第10話 変装
「お前、柳貴妃か?」
「ええ、そうです」
玉鈴は自分を見て固まる明鳳を見て、不思議そうに首を傾げた。
「どうしたんだ、その格好は」
明鳳の視線の先には玉鈴の姿。
「似合いませんか?」
玉鈴は首を傾げながら袖を持ち上げて自分自身を見下ろした。
「着付けは間違えていないはずなんですけどねぇ」
こてん、と可愛らしく首を傾げるのを見て明鳳は「いや、似合ってはいるが」と言葉を濁した。
先ほどの白雪を連想させる嬬裙ではなく、若緑色の下級宦官が着る衣服を身に纏っている。化粧を施していない美貌は端正で、清廉された雰囲気を纏う美丈夫だ。龍の半身である金眼は包帯で隠されており、パッと見れば後宮に数多くいる宦官の一人に見える。
「ああ、亜王様がおられるので僕は宦官のフリをしようと思いまして。柳貴妃として向かうと相手の方が恐縮してしまい、満足にお話を聞けないので。この方が波をたてずに様子を見ることができます」
「お前、自分は宦官の姿になるのだな」
「誰かさんと違って何を言われても気にしませんから」
軽く睨む明鳳を
「お前はいつも宦官の格好で妃嬪の宮を訪ねるのか?」
「いいえ。いつもの格好ですよ。これは、まあ、時々しますね」
言葉を濁す玉鈴に、明鳳は片眉を持ち上げた。
不思議そうに睨み続けるが深く追求せず、はあとため息を零した。
「行くぞ」
明鳳はひらりと身を交わし、扉に向かって歩き出した。
その背を追って、貴閃と玉鈴、尭も続く。秋雪は俯きながら玉鈴の裾を握って、歩みを進めた。
***
後宮での位は血筋や家柄、品位を吟味して、相応しい人間か選ばれ、細かく八つに分けられた。正妃である皇后を筆頭に、四夫人(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃)、
秋雪の主人である
翠嵐が後宮入りしてまだ数日だが、娘が
「遅い」
「僕達が来たのが早かったからでしょう」
明鳳の護衛役として一緒に通された宮は豪華絢爛な内装をしていた。
「もう少し、お待ちください」
背後から玉鈴にたしなめられ、豪奢な椅子に腰掛けた明鳳は舌を打った。苦手だと称した周美人がいないからか大きい態度のまま頬づえをつく。
しばらくすると回廊の方から小さな
「だらしないですよ」
玉鈴に注意され、明鳳は嫌々背筋を伸ばした。
それと共に
「久しぶりだな。才昭媛。婚姻の儀、以来か」
「お久しぶりでございます。遅くなり、申し訳ございません」
侍女に身体を支えられ、おぼつかない足取りで入室した翠嵐は名鳳を見ると
「……亜王様、お自らのお運び、恐悦至極にございます」
翠嵐は細々と言葉を紡ぐ。
持ち上げられた柔和な
その顔色を隠すため大量の白粉をはたき、目尻と唇に紅を引いているが誰が見ても病人の顔だ。主人が亜王の目に留まったと喜んだ侍女が急いで化粧を施したのだろう。
「いや、堅っ苦しい挨拶はいい。具合はどうだ」
その死人のような顔立ちに気圧された明鳳は引きつつも王らしく声をかけた。
それに翠嵐は弱々しく微笑を返す。
「亜王様のご尊顔を拝謁できたので何ともありません」
「そうか。今日、俺がここに来たの――」
明鳳の次の言葉は後に続かなかった。
「亜王様」
ゆっくりだが重たい声が明鳳の名を呼ぶ。
恐る恐る明鳳が後ろに顔を上げるとこめかみに血管を走らせた玉鈴が片目を細めて明鳳を見下ろしている。
「体調が良くない女人を長い事立たせてはいけませんよ」
本当はこのまま大人しくしているつもりだったが、いつまで経っても翠嵐を立たせている明鳳に、玉鈴は苛立っていた。
美人が怒ると恐ろしい。
その言葉を体現する玉鈴に明鳳が怪異でも見るかのように冷や汗をかき、普段は優しい主人の姿に尭が驚きに固まり、亜王に無礼を働く姿に貴閃が
「亜王様。才昭媛様は体調を崩されています。貴方の前の席は空席ですよね」
玉鈴は呆れに片眉を持ち上げ、ひとつひとつ噛み砕いて言葉を発した。口調はいつもの様にゆっくりだが、声にはやや怒気が含まれている。
「よし、座れ。すぐに座れ。俺が許す」
明鳳はすぐさま首を縦に振った。目の前の空席を指差した。声は恐怖で震えている。
「え、ええ。失礼いたします」
不穏な空気を悟ったのか、翠嵐は瞬きをしながら侍女の手助けもあり、ゆっくり席に腰を下ろした。ほんの些細な動作でさえ、苦痛をともなうのか顔を歪ませた。
それを確認すると明鳳は背後に控える玉鈴の袖を引っ張った。
「おい、早く
上半身を傾けた玉鈴の耳元で、明鳳は囁いた。早く終わらせたいのだろう。忙しなく視線を動かして、膝を揺する。
それを冷めた目で玉鈴は見下ろし、はあと呆れたため息を零す。
「その前に人払いをお願いします。宦官が妃嬪に触れる事はご法度です」
「触れる必要があるのか?」
「今のところはなんとも言えません。話を聞いて見て、さわられているようでしたら
妃嬪に興味ななくても自分の所有物に他者が触れるのは面白くないようだ。明鳳は眉根を寄せると、しばし空中を睨む。
「分かった。だが俺は残るぞ」
「ええ。亜王様を追い出そうとは思っておりません」
渋々だが了承の意を示し、明鳳は翠嵐の背後に控えている侍女に視線を向けた。
「おい、才昭媛とそこのそばかすの侍女以外、この房室から出て行け。宦官もだ。誰もここに近づけるな。これは亜王の命令だと思え」
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