第9話 我が儘な少年王


 さして興味も無さそうに頬づえをつき、明鳳は一連の流れを眺めると唐突に口を開いた。


「俺も行くぞ」

「それは構いませんが」

「この目で確認する」

「周美人様もいると思いますよ」


 玉鈴の言葉にあからさまに嫌そうに顔を歪ませる。どうやら心底、周美人が気に入らないらしい。明鳳は頬づえをやめると腕を組み直し、気難しい顔で項垂れた。


「……亜王としての身分を隠していくのはどうだ?」


 苦渋の策、という風な明鳳の提案に、玉鈴は緩く首を左右に振った。


「やめた方がいいと思います。亜王以外で後宮に出入りできるのは宦官のみ。妃の中には宦官相手だからと適当に扱う方や侮辱ともとれる発言をする方がいます。それに亜王様が耐えれるとは思いません」


 はっきりとお前は無理だ、と告げられた明鳳は不服そうに唇を尖らした。


「ならどうする?」

「本人として通えばいいです。不調を訴える妃を見舞う事も立派な王のお仕事です」

「あの女とは会いたくもない」

「でしたら我慢なさい」


 玉鈴はぴしゃりといい放つ。余りにも無礼な物言いに明鳳は眉を潜めた。いつもならここで烈火の如く怒り狂うが、先ほどの父の言葉を思い出し、唾ごと口から飛び出そうになった言葉を飲み込んだ。


「俺は会いたくないと言っている」

「ならば宦官に変装しますか? お妃様達は亜王様のご尊顔を覚えているでしょうから、顔を化粧で変えたりなど変装していただく必要がございます」


 玉鈴は玲瓏たる美貌に喜色を浮かべ、ああそれと、と付け加えて両手を合わせた。男だと分かっていても妙に仕草は女性らしい。一瞬、彼が女に見えてしまい、明鳳は内心慌てた。相手は男で一回りも年上だ、と心の中で呟いて自分に言い聞かせる。


「もしお妃様や宦官に無礼な態度をとられても怒らず謝罪してくださいね」

「……下級宦官ではなく上級の宦官になればいい。お前の心配しているのは無礼な言葉に、俺が切れないかだろう? 上級宦官ならばある程度の地位もあるし、その様な言動はしないはずだ」

「数少ない上級宦官の顔など覚えていますよ。妃の中には地位が高い宦官に下賜かしされる事を夢見ている方もいるでしょう」

「ならこの宮に才昭媛を呼べ。王命だと言えばいい」

「才昭媛様は房室へやに閉じ篭っているので無理です。怪奇に怯える女人に無理強いはしてはいけません」


 次々と考え抜いた提案をことごとく却下され、明鳳は腹の内からふつふつと湧き出る怒りを懸命に抑えた。

 父王の様に常に冷静になり、王としての職務を果たそうと思った矢先に玉鈴は研ぎ澄まされた刃を振るう様に明鳳の考えを綺麗に斬り伏せていく。いっそのこと見事と褒め称えたくなる腕前だ。


 玉鈴は己の侍女や宦官が無礼な言動をすればすぐさまいさめるが、自分がその様な言動をとるのはやめない。先王からの遺言で立場が安定しているからとも思えたが、それ以前に生まれ持った本人の気質なのだろう。短時間だが玉鈴の人となりを分かった様に思えた。


「……このままでいい」


 何を言っても無駄だと悟った明鳳は不服そうに承諾した。


「ええ、そのままのお姿で才昭媛様の宮に向かいましょう」


 対して玉鈴は微笑しながらたおやかに頷いた。


「今から向かいますがよろしいでしょうか?」

「ああ」

「では尭を才昭媛の宮に遣わせます」

「遣い?」

「亜王が妃嬪の宮に訪れる際、前もって書簡を出す決まりがあります」


 玉鈴の言葉に明鳳はそうだったのかと瞬きする。どうやら興味なさ過ぎて後宮のしきたりの基本も覚えていないらしい。


 ――大丈夫なのでしょうか。


 玉鈴は長々と嘆息すると目の前に座り、偉そうに腕を組む亜王を見た。

 外を駆け回るのを好むため肌は健康的に焼けており、見るものに活発な印象を与える。やや癖のある黒髪を翡翠が輝く冠にしまい、まだ少年らしい輪郭の顔立ちは繊細で整っていた。黙っていれば可愛らしい少年だが吊り上がった眉と目尻を鋭くする様子はよく切れる刃物を連想させる。その面影は彼女――後宮の牡丹と謳われた鬼淑妃にとてもよく似ていた。高舜の面影を探すのが難しいぐらいに瓜二つだ。


 ――性格も彼女にそっくりとは。


 そこまで似なくても良かったのに。

 玉鈴は心の中で肉感的な美女であり、感情豊かな鬼淑妃を思い浮かべた。明鳳と対峙していると、彼の背後に満面の笑みを浮かべる鬼淑妃が重なり見えて落ち着かない。


「亜王様、僕はしばし準備がある為、席を外させていただきます」


 頭を下げると頭上から生返事が返ってきた。


「それでは失礼いたします」


 玉鈴は豹嘉を連れ、房室を後にした。明鳳を前に震える秋雪は尭に命じて隣室へ連れて行くように命じてある。

 いかんせん相手は明鳳である。先ほどよりも落ち着いてはいるがいつ怒り出すかわからない。早く支度して戻らなければ、と思い廊下を歩いていると豹嘉が甘えた声で玉鈴の名を呼ぶ。


「あのお方の血を継いでいるとは思えない阿呆でしたわ」

「豹嘉。彼はこの国の王です。その様な口を聞いてはいけませんよ」


 言葉では注意するが玉鈴は内心同意した。慇懃無礼な態度をとる自分が言えることではないという事は重々理解しているが、明鳳の態度は王としての矜持はない。後宮のしきたりにも疎く、感情に任せて意見を発する。


 ――高舜様が心配する理由がよく分かる。


 体調を崩し、とこに伏せる高舜は何度も玉鈴にふみを出した。大半が玉鈴の立場や将来を心配するものだが、残りは一人息子の明鳳をおもんばかるものだった。高舜自身、まだ幼く感情の突起が激しい明鳳を王にするのを心配して、何度も自分に息子を頼むと言ってきた。


 この短時間の間で玉鈴が理解したのは一つ。彼は王の器ではないという事だ。今はまだ周囲の協力もあり、亜国は国として成り立っている。けれど、明鳳がこのまま暴君として大人になれば周囲の大人は彼を見限るだろう。彼を王座から引きずり落とし、薄くても王族の血を継ぐ別の人物が即位した方が亜国の未来を明るく照らすに違いない。


 それを明鳳自身は理解していない。



 幼い王に大長秋も丞相も手をこまねいている理由が分かったかもしれない。玉鈴は物憂ものうげに頭を掻いた。

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