第11話 三毛猫
「あの、これは一体、どういう事なのでしょうか」
秋雪に支えられ、翠嵐は不思議そうに顔を傾けた。高く結い上げられた髷を飾る髪飾りがしゃらしゃらと音を立てる。
香油をなじませた黒髪は一本も乱れる事なく纏められ、宝石があしらわれた
玉鈴は内心呆れた。
確かに亜王の目に留まれば、寵愛を受け、栄華を極めることができる。けれど、ここまで着飾る必要はあるだろうか?
髪飾りはもちろんのこと、幾重にも着飾れば布でも重い。男である玉鈴でさえ、鬱陶しくなるのに病人には酷だろう。尭を使わせた際、見舞いにいくという
「才昭媛様。説明は僕からします。その前に、その髪飾りを外しませんか? 重いでしょう」
見た目は麗しいが下級の宦官に話しかけられ、翠嵐は狼狽える。しかし、罵声を浴びせる事はなく、ゆるく首を左右に振った。
「いいえ、亜王様の御前でそのような見苦しい姿をお見せするわけにはいきません」
「……そうですね。わかりました。気分が優れなければ言ってくださいね」
玉鈴は優しく両目を細めた。
短時間の触れ合いだが、噂に聞いている気性の荒さはない。玉鈴の言葉に驚く事はあれど、立腹せず、きちんと話を聞いてくれる。最初は精神的に落ち込んでいるからだろうか、と思ったがそうではないらしい。
「貴女様が悩んでいると聞いています」
翠嵐は両目を見張った。
「秋雪なの?」
動揺を隠さず、背後に控える秋雪を見上げた。
「す、すみません! 翠嵐様、落ち込んでて、私、見ていられなくてっ」
「いえ、貴女は私を思ってくれたのでしょう? ありがとう」
「翠嵐様……!」
秋雪は目尻の涙を袖で拭うと嬉しそうに破顔した。
それを見て、翠嵐は困った様に両目を瞬かせると手巾を秋雪に差し出した。秋雪が受け取るのを確認してから、はっとした表情で玉鈴を見つめた。
「えっと、貴方は?」
「
拱手の礼をして、玉鈴は人の良さそうな笑顔を顔に貼り付けた。
「はじめまして、かしら?」
「そうですね」
明らかに自信より身分が低い相手でも丁寧に接するのを見て、玉鈴は和やかな気分になった。傲慢な態度を取られるよりも断然いい。
「秋雪から聞いている通りよ。猫の鳴き声が聞こえるの」
翠嵐は俯くと手で耳を塞いだ。
「今も、ずっと鳴いているわ」
「鳴き声はずっと続いていますか? 夜、寝るときも?」
「ええ、ずっと。最初はふとした時になにかを訴える様な鳴き方だったのに、今は四六時中、寝ていても聞こえるわ。鳴き声は怒ったり、訴えるような感じね」
明鳳と貴閃がなんのことだと首を捻る。二人には猫の鳴き声は聞こえない。
「最初の頃は庭に迷い込んだのかと探したけどどこにもいなかったの。少しずつ、鳴き声は近くなり、今では足元で聞こえるのに。……姿は見えないし、私の侍女も見えない、聞こえないというの」
「姿は見えず、鳴き声だけですか。体調は?」
「胸の奥がぐるぐると掻き回されている感覚はするけど、吐き気とかではないわ。頭に
ふむ、と玉鈴は顎に手を置いて考え込む仕草をした。
しばしの熟考の後、右目に巻かれた包帯をずらす。そこに現れた輝く黄色に、翠嵐の肩が跳ねる。
「柳、貴妃様? ……いいえ。貴方は宦官ですものね。ごめんなさい。間違えたわ」
「ああ、間違えてはいませんよ。一応、後宮では柳貴妃の位をいただいております」
ですが、と玉鈴は金眼に翠嵐と秋雪の姿を写す。指先を口元に持っていくと両目を細め「このことは内密に」と首を傾げた。
二人が揃って頷くのを見て、玉鈴はふわふわと笑う。
「おい! 柳貴妃!!」
