第33話 玉葉と寿白


 宮女は知っていた。誰が呪詛をかけたのかを。

 それを詳しく聴くため、彼女を蒼鳴宮に連れて帰ろうと思ったが豹嘉が嫉妬し煩いと予想した玉鈴は近くの東屋あずまやへと彼女を案内した。

 後宮の庭の端に建てられた六角形の東屋は一度、高舜に連れられて訪れたことがあった。

 確か、九年前。玉鈴が十七になったばかりの頃だ。背が伸び、声も低くなり、男の身体に変化していく自分が恐ろしくなり蒼鳴宮に閉じこもっていた時、高舜は「散策に行こう」と有無を言わせず玉鈴の手を引いてここまで引きずってきた。他の妃に知られたらとかしこまる玉鈴を他所に高舜は持参した酒をいつものように喉奥に流し込み、いつものように政の愚痴をいい、いつものように玉鈴の意見を聞いてきた。

 当時、何故ここに連れてきたのか分からなかったが今思えば彼なりの慰めだったのだろう。

 宮女の手を引いて石段を登りながら、玉鈴はくすくすと笑った。

 端が欠けた石段。磨り減った手摺てすり。つくえの傷。

 どれも当時と同じ。九年前よりもだいぶ廃れてはいるが、色褪せた思い出が色づいたような、なんともいえない嬉しさが込み上げてくる。

 椅子の上の落ち葉を払い、宮女を座らせると玉鈴は卓を挟んだ向こう側に腰を下ろした。


「貴女のお名前をお伺いしても?」

「私、瑶光ようこうと申します」


 瑶光はまだ居心地は悪そうだが先程よりも落ち着いた表情を浮かべた。


「瑶光様。貴重なお時間をいただき、ありがとうございます」

「様なんて! 私は市井しせいの生まれですので呼び捨てでいいです!」

「私は身分問わず様をつけるのが癖になっているので気にしないでください」


 優しく両目を細めて微笑むと瑶光は反論しても無駄だと悟ったのか言葉を飲み込んだ。


「えっと、その」

「ゆっくりで大丈夫ですよ」

「はい。えっと、才昭媛様が病で伏せられている事は宮女の間でも噂されていました。それに、周美人様が怪しいと皆んな言っています」


 恥ずかしそうに面を伏せると瑶光は静かに語り出した。記憶を整理するように、ゆっくりと。


「周美人様のお母様——玉葉ぎょくよう様は市井では妓女として名を馳せたお方でした」

「妓女、ですか」

「はい、そうです。とても美しい方で、彼女を一目見ようと沢山の男性が妓楼を訪れ、色々な方から求愛されました。しかし、相手がどのような高身分の殿方でも玉葉様は決して首を縦に振りませんでした。だから市井では玉葉様を誰が射止めるかで話題になりました」


 早口で言って疲れたのか話を中断し、瑶光は深く息を吸い込んだ。玉鈴の人柄に触れても身分の差が気がかりなのかその表情は酷く暗い。

 それもその筈だ。今から自分が言う言葉は下手をすれば処刑も免れない。美人の位を持つ妃の悪評を流すという事だから——。

 しばしの沈黙の末、ぱっと顔を持ち上げた。己の胸に手を置きながら、瑶光は真っ直ぐな眼差しで玉鈴を見た。


「……市井ではよくある話です。玉葉様のような高級妓女というのは市井の関心を集めます。それに玉葉様は亜国を恨んでいました。玉葉様の出身は亜国ではありません。南西にある異国です。幼少の頃、人攫いの手によって亜国に売られたのです。その境遇ゆえか玉葉様は本来の名を捨て、妓女として生きることを決めたと言われております。しかし、妓女となっても恨みは晴らせず、自分に会いにきた殿方を冷たく足らったといいます。だからこそ、殿方も玉葉様を射止めるため夢中になりました。玉葉様が妓女となり数年が経った時、周美人様のお父上、……確か名は、よう寿白じゅはく様の正妻として落籍らくせきされました」

「楊というと将軍の?」


 瑶光は頷いた。

 玉鈴は痛ましそうに表情を歪めた。

 薛将軍と共に先王の剣として前線をかけた楊寿白は二十年ほど昔に鬼籍に入ったと聞いている。当時、後宮入りしていない玉鈴は彼に会った事はなかったが人柄については高舜から何度も聞いたことがあった。

 酒が入ると寿白のことを思い出すのか高舜は嬉しそうに彼について語り、最後は彼の死の悲しみを紛らわすように酒を煽っていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る