第41話 食卓


「どうしました?」


 残念そうに片眉を下げ、振り向けば呆れた表情の尭が木影からこちらを見ていた。


「夜も更けてきたので呼びに来ました」


 尭は呆れた表情のまま近付いてくると玉鈴の手から金釵を抜き取り、髪に挿し直した。


「ありがとうございます。ああ、尭、亜王様は今宵は蒼鳴宮に泊まるそうですよ」

「夕餉の準備と夜具の準備は整っております」

「流石でっ——」


 ——す。


 腰に衝撃が走り、言葉は続かなかった。


「玉鈴様?!」


 よろめく主人の姿を見て、尭が焦った声を上げた。

 駆け寄る尭を「大丈夫です」と制し、玉鈴は下へと視線を下げた。明鳳が左手で腰を押しているのが視界に入り、何をするのだろうと眉根を寄せると少年王はふんと鼻を鳴らした。やってやったという顔をする。

 玉鈴が文句の一つでも言ってやろうと口を開くと明鳳は焦ったように尭を見つめた。


「お前は優秀だな。柳貴妃には勿体無い。どうだ? 貴閃の補佐をしないか」


 思っても見ない言葉に尭は両目を丸くし、拱手の礼をとった。


「勿体無いお言葉、痛み入ります。けれど、私は高舜様に柳貴妃様の護衛としてこの命を賭すと誓っています。高舜様との約束を反故するわけにはいきません」


 尭の言葉に明鳳は残念そうにむくれた。また機嫌を損ねてしまったらしい。

 尭は困ったように主人に視線を投げるが、笑いを堪える玉鈴はそれに気付かない。


「笑うな!!」


 明鳳はぷくりと頬を膨らました。


「ふふっ。すみません。では、帰りましょう。二人が美味しい食事を作ってくれたからぜひご堪能ください」


 蒼鳴宮には料理人はいない。住むのは玉鈴を含む三人のみなので料理や掃除などは分担して行った。昔は玉鈴も料理をしていたが度々、刃物で指を裂いたりしてまな板や食材を真っ赤に染めていたので兄妹から厨房への立ち入り禁止令がでた。誠に遺憾いかんである。怪我をしても治りが早いと言っても二人は渋い顔をして、結局、玉鈴が担当する仕事は池の魚の餌やりと書物庫の整理だけ任された。

 しかし、料理上手の二人の手料理はとても美味しい。生前の高舜は二人の手料理を楽しみにしていたし、皇太后となり多忙な日々を送る木蘭も時間が空けばよく食べに来るのできっと明鳳も気にいるだろう。


「不味ければ俺は食べないからな」

「不味いなどあり得ません」


 自信満々に言えば明鳳は信じられないという顔をした。


「お前の侍女は毒を盛るか汁物に大量の塩をいれそうだ」

「あの子は料理を残されることを嫌うのでそれはないかと思います」


 では行きましょう、と背を押すが明鳳は足を地面に縫い付けたように梃子でも動かない。手を引いていこうとしても勢いよく払われる。痺れを切らした玉鈴は「毒味はしますから、気が済んだら来てくださいね」と言い残し歩き始めた。尭も黙ってその背を追う。

 二人の姿が豆粒ぐらいになると明鳳が地団駄を踏んで大声を上げた。


「俺を置いていくな!!」


 その声にまた玉鈴は吹き出した。




***




「料理は運んでくるものだろう? どうして最初から並べるんだ。それに何故、膳で持って来ない」


 円卓に並ぶ大皿に盛り付けられた料理を見て、明鳳は首を傾げた。いつものように給仕係が膳を持ってくるものだと思っていたが仕様が違うようで驚きに固まった。


「仕事を減らす為に大皿から取り分けています。この方が皆んなで食べれますしいい事づくめです」

「そうか。俺はここに座るぞ」


 納得すると明鳳は一番手前の席に座った。その左右を玉鈴と尭で固めて、意図的に豹嘉から遠ざける。

 宦官の尭が隣に座ったことに明鳳は顔を顰めた。


「なぜ、こいつも座るんだ」

「皆んなで食すためと言ったでしょう」

「言ったか」

「言いました。冷めない内にお食べください」


 玉鈴は手前にあった山菜と猪肉のあつものを小皿に移して明鳳に差し出した。明鳳は怪しそうに両目を細め、羹の匂いを嗅ぐと恐る恐るさじで口に運ぶ。毒ならすぐに吐き出すつもりでいたが舌先に感じるさっぱりとした味わいに両目を開いた。


「美味い」


 毒ではない事を確認すると次から次へと匙で口へと運ぶ。そのがっつきに自慢げだった豹嘉は常識が伴っていないと渋い顔をした。


「おい! これをよそえ」


 よほど味が気に入ったのか明鳳が皿を持ち上げた。前に座る豹嘉は一瞥すると「ご自分ですればどうですか?」と冷たく言いい、水餃子へと箸を伸ばした。

 明鳳は豹嘉の態度に苛つきつつもまだ食べたいようで隣に座り、豚肉の炒め物に舌鼓を打つ玉鈴へと小皿を差し出し、「よそえ」と命じた。玉鈴は瞬きを一つ落とすと箸を置いて小皿を受け取り、羹をよそってやる。小皿を受け取ると明鳳はまた勢いよく食べ始めた。急いで食べると喉に詰まると注意し、玉鈴はまた炒め物を食べ始めた。


「玉鈴様は甘いです!!」


 主人に対する無礼な態度に豹嘉は両手を振り上げた。すかさず尭が「行儀が悪い」と諫めるが豹嘉は気に留めず、明鳳を睨みつける。

 明鳳は嘲るように笑い、今度は炒め物をよそうように玉鈴に命じた。豹嘉が何に対して怒っているのかきちんと理解しているらしい。あえて豹嘉を怒らせる行動をとるので豹嘉は苛々が止まらない。

 指を指して罵詈雑言を述べようとすると、


「豹嘉、やめなさい。今は食事中ですよ」


 ため息混じりに注意された。大好きな玉鈴に叱られて豹嘉は両腕を下ろし、納得がいかない表情で兄と共に作った羊肉豆腐を無言で食べた。

 その様子が可笑しかったのか明鳳は笑い声をあげ、玉鈴は食事中だと彼を諫め、そんな二人を見ていた尭は呆れ、主人を奪われた豹嘉は盛大に拗ねた。


 はたから見るととても不可思議な空間だったが、玉鈴はどこか懐かしい気持ちになった。かつて高舜と木蘭が同席した頃とはかけ離れた喧騒に包まれているが、いつぞや彼が言った言葉を思い出す。


蒼鳴宮ここは明るい方がいい』


 彼は楽しそうに言った。目の前で繰り広げられる会話を、笑顔を見て。

 きっとこれは彼が望んだ光景なのだろう。ここに彼がいないことに寂しさを感じながら、玉鈴は静かに思い出に浸った。

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