明鳳は玉鈴の帯を掴み、自分の元に引き寄せた。
「お前は身分を隠してきている意味を分かっているのか?!」
「ああ、大丈夫です。今まで僕を頼った女人は数多くいますが、彼女達が男だと話しているのを聞いたことありますか?」
明鳳は言葉につまる。物心ついてから今日まで、柳貴妃が女だと思っていたからだ。
側で控えている貴閃でさえ、女だと思っていた。誰も男が化けていると言わなかった。
「誰一人、話してはいないと思いますよ。いえ、話せない、と言った方が正しいですね」
含みを持たせた言い方に明鳳は押し黙る。代わりに翠嵐が口を開いた。
「いえ、聞いたことない……と思います。物を無くした時や怪異に悩まされたりしたら柳貴妃様の宮を訪ねさなさい、とは聞きました」
「周美人様からですか?」
「はい。後宮に上がった時から良くしていただいております」
玉鈴が自分より位の高い人間だと知ると、翠嵐は不思議そうな眼差しながら丁寧に言葉を紡いだ。
「彼女は私が困った時、一番に助けてくれます」
明鳳は気難しそうに顔をしかめた。
「あれはそんな女ではない。損得で考えるやつだ」
嫌悪感丸出しの明鳳の言葉に翠嵐は何か言いかけたが亜王の前だ、と唇を噛んで俯いた。
その耐える様な仕草を見て、苛立ちを抑える様に玉鈴は目頭を抑えた。
「亜王様はお黙りください。僕は今、才昭媛様と話しています」
涼しげな面に笑顔を貼り付け、重い声音で「分かっていますよね?」と続ける。
「亜王様、王とは優しさも大切です。一人一人の言葉に耳を傾ける必要がございます。そうやって茶々を入れるのはおやめください」
叱られて明鳳は目に見えて落ち込んだ。何やらもごもごと呟いているがおとなしくなったのを見て、玉鈴は翠嵐の名を呼んだ。
「僕はお会いしたことはありませんが、貴女がそういうのでしたら素敵な方なのでしょうね」
嬉しそうに翠嵐は頷いた。白粉が浮かぶ頬が薄桃色に染まる。
「とても、素敵な方です」
「そういう人を見つけるのは大切な事ですよ」
玉鈴は薄い唇を持ち上げて、微笑む。それを見て、翠嵐は恥ずかしそうに下を向いた。先ほどよりも頬は赤く色付いた。
一回り歳下の少女の恥じらいに、玉鈴は小さく微笑を浮かべながら房室の中を見渡した。一点、一点、しっかりと細部を観察すると視線はある一箇所で固定された。
翠嵐の足元をよく見るように玉鈴は視線を鋭くさせた。
「才昭媛様、つかぬことをお伺いしますが三毛の猫を可愛がっておりませんでしたか?」
「猫? いいえ。父が猫嫌いなので飼った事はありません」
翠嵐は首を振る。
「そうですか。失礼しました」
玉鈴は両手の平を合わせると納得した様に何度か頷いた。
「これはきちんと僕案件のお仕事ですね。時間はかかりますが対処させていただきます」
「この鳴き声から解放されるのですね」
ほっとした様に翠嵐は息を吐き出すと肩の力を抜いた。
「猫の声は気にしないでください。あの子は貴女を守ろうとしているのだけです。それを無下にしてはいけません」
「あの子、ですか?」
翠嵐は両目を瞬かせた。
玉鈴は
「ええ。左目の茶色が大きめの、やや痩せ型の子です。尻尾は切られたのかとても短くて、ところどころ怪我をしています」
玉鈴と尭以外、何もいない床を見つめて物言いたげに眉根を寄せた。
床には真っ赤な
けれど、玉鈴にははっきりと見えていた。
翠嵐の足に首を擦り付け、必死に何かを訴える老猫の姿を――。
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