第1話 幽霊宮


 整然と敷き詰められた石畳の小道は人があまり通らないためか石と石の隙間から雑草がのびのびと背を競い合っていた。その小道からある程度離れた場所には幾本もの柳の木が等間隔で植えられている。樹齢を感じさせる太い幹からは幾重にも枝が垂れ下がり、陽光を遮るため辺りは昼間なのにとても薄暗い。


「不気味だ。後宮と思えない暗さだ」


 明鳳は鬱屈うっくつとした面持ちで呟いた。見てるこっちまで気分が滅入りそうだ、と眉根を寄せると後ろに控える貴閃の名を呼ぶ。


「本当にここには住んでいるのか?」


 とは柳貴妃と呼ばれる明鳳の妃の一人である。柳貴妃は式典や酒宴に「参加せよ」という明鳳の命令に背いてまで与えられた宮から出てこない、いわゆる引きこもりだ。

 そんな引きこもり妃を尋ねるため、口うるさい丞相じょうそうに公務を押し付けて、明鳳は柳貴妃の宮を訪ねにきたのだが、この小道の先に柳貴妃が住んでいる殿舎があるとは思えない。明鳳は腕組みをしながら前方を睨みつけた。


「はい。そのはずでございます」


 恐怖で震える声で貴閃きせんは答えた。三十をとうに過ぎているのに声は女性の様に高い。平凡な顔立ちには髭は一本も生えておらず、遠くから見ると女性にも見える体つきをしていた。


「外に出ず、ずっと宮の中で過ごしていると聞いております」


 貴閃が話終わるのを狙ったように、生暖かい薫風くんぷうが二人の横を通りすぎた。煽られたやなぎの枝がさわさわと音を奏でる。貴閃は驚きに小さく悲鳴を溢すとふっくらとした体を丸め込んだ。

 それを明鳳は冷ややかな目で眺める。


「お前の怖がりもそこまでいけば笑えるな」

「……お恥ずかしながら生来より、幽鬼の類いは得意ではありません。あれは暗く、じっとりとした場所を好みますゆえ、ここは、その、恐ろしくてなりません」


 貴閃は青くなった顔を見られないようにうつむいたが数秒後、何かを決心したかのようにぱっとおもてをあげた。


「明鳳様、今すぐ引き返しましょう。柳貴妃様の不興を買えば国が傾きます。呪われるとも言われております」


 周囲を見渡しながら貴閃は懇願こんがんする。

 明鳳はそれを一瞥いちべつすると鼻で嘲笑った。


「恐れる事はない。俺は亜王だ」


 胸を張り、自信に満ちた表情で明鳳は貴閃の静止を無視し、薄闇に染まる小道を歩み始めた。

 それに何を言っても無駄だと悟った貴閃は背を丸めつつ、明鳳から離れまいと後を追った。




 ***




 歩みを進めるにつれ道の左右に植えられた柳の木の間隔が近くなり、周囲を染める闇が濃くなり始める。それにつられ、風も冷たさを孕み始め、辺りは不気味な雰囲気を醸し出した。

 その恐ろしい空気に触れられ、貴閃は額に脂汗を浮かべた。さわさわと揺れる柳の枝の下に幽霊が佇んでいるように見えて、周囲を視界に入れない様に顔を伏せ、前を歩く明鳳の黄袍こうほうだけを追う。


「おい、あれか?」


 ふいに明鳳が歩くのをやめた。

 何事かと貴閃が視線を上げれば古びた御殿ごでんが見えた。


「はい。柳貴妃様に与えられた蒼鳴宮そうめいきゅうでございます」


 貴閃は頷いた。


 ――蒼鳴宮。

 後宮の奥深く、まるで世から姿を隠すようにひっそりと建設された殿舎でんしゃはその名が示すように壁や柱、屋根瓦に至るまで全て青色で統一されていた。その色合いから落ち着いた印象を与えるが、他の妃嬪が住む宮に比べるととても質素だ。恐らく建設された当時のままなのか、年月によりややくすんだ青色と周りを覆うように植えられた柳が太陽の光を遮るためか全体的におどろしい雰囲気に包まれている。


「幽霊宮、と言った方がしっくりくるな」


 人が住んでいるとは思えない荒れた外観に明鳳は片眉を持ち上げた。よく見れば外壁にはつたがはっていたり、劣化しヒビが入っている箇所が所々にある。


「本当にここに柳貴妃は住んでいるのか?」


 胡乱うろんげな眼差しで明鳳は背後に控える貴閃に問いかけた。


「そのはずでございます」


 貴閃は額の汗を拭いながら答えた。


「柳貴妃様に与えられたのはこの蒼鳴宮のみ。ここから出ることはないと聞いております」

「まあ、いい。入れば分かることだ」

「え、入るのですか?!」

「当たり前だ。あの女に直々に尋ねなければ気が済まぬ」


 忌々しそうに明鳳は吐き捨てた。

 蒼鳴宮ここには明鳳の心を掻き乱し、苛立たせる要因がいる。それなのに手前で引き返すなんて明鳳は考えられない。


「この俺がわざわざ出向いてやったんだ。なぜ、俺の命令に逆らうのか、あの女が何を考えているのか問い詰めてやるさ」


 要因の名は柳玉鈴ぎょくりん。貴妃という位を賜る先王の寵姫であり、現在、息子である明鳳の妃として後宮で暮らしている女の名だ。

 しかし、今の関係は明鳳が望んで迎えたわけではない。血が繋がらない義理の母親を妻として迎えるという行為は近親相姦にあたる行為であり、道徳が欠けていると亜国では嫌悪されている。

 できることなら婚姻を解消したいが、そうはいかない。明鳳自身、納得はいかないが柳貴妃を己の後宮に迎えたのはひとつの大きな理由があった。

 それは、彼女の特異な生い立ちと立場である。

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