第24話 疲労


「――尭、豹嘉。いつまでそこにいるんですか?」


 足音が聴こえなくなり重い腰をあげた玉鈴は幾分か不機嫌そうな声で柱の影に隠れる二人に尋ねた。普段は物腰柔らかな人柄だが朝が得意ではない玉鈴は苛立ちを隠すように乱雑に前髪を掻きあげる。近くにあった長椅子に腰掛けると深く息を吐き出した。

 ややあって尭が恐る恐る顔を覗かせた。


「聞き耳を立ててしまいました。申し訳ございません」


 その胸元では尭によって口を閉ざされた豹嘉が怒り心頭の様子で腕をバタつかせていた。離してくれ、と何度も尭の腕を叩くが尭は無情にも腕の拘束を解くことはしない。

 玉鈴が離してあげろというまで拘束を続けた。


「酷いわ!」


 やっと解放された豹嘉は顔を真っ赤にし、叫びながら尭の胸をぽかぽか叩いた。細腕だが端から見ると力がこもって痛そうだ。


「豹嘉。兄を殴ってはいけませんよ」

「でも!」

「でも、ではありません。貴女、亜王様に讒謗ざんぼうするつもりだったのでしょう。尭はそれを止めただけです」

「私だって分別は弁えているつもりですわ! 怒ってばかりいません!」


 豹嘉は玉鈴の元に駆け寄ると強張った声で弁解した。


「けどこんな早朝からくる阿呆も阿呆です。玉鈴様のお眠りを妨げて飄々としてるなんて」


 阿呆とは明鳳のことだ。豹嘉は本心から気に入らないらしく明鳳のことを意地でも敬称で呼ばない。

 何度注意しても表面的でしか反省しない侍女に玉鈴はほとほと呆れ果てた。


「丁度いいです。朝食後、周美人様の宮に向かおうと思っています。豹嘉、準備をお願いします」

「もう少しお休みくださいませ。ただでさえあの愚図に叩き起こされたのですから」


 口には出さなくても内心同意する。

 まさか日も昇らない早朝、臥室しんしつに押しかけてくるとは思うまい。眠りが浅い玉鈴はとばりが持ち上がる気配で起きたが薄闇の中、爛々らんらんと輝く眼が自身を見下ろすのを見て、柄にもなく喉奥から変な声が出そうになった。


「歳ですかね」


 玉鈴は眉間を掴んで硬く両目を瞑った。十代の頃は夜遅くに就寝し日の出とともに起床する生活でも疲れたりしなかったが、最近は疲れて仕方がない。欠伸を噛み締め、固まった身体をほぐすため身体を伸ばす。


「そんな事ないです! いつもと変わらず玉鈴様はお美しいです!」

「ありがとう、豹嘉」

「でも最近はとても疲れている風に感じます」


 豹嘉は苛々した口調で「あの木偶の坊が訪れてから」と付け加えた。

 あながち間違えでもないため玉鈴は訂正しない。明鳳は自由気ままに生きる男だ。嵐のように訪れたと思えばすぐさま去っていく。それによりいつもの歩度を掻き乱され、疲れが蓄積していた。


「そうですね。……彼を見ていると木蘭様を思い出して、少々疲れます」


 活動的すぎる明鳳の母を思い出す。嫌いではないが、ゆっくり過ごすのを好む玉鈴は彼女が少々苦手だ。思えば勘違いで蒼鳴宮に押しかけてきた時から苦手意識が働いている。


「とても気力溢れる女性でしたね。最近、ここに来られないけどどうしたのでしょうか?」


 どういう訳か木蘭は蒼鳴宮が気に入ったらしく高舜を伴わなくても自由勝手にここを訪れた。それは明鳳が亜王に即位してからも変わらない。ただ、最近は頻度が減ったように思う。


「さあ……。彼女も皇太后になりましたし多忙なのでしょう。亜王様もまだお若いから周りが補佐しなければいけませんし」

「残念です。面白い方なのに。あの餓鬼がきちんと亜王としての責務を果たせばまた以前のように来てくれますかね」

「豹嘉は高舜様と木蘭様のことは好きなのに、なぜか亜王様のことを毛嫌いしてますね」

「だって玉鈴様を傷付けましたもの。それなのに好きになるわけないです」


「ああ、そんなこともありましたね」と思い出したように玉鈴が呟いた。

 その言葉に豹嘉の顔が歪む。不服そうだ。


「玉鈴様は御身のことを軽視してますわ」

「そうですか?」

「ええ、刃物を突きつけられても、殴られて、床に押し付けられても、ころっとお忘れになるじゃないですか」


 豹嘉は腕を組み、頬を膨らますとそっぽを向く。


「いくつお命があっても足りません。肝が冷えます」

「怖いもの知らずの豹嘉に言われると納得ができませんね」


 袖で口元を隠すと玉鈴はくすくす笑う。その側では尭も「そうだ」と頷いた。


「酷いです! もういいです! 私は夜具を整えてきますから」


 むっとした顔のまま豹嘉は再度眠るように申告すると長裙を翻し、玉鈴の房室へ向かった。

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