第23話 赤子の癇癪


「嫌だ! 拒否する! 絶対に許さない!!」


 まるで赤子の癇癪だ。十四歳には到底見えない怒りように玉鈴は何故か自分の胃が痛くなり、衣服の上から抑えた。

 亡き親友から――半ば強制的にだが――任された子息は、一国を背負う者には決して見えない形相で駄々を捏ねた。

 玉鈴の心中を察していないのか、明鳳は怒りで顔を赤く染めている。


「ですから僕と尭でいきます。亜王様はぜひ書類仕事にお戻り下さい。滞っていると聞いていますよ」


 つとめて優しく。まるで幼子に対するように説明する。

 しかし、これであっさりと納得する明鳳ではない。


「俺はお前の手腕を見るんだ! 職務など後で構わないだろう」

「こんな朝早くからここに来て、謁見はどうしたのです?」


 現在、明六つ(早朝六時頃)。本来ならばこの時間帯は赤宋門せきそうもん前の広場にて、文武百官からの報告があるはずだ。毎朝行う恒例行事は体調不良以外は必ず行っていた。

 目の前できゃんきゃん犬っころのように吠えまくる明鳳は元気そうに見える。


 ――どうせ、義遜様に押し付けたのでしょう。


 玉鈴の勘は当たっていた。


「丞相に任せたから大丈夫だ」


 明鳳はふんと鼻で笑った。


「問題ないだろう?」


 自信満々のその様子に、今度は頭痛がした。

 こめかみを抑えながら、玉鈴は遠い目をした。


「問題大有りですね」


 ここまで亜王としての自覚が無い人間というのも珍しい。


「何故だ?」

「亜王としての職務です」

「いつも内容は変わらないだろう」

「だからといってさぼっていいわけではありません」


 押し問答だ。

 明鳳が駄々を捏ねるのはひとえに周美人の宮に行きたくないという理由からだった。どうにも婚姻の儀での嫌悪感は拭えないらしく、渋い顔で「嫌だ」だの「ふざけるな」だのと繰り返す。

 だからといって職務に戻るのも嫌らしい。戻りたくない理由というのも広場には顔に笑みを貼り付けたまま怒る丞相がいるからだろうが。

 自尊心が高く、言葉には表さないが明鳳はできれば玉鈴が周美人の宮に行くのをやめて欲しい。それが無理ならば自分は蒼鳴宮に残りたいと雰囲気が物語っていた。

 けれど、その願いは叶えることはできない。玉鈴にとっては犬猿の中とも言える明鳳と豹嘉、二人を蒼鳴宮に残すのが心配だった。

 立場を理解する尭を置いていくかとも考えたが、周美人の宮には柳貴妃として赴くと伝えてある。さすがに従者無しで向かうことはできない。

 致し方ない、と玉鈴は諦めた。


「亜王様。実は、一つ困ったことがありまして……」


 玉鈴は柳眉を下げ、両目を伏せると袖で口元を隠してしなを作る。できる限り、弱々しくみえるように。

 生来の儚げな容貌はその仕草だけで、見た者は懸念を抱く。それは明鳳も例外ではないらしく。


「なんだ?」


 急にしおらしくなる玉鈴に訝しみながらも心配が滲む声音を発した。


「才昭媛様のご尊父様にも呪がかけられていると思うのです。けれど、僕は不相応ながら貴妃の地位を与えられています。後宮の外には出られない身です」


 ゆったりと、情緒を持って喋る。


「確かに妃であるお前は出ることはできないな……。いや、あの宦官服はどうだ? 才昭媛の宮に訪れた時に着ていただろう。それなら俺の部下としてなら連れ出してやれる」

「下級宦官風情の言葉に彼は耳を傾けるとは思えません」

「林矜は猜疑心さいぎしんの塊のような男だからな。宦官に声をかけられれば自分に取り入ろうと考えて警戒するだろう」


 明鳳は腕を組んで首を傾げた。うんうんと唸りながら、数秒の思案の後、ぱっと顔を持ち上げた。


「わかった。つまり、俺が聞けばいいんだろう」

「よろしいのですか?」

「お前はできないのだろう? ならば俺がやろう」


 頼られて嬉しそうだ。満面の笑顔で明鳳が任せろという風に拳で胸を叩いた。


「ええ、ぜひ。とても助かります。さすが亜王様です」


 ここぞとばかりに玉鈴も手のひらを合わせて微笑むと賛辞を述べた。

 どう見てもお世辞が含まれているが明鳳は気付いていないようで嬉しそうだ。


「後で周美人の話を詳しく聴かせろ。いいな」

「はい。わかりました」

「後でまた来る」

「はい。お勤め、頑張ってください」


 ふんわり微笑んでやれば気を良くした明鳳は「ああ!」と言って回廊を駆けて行った。

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