第27話 おかしな侍女達


「今日はお一人ですか?」

「はい、秋雪は他の侍女から仕事を言い渡されたらしく来れませんでした。なので私一人で来ました」


 翠嵐はまた恥ずかしそうに俯いた。通常、主人が他の妃嬪の宮に向かう際は侍女や宮女を伴うのが必要がある。主人を一人で向かわせることは決してしない。侍女の数はその妃の地位の高さを表すからだ。上級妃ともなれば連れ立っていく侍女の数は片手でも足りない。翠嵐が与えられた昭媛の位は妃嬪の中でも上位に当たる。それなのに一人もついてこず、翠嵐が一人で他の妃嬪の宮を訪れようとしても誰も止めないということは翠嵐は秋雪を除いた侍女達から虐めを受けている可能性があった。

 その事を翠嵐自身も感じているのかその美貌には陰りが見える。

 思いも寄らない問題を見つけ玉鈴は嘆息する。それと同時に侍女達の愚かさに呆れた。


 ――愚劣ですね。


 亜王の妃を辱めたことで己が罰せられるとは考えていないのか。気弱な翠嵐だからこそ問題にはならないが下手をしたら首を刎ねられかねないのに。無垢だが礼儀知らずな秋雪といい、他の侍女といい、翠嵐に与えられた侍女達はどこかおかしい。


「才昭媛様と秋雪様は仲がよろしいのですね」

「はい、彼女は大切な友です」


 翠嵐は綻ぶ笑顔を浮かべた。

 しかしすぐ美貌には陰が射す。


「その、彼女の行動を多目に見ていただいてありがとうございます」


 胸の上で拳を握りしめ、翠嵐は頭を下げた。

 その言葉に玉鈴は悟る。ここを訪ねてきた当初の言動を指しているのだと。確かに上級妃の侍女とは思えない言動だった。


「僕はさして気にしてはいません」

「やはり、お優しい方」

「僕も他人の侍女に口を出せる立場ではありませんが、少々言動は気になりますね。侍女になり日が浅いのですか?」

「はい。一年にも満たないです。私が後宮入りする直前に父が買い取った子なんです」


 なんでも他の侍女は逃げ出してしまったらしい。

 名門才家に使えていたけれど、当主やその妻、子供らの虐めに耐えることができない者の多くが一年程で辞めていく。

 だが才家の看板はとても大きい。多少の金をチラつかせれば侍女になりたいという人間は次から次へと現れるので翠嵐の父、林矜はさほど気にはしていなかった。

 けれどその考えはすぐさま否定された。

 末娘の翠嵐が亜王と歳が近いということで後宮入りが決まったからだ。

 その話が持ち上がった当初、林矜は謙遜し「末娘は妃となる教育を施していない。亜王様の伴侶となるにはいささか厳しいのでは」とへりくだった態度を取った。代わりに翠嵐の姉を後宮入りさせると言ったがそれは丞相に一蹴された。本来、丞相という立場は亜王の補佐であるが、まだ幼い明鳳では政治を任せられないということで皇后と共に摂政せっしょうっている。いくら林矜が才家の当主で、高官だとしても亜王の代理にかなうわけがない。

 さぞや林矜は焦っただろう、と玉鈴は予想した。大金を叩いて侍女を幾数人買い取り、翠嵐につけたようだが期間が短い分満足な教育も施すことができない様子を見れば。

 明鳳が大人しいと評していたのは、下手に目立つのを避けていたのだろう。


「才卿は貴女を手放したくはなかったのですね」


 玉鈴の言葉に翠嵐の肩が小さく跳ねた。


「そうではありません」


 渇いた声で翠嵐は否定する。


「ただ、私が表に出るのを嫌がっただけです」


 父は私を殺したい程憎んでいますから、と翠嵐は呟いた。

 それは違う、と玉鈴が否定しようとしたところ翠嵐は悲しみで暗く濁る瞳を玉鈴に向けた。


「玉鈴様はどこまでご存知なのですか?」


 声には不安が滲んでいる。


「失礼だとは存じております。確認したいのです」

「全て、ではありません」


 首を振る玉鈴を見て、翠嵐は悲しげに笑みを浮かべた。


「やはり……」


 はくはくと口を開閉させるが続きの言葉が浮かばないのか口を噤むと、感情を逃すように細い指先が長裙を強く握った。

 その笑顔がとても悲痛で、痛々しくて、玉鈴は無意識に手を伸ばした。節だった指先が、蒼白の頬に触れようとした時、


「玉鈴様」


 酷く冷たい声がそれを止めた。


「尭」


 視線を声の方向に向ければ、茶器が並ぶ盆を手にした尭が困ったように房室の入り口からこちらを見ていた。


「茶を持って来ました」

「ありがとうございます」


 玉鈴が腕を下ろすのを見守った後、翠嵐が怯えないようにゆっくりと歩を進ませ卓へ近づいてくる。音を立てないように茶器を卓に並べると尭は玉鈴を一瞥した。

 その瞳に微かに灯る怒りに似た感情を感じ取る。生来より生真面目すぎる尭は規則に煩い。それは敬慕けいぼして止まない玉鈴相手でも遺憾なく発揮された。

 特に尭は、玉鈴が亜王の妃に触れる行為を一番嫌っていた。であれば目を瞑るが、それ以外はすぐに視線で咎められる。妹とは違い、決して手を出さないが目つきが鋭い尭に睨まれると一瞬身が竦んでしまう。

 盆を抱え直し、玉鈴の背後に控えた尭を見て、翠嵐はこてんと首を傾げた。


「本日はお出かけする予定でした?」

「ええ。けれど、すぐにではありません。正午に周美人様の宮に向かおうと思っております」

りん様の元にですか? それならば私もお供したいです」


 胸の前で両手の指を重ねると翠嵐は嬉しそうに声を弾ませた。

 ころころと変わる表情に驚きながら、玉鈴は困ったように顔をしかめた。


「それは構いませんが、体調はまだ良くないのでしょう?」


 呪詛避けの巾着を渡していても病み上がりの身ではキツいだろう。純粋に心配しての言葉だが翠嵐はさして気にしてない様子で胸を張った。


「大丈夫です! とても晴れやかな気分ですわ。ここまで一人で来れましたもの」


 大事を取って休むように進言しようとして、玉鈴はふと考え込んだ。尭と二人で周美人の元を訪ねるよりも、翠嵐が共にいる方が彼女の真意が分かるのではないだろうか? 直接対話した事がないため周美人の人柄は分からないが気心知れた者が近くにいれば、きっとその本心に触れる事ができる。

 病み上がりの翠嵐の体も心配だが、見てる限り気力はあるように思う。それに玉鈴が断れば、気弱な翠嵐は酷く落ち込む可能性もある。気を病み、塞ぎ込むぐらいならばいっそのこと彼女も連れて行こう。

 それに、柳貴妃としての自分は呪術に精通する変わり者と後宮内では称されている。自分より身分が高く――語弊はあるが――先王の寵姫だった妃が一人の宦官を伴い、訪ねるとあらぬ誤解を招く恐れがある。翠嵐を連れていくのは自分にも、彼女達にとっても得策ではないだろうか。

 そう完結すると玉鈴はふわりと笑みを浮かべた。


「無理は禁物ですよ。体調が優れなければすぐに言ってくださいね」

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