
はい。今現在、重臣に席を置く方々です。
「俺が教わった歴史と同じではないのか?」
ええ、
——そこまでは建国神話として語り継がれている表の歴史です。
「表の?」
僕が教えて貰ったのは裏の歴史です。七家と柳家の人間にしか伝わっていません。
***
李の部族の青年、
凱翔は何度も「戦いは止めて歩み寄ろう」と言いますが、その呼びかけに応じる者は誰一人としていません。同胞である李の部族ですら凱翔を「弱者」だと罵りました。
けれど、凱翔は諦めません。何度も同じ言葉を説き、他の部族の村に行っては同じ言葉を繰り返しました。
しかしある日、凱翔の言葉に嫌気をさした李の部族はついに凱翔を追放しました。
部族を追放された凱翔は悲観に暮れました。誰も自分の言葉に耳を傾けてくれない。それどころか争いは勢いを強め、傷付き、死んでいく者が数多くいる。同胞だった者達から見放された凱翔は失意に揉まれながら目的もなく歩き続けました。
歩き続けて何日、いえ、何週間か経った頃、凱翔は龍が眠る洞穴にたどり着きました。
華東平原の東の果てには大地の切れ目とも言われる大峡谷があります。その一つに龍の
凱翔は急に恐ろしく感じました。洞穴に立ち入れば自分は龍に食べられてしまうからです。けれど、その恐怖はすぐに無くなりました。自分はもう死んでもいい存在だと思ったからです。せめて最期は龍の姿を一目見てみたいと凱翔は傷だらけの体を引きずり、中へと入りました。
枯れ草の褥に長い体を横たえて龍は眠っていました。洞窟の入り口から差し込む微かな光が体を覆う鱗を照らします。真っ白な
魅入られたように凱翔が近くと龍は重たい目蓋を持ち上げました。そこから覗く金の双眸と目が合うと不思議なことに凱翔の体は氷ついたように動かなくなりました。
「帰れ」
冷たい言葉を投げかけると龍は目蓋を閉ざしました。すると凱翔の体は自由になりました。
「どうして私を殺さないんですか?」
凱翔は不思議に思ったそうです。禁域に足を踏み入れて、龍の姿を見てしまった自分は殺されてしまう。それなのに龍はここから去るように告げただけです。
しかし、凱翔の問いかけに龍は答えません。ただ、黙って眠りについています。
その時、ふっとある考えが凱翔の脳裏を過りました。
——この龍がいれば争いを収められるのではないのか。
天を支配する龍は強さの象徴でもあります。この龍が側にいれば七つの部族は争いをやめて、手を取り合ってくれる。そう思ったのです。
凱翔は頑固な一面もありました。龍が起きて話し合いに興じてくれるまで三日三晩、不動で立ち尽くし話しかけます。
声が枯れ果ててまで喋り続ける凱翔に龍は呆れた様子で声をかけました。
「そうまでしてお前を突き動かすのはなんだ」
凱翔は答えます。
「誰も傷つかない平和な世の中にしたい」
真っ直ぐな目をする凱翔を見て、龍は「よかろう」と返事を返すと褥から体を起こし、凱翔の側へ移動します。そして自分の背に乗るように命じたのです。
鳥と並行で飛ぶなんて凱翔は考えもしませんでした。雲を切り裂き、風をすり抜け、蒼天を泳いでいると雲の切れ目から地上で争っている二つの部族を見つけました。
「降りてください」
凱翔の願いに龍は地上に降り立ちます。
争っていたのは花と候の部族です。
死んだと思っていた男が龍の背に乗っていたことに双方の部族は驚きつつも手に持つ刀を構えました。凱翔が自分達を殺しにきたと思ったからです。
ひゅっと風を切る音が聞こえました。飛んできた矢が凱翔の胸を貫く前に龍が尾先で叩き落としました。
龍が怒りに慟哭すると見る見るうちにその体は人間へと変じます。人間の姿をとると近くにいた花の部族の若者が龍に向かって刀を振り下ろしました。龍は素手で刀を受け止めると若者の襟を掴み、地面に叩きつけました。
「平伏しろ」
龍は命じます。けれど双方の部族は従いません。
「皆さん、降伏して下さい。彼はとても強い。私達、人間の力ではとうてい敵うことはできません」
凱翔は叫びます。けれど双方の部族は武器を捨てることはしませんでした。
その結果、戦の火種が切って落とされました。花と候の部族は一時的に手を取り合い龍を撃ち取ろうとしたのです。
多数に
そして龍は次々と残る部族を圧倒的な力で捩じ伏せ、戦意を削ぎました。
最後に羊の部族が降伏を願いでた時、凱翔は華東平原を中心にして国を興します。亜とは準じる、という意味があります。凱翔は龍がこの地の本当の王と見なし、自分はその次に準じる者として亜王と名乗ったのが亜国の始まりです。
亜王が人々を統べて、龍は亜王を支える。そうして国は成り立っていました。凱翔が病没するまでは——。
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