第43話 昔馴染み


 明鳳はもやもやする日々を送っていた。


「ああ、くそっ!」


 ぐしゃぐしゃと髪を掻き回し、叫びながら卓に突っ伏す。墨が乾ききっていない紙が頬に張り付く感覚を鬱陶しく思いながらも胸中を渦巻く感情を吐き出すように口を開く。


「なんなんだ?! あいつは!」


 明鳳の脳裏には涼しげな目元の美丈夫が口元を扇子で隠しながらこちらを見ている姿が浮かび上がった。


「俺は亜王なのに!!」


 記憶を辿ること五日前。明鳳は美丈夫——玉鈴に連れられて周琳の宮を訪れていた。無人になった宮で周琳が作っているという呪具を探しに行った。

 呪具はすぐに見つかったが何を思ったのか玉鈴は呪具を元の場所に戻し、「一週間、様子を見よう」と言ってきたのだ。

 一週間も待てというのか、と明鳳が憤慨ふんがいするが「それぐらい、我慢なさい」と冷たく言い放ってきた。柳貴妃として十数年、後宮で過ごし数多の怪異を解決した玉鈴がいうことだから、と己に言い聞かせるが本心を言えばすぐに捕まえたい。剛直な性格ゆえに曲がるのが大嫌いな明鳳は玉鈴と交わした約束と己の欲の間で揺れていた。


「あいつは俺が亜王だと思っていない!」


 拳で卓を叩き、大声を張るがそれに答えてくれる者は書房しょさいには誰一人いない。近くに誰かがいれば明鳳が話に夢中になり、仕事をしないと判断した丞相の命で人払いをされていた。


「思っていますよ。だから仕事をして下さい」


 なので誰もいないはずなのに耳朶に届いた声に明鳳はぴくりと肩を動かした。


「だらしのない」


 清涼溢れる声音を持つ者は明鳳が知る限り、一人しかいない。

 ゆっくりと顔を持ち上げると目の前に玉鈴が立っていた。下級宦官の衣服を纏って。


「な、なぜ、ここにいるんだ」


 震える声で問いかける。

 腰に手を当てた玉鈴は呆れた表情を浮かべつつ、自分の左を指差した。その指先を辿ればにこやかな笑みを浮かべる丞相——義遜の姿。


「私が呼んだのです」


 明鳳は「げっ」と口からでそうになる言葉を飲み込んだ。


「……お前もいたのか、丞相」

「彼とは友人ですから」

「違います」


 すかさず玉鈴は訂正する。長年の付き合いではあるが友人というほど仲は深くはない。


「どっちなんだ」


 正反対な二人の反応に明鳳は不思議そうに問いかけた。

 それに玉鈴が答えた。


「正しくは同僚です。友人になった覚えはありません」


 あまりに冷たい物言いに義遜は「酷いですねぇ」と笑う。


「友人とは知らないうちになっているものですよ」

「本当によく回る口ですね」


 袖で口元を隠した玉鈴は白けた眼差しを送った。


「お前達は仲が悪いのか?」


 どう見ても仲がいいとは思えない。二人の間に流れる空気はいつもと変わらないが口からでる言葉は刺があり、明鳳は恐る恐る問いかけた。


「彼は私に冷たいのです。私はこんなにも仲良くしたいのに」

「仲良くしたい相手ならこき使わないでいただけます?」


 白けた眼差しは次第に冷たくなる。氷の刃のように鋭さを増す視線に気付かないのか、気付いても気にしないのか義遜はため息をつく。


「使えるものは使わないと」

「本当に嫌な人ですね」


 苛立ちを隠さない玉鈴に驚きつつ、明鳳は疑問を口にする。


「それで、何をしにきたんだ」


 なんとなく知り合いだとは察していたが二人そろって書房ここにいるなんて。

 明鳳はハッと顔を硬直させた。義遜が玉鈴を連れてきたということは自分がサボっていることを叱りにきたのだと思ったのだ。


「違うぞ!」


 筆を握り、卓の上で散らばっている書類をかき集める。


「俺は真面目に仕事をしていた!!」


 突っ伏していた姿を見られた時点で信憑性は限りなく低いことに気付いていない明鳳は急いで書類に目を通しているフリをする。


「別に僕は怒りにきたわけではないです」

「なら何しにきたんだ?」

「才卿に会いにきました。そのついでにここに来たのです」


 聞こえた単語に明鳳は書類から顔をあげた。


「林矜か」

「はい」

「俺もいくぞ」


 卓に筆と書類を置くと明鳳は椅子から立ち上がった。

 それを義遜が首を振って諫める。


「明鳳様はこのままお仕事をしてください」

「嫌だ」

「嫌ではありません。ここでお仕事を続けていただいて問題ありません」


 含みのある言い方に明鳳は首を傾げた。


「どういう意味だ?」


 その問いに義遜は答えず、扉へと視線を向けた。


「聞こえていますよね?」


 何事かと明鳳が扉に視線を向けると向こう側に人の気配がすることに気付く。義遜の問いかけに慌てているのか衣擦れと沓音が嫌に大きく聞こえた。


「誰だ。今すぐ入ってこい!」


 盗み聞きされたことによる怒りから明鳳はキッと目尻を吊り上げて命じた。

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