第28話 周美人


「お初にお目にかかります。美人の妃位をいただいております。しゅうりんと申します」


 玲瓏たる声音がはきはきと言葉を述べる。琳は気丈な容貌を際出させる笑みを浮かべ、うやうやしく顔を持ち上げた。意思の強そうな黒曜の瞳が真っ直ぐに玉鈴へ向く。探るようなその眼差しは「柳貴妃がなぜここにいるんだ」と書かれているが、視線が合うと一転して穏やかに孤を描いた。


「柳貴妃様自らお運びいただきまして、恐縮の限りでございます」


 立ち振る舞いはとても美しい。しなやかな豹のような女性、というのが玉鈴が一目見て抱いた印象だ。

 明鳳が嫌悪感丸出しで拒絶していたが、確かに気が強そうな琳は自由気ままな明鳳とは気が合わないだろう。貴妃の座に座る玉鈴を前にしても毅然とした態度を崩す事はない。


「急な来訪、お許し下さい」

「いいえ。陽帝の御代から亜国を支えてくれます龍神の愛し子である貴女様の命ですもの。わたくし、喜んで応じますわ」


 陽帝――先王、高舜のおくりなである。


「それで本日はどのような御用でしょうか?」

「才昭媛様にかけられた呪詛について聞きたくて尋ねました」


 琳は眉尻を下げると心配そうな眼差しを隣に座る翠嵐へと向けた。


「昨夜、翠嵐様からは書簡てがみを頂きました。やはり、猫の鳴き声とは呪詛だったのですね。けれど、柳貴妃様のお力で翠嵐様はよくなったようで安心しましたわ」

「呪詛の件はまだ解決してはいません。今日は貴女様に色々聴きたい事があり、訪ねました」

「はい、何なりと」


 琳は笑みを濃くした。


「あまりお力添えにはならないと思いますが」

「いいえ、貴女様から聞きたいのです。お恥ずかしながらは宮から外にあまり出ることはなく、後宮内で起こった出来事に詳しくないのです」

「あら、そうでしたか。では何から話しましょう?」


 琳はどこか楽しそうに言った。他人に頼られるのが好きなのだろうか。


「貴女様は才昭媛様より早く後宮に上がったと聞いております」

「はい、半年ほどです」

「才昭媛様が後宮入りをしておよそ二週間。あまりにも呪詛をかけられてからの進行が速い。私が知りたいのは『複数の人間が彼女を害しようとしている』のか、『才昭媛様が後宮入りする前から準備をしていた』のか、という事です。周美人様は才昭媛様と仲がよろしいと聞いております。何かご存知ではないですか?」


 玉鈴の問いに琳は首を傾げて考えこむ仕草をした。

 その隣に座り、会話の行方を見守る翠嵐も自分にかけられた呪詛を思ったのか表情を暗くさせて、何やら考え込んだ。


「いえ、特に聞いたことはありません。わたくしよりも宮女の方が詳しいと思います」


 各宮には妃の世話役として宮女が配属される。内膳や内掃などの雑務を背負っており、妃からの使い走りなども頼まれていた。その鬱憤を晴らすかのように彼女達は妃達の噂話に精通していた。

 その噂話には尾ひれが多く付くものが多いが、聞いてみるに越したことはないだろう。


「彼女達の語る話は真実もあれば嘘もあります。けれど、わたくしよりも断然、詳しいと思います」

「宮女、ですか」


 玉鈴は悩ましげに表情を歪めた。宮女は特に自分を毛嫌いしているのを思い出す。龍人の半身と呼ばれ、それ故に引きこもり生活を満喫しても咎められる事はない妃をよく思うわけがない。それに加え、呪術に精通していると噂されれば格好の獲物である。

 彼女達が嬉々として話す噂話の多くが柳貴妃の人柄に関するものだが、時折「先王が寵愛していた妃を呪殺した」だの勘違いもはなはだしい噂を言う者もいた。

 果たして玉鈴が問いただしても真実を教えてくれるだろうか。


 ――必要になれば宦官としていきましょうか。


 彼女達は宦官の格好をした玉鈴にはとても甘い。物腰が柔らかく、見目麗しい宦官に気に入られようと我先にと色々教えてくれようとした。

 そう考えると柳貴妃としてではなく、一宦官として近付いた方がいいだろう。


「柳貴妃様のお時間を頂ければなんですけど、もう少しここでお待ちになってはどうでしょう? わたくしの侍女に呼ばせますわ」

「それは、ご迷惑ではないでしょうか?」

「いいえ、とんでもございません。近々、宮女に衣のほつれを縫って貰おうと思っていましたし、丁度いい機会ですわ。それに、」


 琳は婉然と微笑むと翠嵐へ視線を移す。


「翠嵐様ともう少し、お話したいと思っていました。床に伏せていらした間、話すことが出来ず、わたくしとても寂しい思いでした」

「私もお話したいです。玉鈴様がもしよろしければ、一緒に待っていませんか?」

「……そう、ですね」


 玉鈴は歯切れ悪く呟き、難しい顔すると背後に無言のまま控える尭に視線を投げた。

 尭も同じことを考えていたのか、いつものむっとした表情を濃くして頷いた。

 その行動を見て、琳と翠嵐は顔を見合わせた。


「何か用事がありましたか?」

「いますぐ、ではありませんから大丈夫です」


 玉鈴は頭を振った。

 嘘ではない。だが、困ったことになった。そろそろ明鳳が蒼鳴宮に突撃してくることだろう。今現在、蒼鳴宮には豹嘉が一人残っている。二人を鉢合わせると今度こそ壁に穴を空けられかねない。

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