第26話 房室


「気にしないでください。それで、こんな朝早くにどうされました?」


 まだ陽があがったばかりに訪れるなんて何かあったのだろうか。心配そうに顔を覗き込む玉鈴を見て、翠嵐は安心したように顔を綻ばせた。


「その、朝早くとはご迷惑かと思いましたがどうしてもお会いしたくて」


 翠嵐は恥ずかしげに袖で顔を隠す。


「本当に迷惑ですわ。なんで誰もが玉鈴様の眠りを邪魔するのかしら」


 豹嘉が苛立たしげに吐き捨てた。その無礼な物言いに顔を顰めた尭に脇を小突かれたようで小さく呻き声をあげた。痛みによって目尻には涙が浮かぶ。


「尭、豹嘉を連れて下がりなさい」


 これ以上、茶々を入れられたらたまらないと玉鈴は尭に命じた。

 尭が豹嘉を引きずって去ったのを確認すると玉鈴は房室へ案内するため翠嵐についてくるようにうながし、陽が完全に昇り先ほどよりも明るくなった回廊を歩く。

 その際、玉鈴はちらりと横を歩く翠嵐を見下ろした。気になるものがあるのか翠嵐は周囲を不思議そうに見渡しており、名を呼ばれた驚いたように顔を持ち上げた。


「お怪我はありませんか?」

「ええ、大丈夫です」

「後で叱りつけておきます。あの子への罰は僕が受けますのでご容赦ください」


 口と共に手もでるのが豹嘉だ。それに翠嵐の性格を考えると殴られても黙っている可能性があった。玉鈴はさっとバレないように翠嵐の身体を観察する。歩く動作に庇う仕草はない。どうやらまだ手は出していなかったらしい。そのことに安心し、玉鈴は胸を撫で下ろした。


「どうされました?」


 翠嵐が頬を桃色に染め、玉鈴を見ては床に視線を下ろし、また持ち上げて玉鈴を見つめているのに気づく。


「え」

「何か気になるのかと思いまして」

「その」


 桃色の頬を更に赤くして翠嵐は俯いた。


「ゆっくりで構いませんよ」

「玉鈴様は妃嬪ですが、殿方で……。私、殿方の寝起きを見るのは初めてでして」


 その言葉に「あ」と思い出す。玉鈴は急いで自分の衣装を見下ろした。視界に入ったのは白の衣。寝衣である。今思えば、化粧もしておらず、髪も整えていない。陽物を切り落とされてから髭も生えないので見た目は下品ではないと思うが、それでも人間として人前に出ることはあまりよろしくない。

 自覚すると急に恥ずかしさを覚え、玉鈴は袖で顔を隠した。


「お見苦しい格好をお見せしました。すぐに着替えてきますのでこの房室でお待ちください」

「いえ、見苦しいとかではなくて、少し恥ずかしくて」

「流石に女人の前に出る格好ではありません。失礼します」


 赤い顔を隠しながら玉鈴は着替えのために踵を返し、自室へと向かった。






***






「お待たせしました」


 まだ羞恥が引かないらしい。頬を上気させた玉鈴が恥ずかしそうに俯きながら姿を現した。紅裙こうくんを引きずり入室すると長椅子に座らずきょろきょろと周りを見渡している翠嵐を見て心配そうに顔を歪めた。


「ずっと立っていたのですか? 身体を痛めます。お座りになってはどうでしょう?」


 随分待たせてしまったことと病み上がりの身体を酷使させたことに対して謝罪の言葉を述べる。

 玉鈴に促され翠嵐は長椅子に腰を下ろすがまだ周囲の興味が失せないらしくちらちらと周囲を見渡すのを止めない。


「想像と違いますか?」


 ここを訪れた妃嬪は皆、柳貴妃という存在を道士の類と認識しているのか話を聞くため客間として使用している房室へ通せば、呪術道具が置いていないかと周囲を観察した。今のように問えば、彼女たちは言葉を濁す。けれど本心は怪しい道具が溢れていると思っているという事はなんとなくだが察していた。

 彼女達は何故か玉鈴の持つ道具に興味津々だった。中には呪術道具目当てに蒼鳴宮に忍び込もうとした妃嬪もいたぐらいだ。呪具を持ち去られてもまた用意すれば問題ないため玉鈴は特に気にはしない。ただ、使い道も分からないものをよく持っていくな、と思うだけ。

 中には曰く付きのものも多数存在していた。亜国の各地からお清め目的のため、集められたそれは触れるだけで呪われてしまうものもある。これらは盗難被害を避けるため、危険度の高いものは鍵付きの房室に保管してある。勿論、玉鈴が持つ鍵しか開くことはできない。


「その、洗練されていると思って」


 その視線に嫌らしさはない。ただ純粋に興味を持っただけらしく、和やかなものを見るように玉鈴は頬を綻ばせた。

 翠嵐は恥ずかしそうに膝に視線を落とした。


「派手な内装は目に痛いので苦手なんです」

「目の色が薄いからでしょうか? 昔、目が緑や青色の方は日光の下では黒の目より眩しく感じると聞いたことがあります」

「確かに、こっちの目は視力はよくないです」


 玉鈴は右目を瞼の上から撫でた。普段は特に気にしたことはないが言われてみれば日光の下では左に比べ眩しさを感じていたように思う。

 恐らく幽鬼の類が見えるのは己だけだろうが目の色によって体感が違うとは面白い。他には違いがあるのだろうかと思考を巡らせていると熱っぽい視線に気付く。

 顔をあげると翠嵐が自分を見ていた。どう反応を返せばいいか分からず、とりあえず微笑んだ。それを見た翠嵐は頬を染めて視線を落とした。

 その時、背後に秋雪の姿がないと気づく。

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