6
梅雨になり、毎日雨が続いた。わたしたちは雨が降ると並んで椅子に座り、窓を打つ雨を飽きもせずに眺めていた。それがまるで何かの儀式であるかのように。
ただ、その日はいつも通りの雨だったのだけれど、明日は出席番号順で自分が当てられる日だということもあり、わたしは久しぶりに真面目に勉強机に向かっていた。そして——これは驚くべきことなのだが——背中合わせの後ろから、本のページをめくる音がときおり聞こえていた。辞書を引きながら、何やら調べものをしているらしい。
桜さんは普段あまり勉強をしない。勉強机に向かってみても、ぼんやりと窓の外を眺めていることの方が多いくらいだ。たとえ、雨が降っていなかったとしても。
以前わたしは彼女に、予習や復習をしなくてもいいのかと訊ねたことがある。桜さんは一瞬きょとんとして、試験勉強なら一夜漬けでどうにでもなるし、赤点じゃなければそれでいいの、と笑っていた。わたしだって物覚えの悪い方ではなかったけれど、というか暗記にはそこそこの自信はあったのだけれど、そこまで達観できるはずもなく、必要があればこうして勉強机に向かってみるのだった。
再びページをめくる、さらり、という音がした。
「……何を読んではるん?」
その音がどうしても気になって、わたしは彼女に訊ねた。そしてそんなふうに好奇心をあらわにしてしまった自分に、少しだけ戸惑っていた。
「この前アリシアが来たときにくれたの」
そう言ってわたしに見せてくれたのは、一冊のハードカバーの本だった。題名も作者も英語——いや、英語とは違う言語だろうか——で書かれており、わたしにはそれが何について書かれた本なのかも判別できなかった。
「ジ、ジェ……? それ何語やの?」
「『ジェルミナール』よ。フランス語の原著」
……フランス語。フランス語?
「ええと。桜さん、フランス語わかりはるん?」
「……多少、ね。英語とフランス語とドイツ語は、アリシアがみっちりと教えてくれたから」
驚いて二の句も告げられずにいると、桜さんは慌てて顔の前でパタパタと手を振って見せた。
「でも、辞書と首っ引きじゃないと無理よ。それに。わたしにはそもそも読解力がないし」
勝手に阿呆の子だと思っていたのに。
わたしは心の中で彼女に謝りながら、唇の端に小さな苦笑を浮かべていた。そして誤魔化すように壁の時計を見て、
「うち、お風呂に入ってくるけど。桜さんはどないする?」
桜さんは少しだけ考えて、もう少し区切りのいいところまで読んだらにしようかな。浴室、まだ混んでると思うし、と言った。
「ほな、うち先に行ってくるわ」
着替えをクローゼットから出しながらそう告げると、桜さんは本に目を落としたまま、行ってらっしゃい、と言った。
桜さんが言った通りだった。いつもより早めの時間だからだろうか、浴室は思っていたよりも混雑していた。この時間帯は寮生ではない運動部の子も、お風呂を利用しに来るそうだから。混雑具合もひとしおなのだろう。わたしは小さくため息をついて、空いている籠を見つけて服を脱ぎ、髪をまとめると、お風呂セットと湯桶を持って、浴室に入った。
やれやれ。ただでさえ湯気で視界が制限されているのに。人がうじゃうじゃいて気持ち悪い。
先に掛け湯をして湯につかろうか、それともシャワーが空いていたら先に体を洗ってしまおうか、と考えていると、
「ちょっと、そんなところに突っ立っていられると邪魔だわ」
険のある声でそう言われた。
振り返ると、そこに立っていたのは、……聖だった。
わたしの従姉妹の。
もっとも、彼女はそのことを、知らないのだけれど。
「もう、聖ちゃん、口調強すぎるよっ。相手の子だってびっくりしちゃうでしょ?」
隣で裸の女の子が、聖の肩をぺちぺち叩いている。よく見てみると、それは栗橋さんだった。栗橋さん。聖と仲がいいのか。
「だ、だってっ」
「だってじゃないでしょっ、そーゆーときはごめんなさい、でしょ? もうっ」
「わ、悪かったわよ。ごめんなさい。……これでいいんでしょっ」
「もう素直じゃないんだからー」
聖の頬が赤い。わたしはそれを睨みつけるように見ながら、小さく頭を下げた。
「……うちのほうこそ、ぼーっとして。すみません」
そしてそのままその場を離れた。掛け湯をして、湯船に入る。
砂塚、聖。
曇りガラスの向こう側で、雨の当たるパラパラという音を、わたしは確かに聞いたような気がした。
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