第34話 碧玉の簪
「誰からの求愛にも答えず、美しくも妓女である玉葉様が将軍様の正妻になったというのは市井ですぐに広まりました。亜国を恨んでいた玉葉様は何を思って寿白様の伴侶となったのか誰も知りません。けれどすぐに二人の間には一人の姫——周美人様も生まれて、とても幸せそうだったと聞いております。しかし、周美人様が生まれてすぐ、寿白様は謀反を企てたという罪で牢獄に繋がれました」
玉鈴は眉根を寄せた。
彼の死に際は高舜から何度も聞いていた。寿白は何度も己の潔白を証明しようとしたが疑いは晴れず、最後はもっとも無残だと言われる
——しかし、妙ですね。
玉鈴は首を傾げた。先日、昭花院から預かった名簿には周琳が楊寿白の実子だとは記されていない。ましてや玉葉という妓女の名を聞いたのも今が初めてだ。
琳が寿白の娘だと知っていたのならば高舜はなんとしてでも彼女を守ろうとするはず。親友思いの彼は長い年月が経っても寿白の死を悼んで、悲しみに暮れていた。
助けられなかった。助けたかった。すまない。と、酒により虚ろになりながらも繰り返し、うわ言のように呟いた。寿白に子がいたのも聞いていたがその子も寿白と共に鬼籍に入ったのだと聞いていた。
——誰かが隠した、という事ですかね。
名簿を
何を思って改竄したのかは問い詰めなければ分からないが瑶光の話が本当なら十中八九、犯人はあいつしかいないだろう。
「周美人様は寿白様のご友人の元に養女として迎えられたと聞いております。それで、その、……」
ばつが悪そうに瑶光は膝で固めた両手に視線を落とす。
「楊家を貶めたのは才林矜様と言われてます。あっ、でも、確かではないです! 周美人様が生まれてすぐの事ですし、まして本当に主犯だという証拠もないです。ただ、市井ではそんな噂が流れていて、市井出身の宮女が後宮で話したのを皮切りにみんなそう言っているだけなので。ただ、林矜様は妓女だった時に何度も妾になるように玉葉様を口説いていたらしく、振られた逆恨みだ言われています」
「何故今になって噂になっているのでしょうか。そのお話を聞く限り、とても有名な方のようですし」
「玉葉様のことでしょうか?」
「ええ、言い方は悪いですが妓女として名を馳せ、将軍の正妻に迎えられたとなると噂になりやすいのに」
「それは、私もよく分からないです。ただ、才昭媛様が後宮入りする直前に周美人様が慌てて後宮入りした、とか。あとは周美人様の侍女の一人が玉葉様の御付きだったと一人の宮女が言い出して、それで周美人様には確かに玉葉様の面影があるという者や周美人様は才家を恨んでいるという者も現れたのです」
「玉葉様と言うのですね。周美人様の御母堂様は」
「噂が確かなら」
力強く頷く瑶光は話しは終わりだと拱手の形を取った。胸のうちをさらけ出せたことで気が晴れたのか表情は軽やかだ。
対して玉鈴は難しそうな表情で固まった。瑶光の話は名簿には記載されていない、玉鈴も初耳な情報がほとんどだった。しかし信憑性は高い。聞いて、まとめてみると一貫性もある。
名簿に記されていない情報など、いくつか不明な点も存在するがこれで周琳が犯人だという確信が得られた。
「ありがとうございます。色々と知れて嬉しかったです」
玉鈴はにこりと微笑むと慣れた動作で結い髪をまとめる簪を引き抜き、それを瑶光に差し出した。
「これを」
中央に
「えっ」
瑶光はぱちぱちと両目を瞬かせ、うろんげな眼差しで簪を見た。
「これは、どういうことですか?」
受け取るべきか受け取らないべきか迷っているらしく空中で両手が彷徨っている。
亜国では異性から贈られた簪は求愛を意味する。同性では親愛の印や感謝の意を伝えるために贈られた。しかしそれは親と子、または妃と侍女など親密な関係がある相手だけである。玉鈴は貴妃の位を与えられているが自分は宮女だ。それなのに簪を受け取るのはおかしいと瑶光は疑いの眼差しで視線を簪から玉鈴に移した。
「ただのお礼ですよ」
受け取って欲しいと言われて瑶光は困ったように固まった。正直に言って貰えるなら欲しい。自分が後宮の宮女となったのは地道に払いても貰えない給金の額に惹かれたからである。目の前の簪一つ売り払えば、さぞいい値となるだろう。しかも柳貴妃が身に付けたものとなれば定価より倍で売れるかもしれない。
瑶光は悩む。この簪一つで市井で暮らす家族はどれだけの間暮らしに困らない生活を送れるだろうか……? 今、宮女としての給金はほとんど実家に送っているがそれでも細々とした暮らししかできない。
しかし、瑶光の迷いは一瞬で消え去る。
「とても助かりました。受け取っては貰えませんか?」
同性でさえ目を見張る涼しげな美貌が困り果てるのを見て、
「い、いただきます!」
迷うことなく碧玉の簪を受け取った。
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