第42話 蠱毒の依代


 血の臭いは腐敗臭を纏い、明鳳の鼻腔を刺激した。他者より鼻が利く明鳳は「うっ」と息をつめ、両手で鼻を抑えた。


「凄まじい臭いだ」


 気のせいか目も痛くなり、すがめる。どうにか腐敗臭を薄めようと考えを巡らせるが鼻をつまんでも息をひそめても緩和することはできなかった。

 原因は数多の死骸。壺に入れられ、壁に吊るされ、原型を留めないは紫色に変色した肉に残る柔らかな毛からかろうじて人間ではないと分かる。

 壺の縁から飛び出した肉塊からぽつり、と血が滴り落ちた。飛沫が衣服に付着しそうになり、明鳳は数歩、後ろに下がる。


「おい、窓を開けるぞ!」


 衣服が汚れないように裾を持ち上げながら明鳳は房室の奥にいる玉鈴に話しかけた。

 地獄の光景の中心にいても官服姿の玉鈴は澄ました顔で周囲の物色を続けるていたが明鳳の声に振り返ると「しっ」と人差し指を口元へ持っていく。


「誰もいないとはいえ声は出来る限りひそめて下さい」

「鼻が取れそうだ」


 明鳳は分かりやすく鼻をつまんだ。


「我慢して下さい。臭いが外に漏れます」


 玉鈴は冷たくあしらった。


「俺は今日、周美人を捕らえるつもりだったんだ」

「僕は捕まえるとは言っていませんが」

「あの言い方はそうとしか受け取れないだろう」


 きょとんとした顔で言われ、明鳳はむすっとした。あんな真剣な眼差しで言われれば誰だって周美人を捕まえると取るだろう、と訴える。

 それがまさか蓋を開ければ周美人の房室の捜索とは思うまい。二人っきりの時点で怪しいとは思ったが柳貴妃の考えることだと黙って付き従ったのが間違いだった。


「今夜だけなんですよ。周美人様や侍女の方々がここにいないのは」


 そう言うと肉と骨が押し込められた壺に玉鈴は腕を突っ込む。

 迷いを一切感じさせない動作に明鳳は口を大きく開けた。


「な、何をしている……?」


 ぐちゃぐちゃとかき混ぜる音を聞きながら明鳳はドン引きする。自分も恐いもの知らずだという自覚はあるが流石に血肉が満ちた壺に腕を突っ込むことはできない。


依代よりしろを探しています」

「だからと言って腕を突っ込むな」

「中身を出すと片付けるのに時間がかかりますから」


 壺の中に目的物がないと知ると玉鈴は腕を肉塊から引き抜いた。血が床に落ちないように気を付けて、次の壺に腕を突っ込む。

 明鳳は半分引きつつ、玉鈴の行動を見守った。ここで「手伝う」やそれに近い一言を漏らすと死骸を触れろと言われる可能性がある。

 その時、玉鈴が聞き慣れない単語を口にしたのに気付く。


「依代?」

「呪詛の源です」

「もっと分かりやすく言え」

「……邪法とは色々なものがありますが一番確実で強力なのが物に念を込める方法です。今回、周美人様が選んだ方法は猫を蠱毒の贄として、その恨みの念を装飾品に込めるというものです」


 しかし、翠嵐が琳から贈られた耳飾りと香袋は呪詛としての力は微々たるものだ。相手の体調を崩すことはできても呪い殺すことはできない。

 そのため玉鈴は琳が更なる呪具を準備していると考えた。琳と対話をした時、隣の房室から漏れ出てきた瘴気のおかげで呪具作成の場所は突き止めれた。

 羊淑妃が催した宴に参加する今宵は探すのに絶好の機会だ。


「蠱毒とは最も嫌忌すべき邪法です。たくさんの猫を共食いさせて、生き残った子達をこの壺に押し込んだのでしょうね。ある意味、正しい方法です。誰から教わったのでしょうか」

「正しいなんてあるのか」

「あります。邪法を間違った方法で扱おうものなら自分が呪われますから」


 玉鈴は最後に残った壺に手を突っ込んだ。他の壺と違ってひとまわり大きく、中を満たす血肉はまだ新しい。


「よく、そんなものに手を出そうと思うな」

「ものによっては殺害後の魂をこの世に縛りつけます。そうすれば魂は浄土へ渡ることもなければ、輪廻に還ることもできません。単調に殺害だけするよりもその方が長く苦しめることができます」

「……他人事だな」

「だから僕がいるのです」


 うそぶくように呟くと玉鈴は両の目を細め、ずるりと肉塊から手を引き抜く。



「見つけた」



 血に濡れた手には鈍い光を放つ銀釵かんざしが握られていた。






 ***






「なぜ何もしない?」


 尖った声で明鳳は茶を啜る玉鈴を問い詰めた。

 心落ち着く房室じしつに戻り、いつもの白襦裙に着替えた玉鈴ははて、と首を傾げる。明鳳が何に対して怒りを抱いているのか分からなくて。


「依代は見つけたのだろう」


 その言葉で彼が何を言いたのか察し、玉鈴は「ああ」と吐息に似た声を溢す。


「見にいったのは完成までの日数を確認したかっただけです」


 簡潔に返事を返すと明鳳は形の良い眉毛を持ち上げた。


「俺はお前がよく分からない。短期間だが知ろうとすればするほど、意味が分からなくなる」

「処刑は免れない。僕も止める気はありません。僕がしたいのは彼女の気持ちを軽くすることです」

「それがよく分からない」


 明鳳は唸ると腕を組んだ。


「罪人という証拠を見つけたのだから捕まえればいい。気持ちを軽くするのは獄に繋いだ後でもよかろう」

「もしもの話です。亜王様が罪を犯し、捕まったとします。自分を無理やり投獄した相手の意見をきちんと聞きますか?」


 その問いかけに明鳳は間を置かず答えた。


「いや、聞かないな」


 眉間に皺を寄せて「腹がたつ」と付け加える。


「でしょうね」


 素直な物言いに玉鈴は茶を一口飲んでから「大半は同じ気持ちを抱きます」と返した。


「特に周美人様のような熱烈な方は投獄されれば怒りの矛先がどこに向かうのは分かりません」

「なるほどな。で、いつ完成だ?」

「三日後です」


 銀釵が纏う穢れの具合からそう判断する。完成すれば身に付ければ三日も持たず、翠嵐は苦しみ息絶えるだろう。


「三日しかないのか」

「彼女の性格から考えれば完成すればすぐ才昭媛様に贈ることでしょう」

「あの女が才昭媛に危害を加える前にお前はどう動く?」


 明鳳は表情を引き締めた。時限まで後三日。その日を迎える前に玉鈴がをすると判断して。

 急に真面目な面になった明鳳を一瞥すると玉鈴は卓に茶器を置く。


「一週間、様子を見ます」

「はあ?!」


 素っ頓狂な声で明鳳は叫んだ。

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