第12話 右眼の黄金
「お前は死人でも視えるのか?」
湯気をたてる茶器を揺らしながら明鳳は難しい顔をした。その背後では会話を許された貴閃が顔を青白くさせている。先ほどの才昭媛の宮では矜持を保っていたが、蒼鳴宮に戻ってきて恐怖が勝ったらしい。
明鳳の前に座り、茶を啜る玉鈴は茶器から唇を離し、こくりと小さく頷いた。
「はい、亜王様のお考えの通り」
細い指先で右目の金を指す。
「
明鳳は茶器から視線を外すと金眼を見つめた。官服を脱ぎ捨て、全身を白一色に染める玉鈴は物静かな美人だが、狼の様に爛々と輝いている目が好戦的な獣を思わせる。
そこだけ何か別の生き物の様に思え、明鳳はすぐさま視線を落とした。じっと見つめていると魂を掴まれるような気がしたからだ。
「それが龍の子の力か」
右目の金は飾りだと思っていたが、まさかそのような力があると知り、明鳳は驚いた。
「それが後宮の平和を守っているのだな。……後宮は怪異が多いというな」
納得するように顔を強張らせた。
噂話が好きな女官や夜警をしたことがある宦官が話していた内容を思い出す。後宮で流行っている恋物語や衣装の着こなし等、そのほとんどは娯楽のためのものだったが時折、耳を塞ぎたくなる話をしていた。
井戸に投げ込まれた妃嬪が夜な夜な啜り泣きながら、井戸に近く者を引きずり殺している。自身が病没したのを自覚せず、毎夜庭を散策する女の霊。不貞を疑われ、真冬の獄に繋がれた挙句凍死した女が冬になると現れる。など、どれも歴代の王の後宮にいた妃達の霊体が現れると。
先王の時代も何人か幽鬼を見たという者はいたが、柳貴妃が後宮入りをした年を境にめっきり数は少なくなった。
「俺は見たことないものは信じない。父上は見たことあると言っていたが、本当にいるのか」
「後宮は、怨念が渦巻く巣窟です。王の寵愛を得られず、老いていく女人や寵愛を得られたからこそ暗殺された女人が数多くおられます」
貴閃が悲鳴をあげる。隣で豹嘉が鼻で笑うが、それに怒る気力もないのか項垂れた。
「お前はそこまで怯えるな」
先ほどの剣幕も台無しの怯え様に明鳳は呆れた眼差しを向ける。
「安心してください。ある意味、僕の隣は安全です」
「視えるから来ないのか?」
貴閃が嬉しそうに顔あげた。それを見た豹嘉が気持ち悪いと顔を歪ませた。
けれど玉鈴の次の言葉に、二人の表情はすぐさま反面する。
「来ますよ。けれど、悪意ある方は訪れません。ここに訪れるのは心残りがある方や大切な方を守りたい方ばかりです」
「悪意があれば障られる、か」
肩を落とし項垂れた貴閃と笑みを浮かべる豹嘉を尻目に、明鳳は湯気を漂わせる茶を喉元に流し込んだ。
「干魃も、か?」
「それは違います。僕が後宮に入らずとも時間が解決したでしょう」
玉鈴が持つのは見鬼だけで、自然を操る力は持っていない。
「先王の御子が、俺の兄弟が次々死んでいたのは偶然ではないだろう?」
「それは呪詛ですね」
さらり、と玉鈴は言った。どう考えても重要な内容だが、ほんの些細な出来事のように流すので明鳳は驚きに体を硬直させた。
「呪詛だと? それはお前が解決したのか? どういうことか今すぐ言え」
「元凶は高舜様の妃の一人です」
「父上の……」
「ええ。彼女は将来を約束した殿方がいたのに、家族から猛反対され後宮に上がりました。家族は美しい娘が王の目に留まると思ったのでしょうね。しかし、後宮には数多の佳麗が住んでいます。村では大輪の牡丹も、ここでは野の花と化します。娘は王の目に留まる事はなかった」
玉鈴は懐かしむ様に両目を細めた。
当時、玉鈴は十と一つ。もう二十年近く昔の出来事だったが、よく覚えている。
親と同じぐらい歳の離れた妃を一度、近くで見た事があった。玉鈴が貴妃として後宮入りしたのと亜国の暗雲が払われた事の祝いの宴席でだ。
優しい月明かりが肌を撫でた秋深い夜。高舜の隣に座った玉鈴に、高位の妃から次々と挨拶に来た。件の彼女は妃の中でも末席だったので、後半だった。その頃には子供だった玉鈴は疲れと緊張からうとうとと眠気に誘われていたが、彼女が訪れると思考が鮮明になった。
――ご尊顔拝謁賜わり、光栄の至りでございます。
急に肌を包み込む清涼の風が、重く息苦しいものへと変貌した。
ぱちぱちと両目を瞬かせると前方には件の妃が優雅な仕草で拱手の礼をとっていた。しかし、彼女の身体に纏わりつく黒い
高舜の命で
――貴妃様。龍の愛し子である貴女様に会えて、光栄です。
明朗朗らかな声音は、彼女がその様なことをする風には感じない。
けれど一眼見て、玉鈴は悟った。この女が呪詛をかけた張本人だと。
「それが恨みに変わるのか」
「恨みに変わったのはご実家から届いた文です。王を射止めれない娘を叱責するのと同時に、そこには愛しい殿方が首を吊り自死したと書かれていたそうです」
文が届いたのは彼女が後宮入りした二年目の春。彼女は酷く取り乱したと、当時担当した医官が帳簿に記していた。行く当てのない恨みが寵愛を得た妃へ、その赤子へと向かった。
「男は死ぬ事はなかっただろう。それぐらいで」
玉鈴は
「その殿方が娘を好いていたかは分かりません。彼女の故郷は小さな村です。過去、王の妃に手を出そうとしたという風評が広がり、村にいられなくなった可能性もあります」
「その妃の名は? お前が後宮入りした際に、幾人か獄房に繋がれたと聞いている。その中にいるのだろう? 王の御子を沢山、呪い殺すなど獄に繋ぐだけでは生ぬるい」
悲しげに顔を伏せる玉鈴に、明鳳の顔には怒りの感情が浮かび上がる。漆黒の双眸には怒りの赤が見え隠れしていた。
「僕が高舜様にお願いしました。彼女は優しい女人でした。家族からの叱責が無ければ恨む事はなかったでしょう。あの文が届かなければ、こうならなかった」
「だからといって俺の兄や姉は報われない」
彼らが生きていれば明鳳は生まれてくる事はなかっただろう。けれど、生きることの楽しみを知る明鳳にとって、物心着くまで生きる事のできなかった太子やこの世界の空気を吸わず死した
「そうです。彼女の罪は確かに許されません。けれど、それを
恨みは募る。最初は指で摘める程度の砂粒でも、時が経つにつれて大きく重い大岩と化す。
「お前は優しい……いや、慈悲深いというのだろうな」
「慈悲、などという立派なものではありません」
玉鈴の中にあるのは憐れみだった。未来を奪われた、女としての喜びを奪われた妃への。
王の御子を数多く殺害した罪は重い。けれど、玉鈴は彼女を責める事は出来なかった。これからもきっと罪を犯した妃を責める事はない。
「亜王様、お願いがございます。今回の才昭媛様を傷つけた妃を、決して責めないであげてください」
玉鈴にとって、後宮に住む女人は皆、可哀想な存在だから。
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