第39話 龍の覚悟


「おい、そろそろ戻るぞ。今日はお前の宮に泊まるからお前の房室を貸せ。あと夕餉ゆうげの準備もしろ。腹が減って仕方がない」

「分かりました。豹嘉に伝えておきます」


 豹嘉の名を言えば明鳳は心配そうに「毒を盛らないか?」と小声で囁いてきた。どうやら明鳳にとっても豹嘉は天敵という位置付けらしい。


「心配いりませんよ。流石の豹嘉も毒殺はしませんから」

「本当か?」

「はい。心配でしたら毒味は僕がいたします」

「ならいい」


 明鳳は明朗に笑うと踵を返し、来た道を戻っていく。それに玉鈴も静かに従った。

 回路を照らす灯籠の灯りが見えた時、玉鈴は先を行く黄色の背中に語りかけた。



「明後日の」



 明鳳はすぐさま足を止めて振り返った。


「明後日の夜、周美人様の宮を伺おうと思っております」

「二日後か」

「はい」

「いいのか?」

「はい。ぜひ、亜王様にもご同行願いたいです」

「分かった」


 明鳳は力強く頷いた。


「邪魔はしないと約束しよう」

「ありがとうございます。僕も腹をくくります」

「?」


 玉鈴は優雅な動作でその場でひざまずくと頭を垂れ、供手する。


「亜王様。僕は龍の子として、また高舜様の友として後宮で暮らしてきました。僕の力は亡者を救い、導くこと。そして亜国の平穏を脅かす存在から亜国を守る事です。僕は貴方様のためにこの力を奮いましょう。貴方様の——」


 龍として。


 しかし、その言葉の先は続かない。


「止めろ止めろ!!」


 明鳳が両手を振って、玉鈴の言葉を遮ったのだ。


「なんだいきなり気持ちが悪い!」


 玉鈴が黙ったのを見届けると明鳳は暖をとるように腕を擦った。その顔にはありありと疑わしげな色が浮かんでいる。


「お前らしくもない。気持ちが悪い」

「そうでしょうか」


 跪いたまま玉鈴が問えば明鳳は「そうだ」と何度も頷いた。


「いつまでその体制でいるんだ。早く立て」

「亜王様は僕を自分の駒にするつもりだと思っていました」


 素直に立ち上がり膝についた砂を払いながら玉鈴は心外だという顔をした。


「お前が駒というたまか」

「別に僕のやることは変わらないのでいいと思っております」

「父上はお前を駒として扱ったのか?」

「いいえ、決して」


 玉鈴は即答した。高舜は自分を道具として扱う事は嫌っていた。どんな時でさえ一人の人間として扱い、対等な立場を築かせてくれた。

 まさか明鳳は高舜のように自分と友という立場になろうとしている? 玉鈴は考えた。彼の性格を慮ると玉鈴のことを道具として扱いそうだが、この短期間で成長したのだろうか。

 自分の利益だけを最優先する少年が初めて見せた公正さに感動を覚えていると明鳳は至極真面目な表情で玉鈴を睨みつけた。


「父上の友を俺が駒としてこき使えば浄土に行った際に怒られるではないか!!」


 思わずすっとんきょうな声が出たのは悪くない。


「父上はな優しいが怒らせたらとても怖いんだぞ」


「お前は知らないのか?」と聞かれるが高舜を怒らせた事は一度もないため知る由もない。


「高舜様は怒るのですね」


 知らなかった友の一面に玉鈴が驚いていれば明鳳は信じられないという表情をする。


「木登りしていたら鬼の形相で怒られた」

「それは天辺まで登って落ちそうになったからでは?」


 当時のことを思い出して顔を蒼白させた明鳳を呆れた表情で見つめながら玉鈴は眉間を押さえた。

 高舜が酒の席で大人でさえ立ちすくむであろう大樹に一人で登り、細い幹に足を付けながら飛び跳ねたりして足を滑らせて落ちそうになったと言っていた。目を話したすきに登ったらしく、明鳳の付き人が泣きながら政務を執る高舜を呼びに来たらしい。明鳳の運動神経が良かったので落ちずに済んだが下手をすれば死んでいただろう。確か明鳳が八になったばかりの頃だ。


「本で見た海というものを再現しようとしたら怒られた」

「池に塩をたくさんいれて魚は全滅。周囲も塩害で木が枯れたからですよね?」


 海に面していない亜国では塩は貴重であり、高値でやり取りされている。塩は腐敗しないため、国庫には常に大量の在庫があった。明鳳が九歳を迎える年、彼は海を作ろうと国庫から桶に塩を入れて小さな池に溶かすという遊びを行った。人目を避け、こそこそと桶で運んでいたため異変に気付いたのは水面に魚が腹を出して浮かんでいるのを兵士が見つけるまで数日かかったという。もちろん、城内は大騒動だ。池に毒を投げ込んだと考えた兵士は徹夜で池を見張り、うきうきとした顔で桶に入った白い塊を池に投げ入れる幼い明鳳を見て呆然としたらしい。


「乗馬の練習をしていたら殴られたぞ?!」

「高官に馬役を命じて、その背に乗っていたと聞いていますが」


 高舜が頭を抱えていたのを思い出す。明鳳が十つの頃だろうか。馬に乗りたいと訴える明鳳を危ないからと周囲が押さえていたが納得がいかない明鳳は近くにいた高官に命じた。「おい、馬になれ」と。高官は最初は辞退したが駄々をこねる明鳳と周囲からの諦めろという目線に耐えきれず最後は四つん這いになるのを選んだ。幼い子供の遊びならばいざ知らず、明鳳はきちんと鞭を用意させ、大人顔負けで鞭を高官の尻に叩きつけていたらしい。


 恐らく、亜国三大壊乱よりも高舜が頭を悩ませていたのは事実だ。「子育てとは大変だ」と死んだ目で顔を覆っていた。

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