第7話〜舞

 夜。百合はベッドの上に座っている。手元にはスマホ。航にラインをしたいが言葉が出てこない。


「その時思ったことをそのまま…そのまま…。んー…。」


  今日、いいことがありました


「送信…っと…。」


 百合は動けないでいた。航からの返信を待っているのではなく、ずっと緊張がほぐれない。スマホが鳴る。目が覚める百合。


  そりゃよかったな


 航の返事に嬉しくなった百合は、また航にラインする。


  航さんのおかげです


 嘘でも大袈裟でもない、本当のこと。百合の思ったそのままのことを伝えた。航から返信が来た。


  おれじゃねーよ

  あんたの力だ

  よかったな


 百合は苦しくなった。胸も息も。嬉しすぎて苦しい。この気持ち、この感情はどうすればいいのか、それを航に聞く勇気はなかった。そして。


  おやすみなさい


 苦しいまま、百合は送信した。


  おやすみ

  よく寝るんだそ


 航が返事をくれた。嬉しくて、苦しくなって。恋というものを、徐々に知る百合だった。


 翌日。お昼の時間になった。経理部の出入口に葵が立っていた。


「お疲れー!行こ!」


 昨日の『また明日』は本物だった。百合は嬉しかった。行ったのは昨日と同じ、喫茶室・ジョリン。葵の向かうテーブルには、1人誰か座っていた。


「お待たせ!この子ね、経理のユリ。昨日拾ったの。」

「拾ったなんてひどくない?私は葵と同じ総務のまい。よろしくね!」

「百合です…お願いします。」


 舞も美人だった。美人な上、仕草も綺麗。そんな2人と一緒にいることに感激する百合だった。そんな舞は言う。


「経理ってそんなにつまらないとこなの?」

「はい?!」

「たまにユリのこと見るけど、その度つまらなそうな顔してるから。」

「そ、総務は、あおい先輩とまい先輩は違うんですか?」


 葵と舞は苦い顔をする。葵が言い始める。


「先輩なんて付けないでよー!そんなのうちにはないから!」

「ないない!」


 細々と百合は言う。


「そうなんですか…?」


「そうよ、うちなんて、ボケ担当につっこみ担当、いじられキャラ…何でもありって感じ。私達は…いじりキャラだね。」


 舞は笑って言う。


「ねぇ、ライン交換しよー。3人のグループも作ろっか!」

「あーそうしよ!」

「あ、そうだ。ねぇ、舞。パブロックジーって知ってる?」

「知らなーい。何?」

「ユリのリップの色、可愛くない?」


 舞は百合の唇をじっと見る。恥ずかしくなる百合。


「可愛い…知らなかった!でもユリも可愛い!恥ずかしがってるー!」


 そう言った舞が今度は百合の顔を見て言う。


「ユリ、何を怖がってるの?」

「そう、昨日なんて脅えてるみたいだった。だから拾ったの。」

「何かあるんでしょ。」


 舞にも気づかれた。百合は嬉しいような困ったような、複雑な気持ちになった。2人に気づかれたのなら、思い切って打ち明けようと百合は思った。呼吸が小刻みになる。


「私、少しあがり症なんです…。」


 2人の反応が怖い百合。でも2人は怖くない、やさしかった。


「あがり症かぁ…、じゃあ昨日声掛けてよかった!」

「え…?」

「今日は舞とも会えたし。初めての人と会えて、仲良くなれる。それっていいことなんじゃない?」

「初対面の人と話すの苦手でしょ。」

「はい…すごく…。」


 美人で気さくで、何の偏見もなくやさしくしてくれる。そんな2人の中に、百合が自然と入っていっていることが信じられなかった。いつの間にか、2人といると緊張より嬉しい気持ちが大きくなりつつあった。小さく小さく縮んでいた百合の心が、少し大きくなる。


 夜。百合はベッドの上。


「航さん…。」


 今日は、嬉しいことがありました


 百合は航にラインをした。葵と舞のおかげで、緊張がほんの少し落ち着くようになった百合。航へのラインの緊張も、ほんの少しだけ減ったような気がした。


 百合は部屋の電気を消す。その時スマホが鳴った。航からのラインだった。


  すげーな、よかったな

  でも焦ったりすんじゃねーぞ


 航の暖かい言葉。百合はまた苦しくなる。


  おやすみなさい


 百合はベッドに入る。航からラインが届いた。


  おやすみ

  ゆっくり寝るんだぞ


 百合はしばらくスマホを握っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る