第15話 昭花院


「名簿を用意しました」


 分厚い紙の束を両手に持つ尭が房室へやに入ってきた。

 塔のようの高さがある束を崩さないように、ゆっくりと玉鈴の前へ置く。


「該当する妃の記録はこれが全てです」

「やはり、量がありますね」


 玉鈴は紙の束を見つめた。尭が持ってきた名簿は十一冊に分かれており、束ねると一尺(約三十センチ)ほどある。


「年々、昭花院しょうかいんの官は仕事が早くなりますねぇ」


 昭花院とは三省六部さんしょうりくぶのうちのひとつ、人事と戸籍を管理する吏部りぶが入っている殿舎のことをさす。


「おかげですぐ仕事に取り掛かれます」


 玉鈴はその紙の端をいくつかつまみ上げ、ぱらぱらと中身を見た。そこには紅焰城こうえんじょうに勤める文武百官、妃嬪や宮女、官女に至るまで全員の名前や生家、死亡記録などが記されている。

 玉鈴が問題ごとを解決させようとする度、過去の記録をさかのぼる必要があった。その都度、昭花院へ尭を使わせた。今では尭は昭花院の文官とは顔なじみだ。


「いいことです」


 昭花院への使い走りをよく頼まれた尭は満足そうに頷いた。過去、文官が仕事に慣れていない頃は一日に何度も昭花院に訪れた日もあったからだ。


「そうですね。仕事が早くて助かります。けれど、多いですね」

「才昭媛と才家の分だけでもこれだけあります」


 尭が紙の束を二つに分けた。二冊と九冊のうち、才昭媛に関するのは右にある九冊。さすが歴史ある才家の姫君だ。


「玉鈴様! これでどうでしょうか?」


 軽い足取りで豹嘉が近づいてきた。手には藍色の小さな巾着がある。そこには蛇が地を這うような複雑な曲線が挿されていた。

 玉鈴は名簿をつくえにおくと、巾着を受け取り、その模様をじっくり観察した。


「すごいですね。とても素晴らしい腕前です」

「光栄ですわ!」


 玉鈴に褒められて豹嘉が嬉しそうに笑う。


「万が一のために全員分も作って貰えますか?」

「喜んでお作りします!」


 豹嘉は破顔したまま踵を返し、作業卓へと向かった。






 ***






 その光景を見て、明鳳は居たたまれない気持ちに駆られた。場違いに思ったのだ。椅子に腰を深く下ろし、目の前で忙しく走り回る三人を見ていると。

 背後では無理やり連れてきた貴閃も同じことを思ったのか落ち着かない様子で腕をさすりながらきょろきょろと走り回る三人を見比べている。

 今日、明鳳は蒼鳴宮へ訪れていた。玉鈴の仕事とやらを拝見するためだ。

 遊び呆けていた明鳳が自分の意思で妃の宮を訪れた事実に宮女や文武百官達はkpぞって柳貴妃が父子ともに陥落させたと面白おかしく話しあった。丞相が一番喜びそうな事案だが、彼はなぜかそれに対しては無関心で、逆に二日連続で仕事をほっぽりだした明鳳にこめかみに筋を立てていた。

 丞相は明鳳が柳貴妃を召すのを望んではいないのだろうと察する。道徳にかける行為は公正な彼が最も嫌うから。


「おい、何か手伝うことあるか?」


 じっとしていることに耐えれなくなり、本日何度目かわからない言葉を玉鈴にかけた。

「俺も手伝うぞ」と追加して言えば、表情と口調はいつも通り穏やかながら手元は素早くようをめくる玉鈴が「亜王様はごゆっくりなさってください」と言う。


「……それは持ち出し不可のはずだが?」


 何もすることがない明鳳は視線を彷徨わせると昭花院から持ち出された資料に目を止めた。

 そこに記載された個人情報は膨大な量に登るため、昭花院から外へ持ち出す際は正式な手続きを行う必要がある。一番最後には亜王である明鳳の玉璽ぎょくじが必要だが、明鳳は印を押した記憶はない。それなのになぜ蒼鳴宮にあるのか疑問に思っての問いだった。


「高舜様からきちんと元に戻すのなら好きに持ち出していいと許可は頂いております。昭花院の文官も話しは通してありますよ」

「父上か。……それを持ち出して何をしている?」

「呪詛をかけたお妃様とかけられたお妃様の生家を調べています」


 玉鈴は明鳳を一瞥いちべつすると頁をめくる手を休めず答えた。


「呪詛をかけた道士の無念を少しでも晴らさなければ、あとで祓うのが大変です。過去を見て、どうしてこのようなことをしたのか分かれば後が比較的に簡単です」

「その妃の名は言う気はないのだろう」


 苛立ちが滲む声で明鳳は呟いた。明鳳は早く呪詛をかけた妃を見つけて獄に繋げたいらしい。


「今は言いません。言えばそのお妃様をすぐに処刑なさるでしょう?」

「当たり前だ。お前は殺さず生かしておくとでもいうのか?」


 玉鈴は頁をめくる手を止めた。

 しばしの思案の後、ゆっくりと口を開く。


「……結論を言えば、処刑は免れないでしょう。そうなれば僕は止めません」

「なら今すぐ獄に繋げばいい。呪詛をかけた妃は分かっているのだろう? 名だけでも分かれば充分だ」


 玉鈴は頭を振って拒否の仕草をする。


「それは出来る限りしたくありません。恨みを抱いたまま鬼籍に入れば、その呪はとても強くなります。そうなれば才昭媛様も、その周囲の人々も障られることでしょう。かつて、貴方様のご兄弟を殺した妃嬪のように」


 明鳳は口を噤んだ。先日、玉鈴が「恨みを晴らすのに最近までかかった」という言葉を思い出す。玉鈴は詳しいことを話したがらないが、これはかつての事案にとても近いのだろう。


「そうならないためにはまず、彼女の遺恨を晴らさねばなりません。そのために調べるのです」

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