第52話 龍の遺したもの


 凱翔は胸の病が元でこの世を去りました。亜王として君臨し、十九年目の春でした。

 主人と見なした人物が死んだことで龍はこの地を見限りました。龍は凱翔以外に従うことを良しとしませんでした。

 人の姿から本来の姿に変じると龍は城の上空を旋回し、まるで凱翔に別れを告げるかの如く一声上げました。すると晴れ渡っていた空は慟哭に誘われるかのように曇り初め、涙を流し始めます。天が、世界が亜王の死を悲しんでいました。

 龍は人々の呼びかけに気にする素振りは見せず、灰色の雲の間へと昇っていきました。


 凱翔が死に、龍がこの地を去ると国は混乱を極めます。亜王道標を亡くし、抑止力がいなくなった亜国はまた戦乱の世に戻ろうとしました。

 そんな戦乱の世を憂いたのは凱翔が残した二人の御子です。勝気な姉姫と王位を継いだ気弱な弟皇子は協力し合い、国を統べようと頑張りますが二人がどんなに民をまとめようにも誰も聞く耳を持ちません。当時の亜国は真っ直ぐで太陽のように明るい亜王と彼を影から支える龍によって成り立っていたからです。力もないただの子供に従う者はいません。

 人々が争いあう様子を見た姉姫は一縷の希望を胸に生前、父が教えてくれた龍の洞穴を尋ねることにしました。そこに龍が帰っていると思ったからです。

 一人で馬を走らせた姉姫は数日かけて龍の洞穴にたどり着きます。

 姉姫の考えの通り、龍は枯れ草の褥で安らいでいました。その姿は記憶のそれより幾分か老いていますが彼こそが父に従っていた龍だと姉姫の直感が告げます。


「偉大なる龍よ。父王亡き今、国は滅亡に瀕しています。どうか亜国を助けてください」


 姉の請願に龍は目蓋を持ち上げ答えます。


「私の主人はお前でも、弟でもない」


 冷たい拒絶でした。龍はそれっきり目蓋を固く閉ざし、喋らなくなりました。

 しかし姉姫は諦めません。父に似て頑固な姉姫は諦めることが大嫌いでした。いつぞやの父のようにその場で立ち止まり、龍に帰城を促し続けました。その姿に凱翔を重ねたのか龍はゆっくりと目蓋を持ち上げ、姉姫の姿をその瞳に写しました。


「諦めろ。お前は王の娘。そのようなみずぼらしい姿、見たくはない」

「偉大なる龍よ。貴方が頷くまで、私はここから動きません」


 なんという頑固さだと龍は呆れました。その一途さに折れたのは龍の方でした。


「私と夫婦になれ」


 龍はこの条件を姉姫が飲むのなら城に戻ると言いました。姉姫はすぐさま頷きます。自分が伴侶となることでまた亜国に平和が訪れると信じたからです。




 龍の帰還に誰しもが喜びを噛み締めました。また、この国に平穏が訪れると思ったからです。龍の力を知る大人達は龍を恐れ、また凱翔が亡くなったことで何が琴線に触れるのかわからず、その怒りを招かぬように気をつけたといいます。

 月日が経ち、龍と姉姫の間には男児が生まれます。龍によく似た、美しい御子です。月の光を紡いだ白銀の髪。黄金でできた双眸。雪の肌を覆う煌めく鱗。ふくふくとした指先には赤子のものとは思えない鋭利な爪。人ならざるその姿に人々は畏敬を込めて龍児と呼び、敬いました。

 龍は生まれたばかりの子を抱き上げると次の言葉をかけました。


「その目は万物を見通し、その耳に嘘偽りは届かない。その爪は全てを切り裂き、その足は駿馬より早く地を駆ける。お前は主人のために生まれ、主人のために死ぬ。それがお前の喜びであり、幸福である」


 それは言祝ことほぎなのか呪言なのか誰も分かりません。

 その言葉を残すと龍は本来の姿へと変貌し、長い尾をくねらせると天へと昇っていきました。

 理由を告げられず残された姉姫は龍児を弟王に預けると一人で洞穴へと向かいます。

 そして、空の褥を前に理解しました。愛した龍はとうにこの世から居なくなったのだと。父王の元へと向かったのだと……。



 遺された龍児には柳の姓名が与えられました。柳の姓名は龍と読みが同じということもありますが滑らかな木の曲線が龍の身体に、枝が織り成す音は鱗が擦れあった時に鳴る音に酷似していると感じた凱翔が愛した樹木だからと言われています。

 龍児は幼いながらに知能が高く、腕っぷしもそこら辺の男より強く、叔父である亜王を補佐しました。

 龍児が大人になると伴侶を得て、三人の御子に恵まれます。その内の一人、最も龍児に似ていた子が次の亜王に従いました。


 そして代々、次世代の龍へと血を繋ぎ、対の補佐をして今に至ります。


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