第18話 才昭媛
「これを肌身離さず、持っていればいいのですね」
桜貝が可愛らしい指先が藍色の巾着を包み込む。翠嵐は手のひらに視線を落とすと表情を緩めた。
「とても可愛らしい。ありがとうございます」
玉鈴は柳貴妃として翠嵐の元をたった一人で訪れた。親友の喪に臥す名目で常日頃、愛用していた
対面する翠嵐は若草色の襦裙に
「……今日は、亜王様はお見えではないのですね」
巾着を指先で弄ぶのをやめると翠嵐は目を伏せた。
豪華絢爛に飾られた房室は玉鈴と翠嵐、秋雪しかいない。そのためかとても和やかな空気が満ちている。亜王と大長秋がいないことで翠嵐も
「職務があるらしいので来れないようです」
「そう、ですか」
翠嵐はどこかほっとしたように息を吐き出した。
「苦手ですか?」
「いえ、その、緊張してしまって」
といいつつ視線は左右泳ぐ。
それを見て、玉鈴はくすりと笑った。
「自我が強いですからね」
失礼な物言いに翠嵐は口元を袖で覆う。
「亜王様を見ているとお父様を思い出します」
「亜王様と
玉鈴は素直に疑問を口にした。確かにどちらも我が強く、私利私欲な性格の持ち主だ。翠嵐の父である林矜は狡猾だと有名だが、明鳳は子供の無邪気さに通ったものがあった。あれが欲しいから欲しがる。嫌だから断る。どんな状況でも自分の気持ちを最優先させていた。遠目から見れば確かに似ているが本質を見れば大いに違うと感じた。
「……父は、私のことを嫌っております。私が息をするのさえ嫌がります。正直に自分を貫く殿方は、私は苦手です」
「亜王様は才昭媛様を嫌ってはいませんよ」
かける言葉が見つからず、玉鈴は慰めるように言葉を連ねた。
「彼はただ無知なだけです。大人になりきれていない子供なのです」
とても失礼な物言いに翠嵐は驚き固まった。ここに明鳳がいれば――玉鈴が恐ろしくて大口を叩かないだろうが――怒ることは容易に想像つく内容だ。
「貴方には怖いものはないのですね。羨ましい」
「僕の立場が特殊だからですよ。それに彼は赤子の時から会っていますから、子供よりも赤子のように思ってしまうのです」
玉鈴は昔を思い懐かしむ。次期亜王となる皇子が生まれた時、高舜は
真紅の薔薇が似合う肉感的な美女である
二人は玉鈴の元を訪ねると関わりたくないと拒絶する玉鈴の意見を無視して明鳳の世話を命じた。
赤子だった明鳳は今と変わらないぐらい活発で好奇心旺盛だった。手にした物は全て一度は口に入れる食い意地の悪さに少しでも気に入らないことがあれば大声量で泣き喚き、腹這いができるようになれば自由気ままに好きな場所へ行こうとする行動力……当時のことを思い出すと目が遠くなる。
——本当に悪い意味で成長しましたね……。
二人があそこまで明鳳と玉鈴を触れ合わせたかったのは、明鳳が高舜の跡を継ぐのを想定してだということは理解していた。
玉鈴は翠嵐に気づかれないように嘆息する。出来ることならば関わりたくはなかったのが本心だ。蒼鳴宮で自由気ままに過ごし、時折、後宮の怪異を解決する。そんな生活を望んでいたのに、
――結局の所、面倒ごとを押し付けられただけですね。
とんだ外れくじを引かされた気分だ。
「亜王様が赤ちゃん、ですか」
「はい。今より可愛げはありましたね」
小憎たらしい言動をしない分、可愛げはあった。小石程度には。
「失礼かと存じますが、柳貴妃様は
翠嵐が恐る恐る聞いてきた。
「……僕は今年で二十六になります」
その問いにたっぷりと悩んだ末、玉鈴は答えた。十一歳で後宮入りし、翌年に明鳳が産まれた。そこから十四年が経っているので、現在二十六歳で合っている。……はずだ。
自身の歳に興味がないため、即答えることができない。歳が知りたければ豹嘉に聞いていたので覚えている必要がなかった。
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