第40話 亜王の演技力


「母上よりも父上は怒らせてはいけない。絶対にだ。母上が怒ることはいつも通りなので恐ろしくはないが、父上は……思い出したくもない。なのでお前が俺の道具になりたいと頭を下げても俺はそれを受け入れるわけにはいかない」


 明鳳は残念そうに「諦めろ」と言った。

 いや、別に道具になりたいわけではない。玉鈴がいう駒は力を貸すという意味で言ったのだが明鳳にとっては道具と同意義だったらしく、どんなに首を左右に振り否定しても憐憫れんびんの眼差しを止めなかった。

 これが別の人間相手なら些細なことと放っておけるが明鳳相手はきちんと否定しなければ後々厄介そうだ。人前で「おい、道具扱いはできないが」と言われる恐れもある。もしそれが豹嘉の前ならば彼女は怒り狂うことだろう。刃物を持ち出す可能性もある。尭なら困り果てた表情で玉鈴に助けを求め、丞相は呆気に取られた挙句玉鈴を指差して笑い者にする光景は簡単に脳裏に浮かぶ。

 どう言えば明鳳は納得するだろうかと熟考するがこれと言った案が浮かばず口の開閉を繰り返した。

 悩んだ末に出てきたのは「道具扱いは嫌です」という言葉だけ。


「嫌なのか?」


 明鳳は信じられないと両目を丸くした。


「とても」

「みんなは喜ぶが」


 それは亜王の命令だから従うのであって決して喜んでいる訳ではない。そう言おうと思ったが一点の曇りもない双眸を見れば、悪いと思っていないことは一目瞭然だ。玉鈴は純粋な感情というものは時に残酷だと知った。


「亜王様は嬉しいですか?」

「そんなわけないだろう」

「他の人達も同じ気持ちだと思いますよ」

「嫌だと言われたことはないが」

「亜王様ご本人に直接言えるわけないでしょう」


 言えば投獄されること間違いなしだ。


「人間以下の扱いをされて喜ぶ人間など少ないですよ」


 明鳳は落ち込んだように肩を落とすと、


「そう、なのか」


 歯切れ悪く呟いた。


 立ち尽くし、俯いた明鳳を見て、玉鈴は思わずぎょっとした。細く長い睫毛を伏せて、唇を噛みしめ震える姿は少女そのものに見える。明鳳の母似の顔貌はしおらしくしていれば特に顕著けんちょだ。

 育ての親に厳しくしつけられた玉鈴は女人には甘い。とてつもなく甘い。手はまず出さないように言われているし、重い物を持っていれば手助けするようにいわれ、決してないがしろにするなと言われている。

 そのため、今の明鳳の落ち込みは玉鈴の良心を針でちくちく刺した。

 どう対処すべきか分からず、玉鈴はわずかに目尻を滲ませ眉を下げた。女人ならすぐさま謝罪しているが明鳳は男だ。それも亜国の王である。まだ世間を理解していない少年だが女人扱いは彼の矜恃を傷付ける可能性があるため、素直に謝罪もできない。また、玉鈴は間違えたことは言っていないため心の底から謝罪したいとも思わなかった。

 彼女の教えと自分の気持ちの狭間で揺れる玉鈴は両手を合わせて、両目を伏せる。


「えっと、ですね」


 どう声がけをすればいいのか納得のいく言葉が浮かばず、「その……」や「えっと」と繰り返していると明鳳の両肩が震えているのに気付く。


「ふふっ、お前、最初と違くないか? その方が人間っぽいと思うぞ」


 笑いを堪えてか声は震えている。玉鈴は片眉を持ち上げた。


「泣いていない……?」


 そこではたと気付く。


 ——からかわれている?


 玉鈴は恥ずかしさのあまり、顔を赤くした。そして、彼が幼い頃に叱られた時に落ち込んだ振りをして難を逃れていたことを思い出す。唯一の後継者であり、見た目が美少女の明鳳に周りはとにかく甘く、明鳳が泣き始めると周りは怒りを抑え、すぐさまその行いを許した。そのため、明鳳は両親以外から真摯しんしに叱られたことがない。

 高舜はよく「どうしたら猿芝居をやめさせれるのだろうか」と悩んでいた。その猿芝居を見たことのない玉鈴は子供の悪戯だと軽くあしらっていたが、実際に目の当たりにすれば役者同様の演技力は誰が見ても騙されると理解した。


「面白いな! ここに絵師がいればその赤面顔を書かせてやるのに、とっても残念だ」


 明鳳は腹を抱えて笑った。その少年らしい屈託のない笑顔に、玉鈴は腹底から湧き上がるふつふつとした怒りを自覚した。


「亜王様」


 玉鈴は懐から愛用の扇子を出すと顔の半分を隠した。


「とてつもなく不愉快です」


 声は氷のように冷え切っているが扇子から覗く両目は優しく弧を描く。


「絵師に僕の醜態を書かせるのならば、僕にも考えがあります」


 抑揚よくように欠けた声音で玉鈴は続けた。


「貴方様の幼い頃の悪事を全て吐露ばらします。木蘭様にも伝えて、叱るように進言します。——ああ、貴方様は母君が怒っても怖くないのでしたっけ。なら高舜様にもおきますね」


 にっこりと微笑んでやれば、比例して明鳳は今にも泣きそうな顔をして、「やめろ」と絞り出した声を出す。


「お前は龍ではない。鬼だ。悪鬼だ」


 忌々しそうに明鳳は呟くと子供のようにそっぽを向いた。腕を組み、身体ごと向きを変えていることから自分とはこれ以上話さないという意思表示らしい。分かりやすい拗ね方が面白く、玉鈴はくつりと喉を鳴らした。


「褒め言葉として受け取りましょう」


 爽やかに言えば明鳳は舌を打ち、横目で玉鈴を睨みつけた。しかし、可憐な容貌が憤怒の形相に歪んでも恐ろしいとは露にも思えず、玉鈴は先ほどよりも大きく笑声を上げた。玉鈴が笑うごとに、明鳳の機嫌は急降下し、最後には地面にうずくまった。

 友からいじけた最終段階は団子のようになると聞いていた玉鈴は、実物を見て吹き出しそうになるのを我慢し、小さな背中に「亜王様」と声をかける。だが、何度も声をかけても明鳳は団子をやめない。それどころかもっと身体を縮こませてしまう。肩を揺すっても「触れるな」と手を払われた。

 どうにか機嫌を取ろうとしていたが、このいじけようを見て悪戯心が芽生えた玉鈴はからかってやろうと髷を飾る金釵かんざしを一つ抜き取った。いつぞや翠嵐の宮で行った反魂の術のように指先に金釵の先を当てがうと背後から低い平坦な声が玉鈴の名を呼ぶ。尭の声だ。

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