第31話 訴える目線
その様子から口を挟まないと悟った玉鈴は、顔を真っ青にして立ち尽くす宮女へと視線を投げた。
「すみません。お待たせしました」
「い、いえ」
「立ったままでは辛いでしょう。そこに座ってください」
空いてる椅子を進めるが宮女はふるふると首を振った。
「このままで大丈夫です。お心遣い、ありがとうございます」
震える声で宮女は答える。
「あの、それで、えっと、どうして私は呼ばれたのでしょうか……?」
宮女の帯を背後から琳の侍女が引っ張った。驚いた宮女は「きゃ」と短い悲鳴をあげ、背後を振り向く。
「何ですかその言葉遣いは。無礼ですよ」
侍女は鋭い目つきで睨み付けた。
「貴女は柳貴妃様の質問に答えればいいだけです」
「す、すみません」
宮女はぺこぺこと何度も頭を下げた。
大きな瞳が涙で揺らめき、顔を蒼白にさせ、許しを乞う様子を侍女は侮辱するように鼻で笑う。
己の侍女の行動を琳は咎めず、宮女の鈍臭さに呆れているようだ。その隣では翠嵐が両手を空中で彷徨わせ、止めるべきか迷っていた。
「——」
その光景を見て、玉鈴は開きかけた口を閉ざした。ゆったりとした生活を好むためか他者に対してもあまり感情的にはならないがこの侍女には微かな苛立ちを感じ、眉根を寄せる。
「おやめください」
気がついたら怒りが滲む声で
「下がりなさい。私は彼女に様があって呼んで貰っただけで、叱るために呼んだわけではありません」
射るように睨みつければ侍女は視線を左右に彷徨わせ、
「し、しかし」
「……私の機嫌を損ねる気ですか?」
あまり相手を脅すことはしたくはないが、この侍女相手には強気でいかなければならないと悟る。語尾を強めると侍女は戸惑ったように俯いた。
「い、いえ」
「下がりなさい」
語気を鋭くすれば侍女は「失礼しました」と早口で言うと房室から出て行った。
その長裙が見えなくなると玉鈴はうな垂れた。自身の中に燻る苛立ちを抑えるように深く息を吐き出す。
玉鈴は「怒る」という行動が苦手だ。相手が失礼な態度をとったり、己の部下が手をあげられれば怒りを覚えることもある。だがそれに対して口に出したり、手をあげたりはあまりしない。怒りを制御できず、頭が沸騰しそうになり頭痛や目眩がするからだ。なにより、とても疲れる。疲れることはあまりしたくはない。
深く息を吸い込み、吐き出し、鼓動が、体温が平常に戻ったところで玉鈴は面をあげた。
冷静になって周囲を見つめれば翠嵐や琳、他の侍女らは困惑したように玉鈴を見ている。その視線に気恥ずかしさを覚え、頬を微かに染めた時、翠嵐が口を開く。
「大丈夫ですか……?」
おずおずと、玉鈴を慮るように話しかけてきた。
それに対し、玉鈴はにっこりと微笑んだ。
「ええ。落ち着きました」
「その、玉鈴様がここまで怒るとは思わなかったです」
「先ほどは失礼しました。彼女も気分を害していなければいいのですが……」
その言葉に琳が焦ったように口を開いた。
「あ、……えっと、大丈夫ですわ。彼女なら。それよりも柳貴妃様、侍女が無礼を働いてしまい、申し訳ありませんでした。処罰はきちんと受けさせます」
さっきまでの威勢はどこに行ったのか琳はしおらしく縮こまる。
「いえ、処罰はいりません」
琳が頭を下げるのをはっきりとした声で止めた。いつものようにゆったりとした口調なら琳がまた反抗してくると思ったからだが、琳は先ほどの玉鈴の剣幕に気圧されたのかすぐに大人しくなった。
「差し出がましい事を……申し訳ございません」
「いえ、私も怒りすぎてしまいました。お互い様です」
話を長引かせるのも、と思い玉鈴は宮女へと視線をずらした。
「才昭媛様の噂について何か聞いたことがありますか? 大なり、小なり、確信が得られていないものでも構いません」
玉鈴の問いに宮女は微かに眉根を寄せ、首を傾げる。しばしの熟考の後、ゆるゆると首を左右に振った。
「いえ、そのようなお話は特に……」
「そうですか」
「すみません。お役に立てず」
宮女は力無くうな垂れた。
「いえ」
玉鈴は笑みを返すと頭を下げた。上級妃が一介の宮女に頭を下げたことに驚いた誰かが息を飲み込む。その音を聞きながら玉鈴は宮女に再度、感謝の意を伝えた。
「貴重なお時間をいただき、ありがとうございます。お仕事に戻っていただいて構いません」
「いえ、勿体ないお言葉です」
宮女が退室しようか腰を上げた時、琳が傍らに控えた侍女に何やら耳打ちした。侍女は頷くと静かな動作で宮女の近くへと移動する。
侍女が近づくと注視しなくても宮女の肩が強張ったのが分かったので玉鈴は琳へ疑念が滲む瞳で視線を投げた。その視線に気づいた琳は困ったように微笑みを返す。
「案内と、ほつれた布を渡すように頼んだだけですわ。手を出せ、などは命じていませんのでご安心して下さいませ」
早計だった。
「それは失礼しました」
すぐさま先ほどの視線を謝罪するが琳はさして気にはしていないようで「いいえ」と笑みを深めた。
「えっと、では、失礼しました」
宮女は琳の侍女に促され、扉へと歩いていていくが最後、誰にも悟られないように玉鈴を見つめた。何かを訴えるようなその視線に気づきながらも玉鈴は喜々とおしゃべりを始める翠嵐と琳を眺める。きっと宮女も琳の前で話しかけられるのは嫌がると理解して。
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