第6話

 そう。

 そうなんだよ。

 ボクはケイを裏切ってしまったんだ。

 理由はどうあれ、ボクはカイトに抱かれてはいけなかった。

 だって、ボクはケイに真偽を問いただしてなかったし。

 それなのに、ボクは勢いのままカイトのやさしさを受け入れ、抱かれてしまった。


 立派な裏切りだ。


 なんということだ。

 ボクは絶対あの男のように裏切りはしないと誓ったはずなのに。


(母さん……)


 ボクは───


 そのとき。

 ざあああっと強風が襲った。

 ボクは一瞬目を閉じた。

 そして、目を開けた瞬間。


「直樹……」

「!!」


 そこには母さんが立っていた。

 どうして?

 母さんは死んだはずなのに。


「直樹……おまえも母さんを裏切るのね」

「ち…ちが……」

「おまえもあの男と同じなのね」

「か…かあ…さ……」

「やはりあの男の子供だわ、憎い、憎い……」


 ボクは震えていた。

 一歩一歩ボクに近づいてくる母さん。

 その表情はとても悲しそうで。とても辛そうで。

 ボクはだんだん胸が苦しくなってきて。

 耳鳴りまでしてきだした。


「……?」


 耳鳴りだと思っていたけど。


(ちが…う……これは……)


 そう。

 またあの音色だ。

 女のすすり泣くような音。

 聴いていると、胸が締めつけられる。

 なぜだろう。

 いてもたってもいられない。

 どこかに行かなくちゃ。

 どこかに行かなくちゃ。

 そんな焦燥感に囚われて。


 ボクは今どこにいる?

 それさえもわからなくなってきている。

 さっきまでケイがいた。

 カイトもいたはずなのに。

 今はボクたち二人だけ。

 母さんとボクと。


 周りの風景も何も見えない。

 何もないモノクロの殺風景な世界。

 なんて淋しい眺め。

 ああ。

 せっかく母さんと一緒だというのに。

 元気になった母さんと桜吹雪を浴びようって思ってたのに。

 たとえ、目の前の母さんが、ボクを憎んでたとしても。

 夢でもかまわない。

 一緒に桜を見たい。

 一緒に桜吹雪を。


 ボクは祈っていた。


 桜咲く春が来たら───


 もう春は終わってしまったけれど。

 また春が来たら。


 ボクが願えば。

 強く強く願えば───

 春はまた来る?

 来年ではなく、今すぐ春が来たら。

 今ではなく明日にでも春が来たら。


 そしたら───


 何もかもが夢に。

 母さんが死んだことも。

 母さんが父さんに裏切られたことも。

 父さんがボクにした仕打ちも。

 みんながボクを遠ざけたことも。


 そして、ボクがケイを裏切ったことも。


 すべてすべて夢に。

 悪夢という夢に。


 そしてボクは目覚めるんだ。

 本当の現実に。


(春よ来て)


 強く願う。


(桜よ咲いて)


 ガタン───


 背中に何かが当たったと思った瞬間。

 ふわりと身体が浮いたような感覚だった。


 ふうわりと───


 夢を見ているようだった。

 ボクは何もない空間で浮かんでいたんだ。

 無重力な空間に浮かぶって、こういうことを言うのかな。


 ざああああ───っ!!


「!!」


 ボクの目前一杯に桜色が広がった。

 どこまでもどこまでも続く桜色の空間。

 そう。

 それは桜吹雪だった。

 激しいまでに舞い踊る、桜吹雪の饗宴。

 それを包み込むように、あの音色が強く強く聴こえてきた。

 と同時に、歌声も聴こえてきだした。



  花よ人よ悲しき者よ



 誰の声?

 不思議だ。

 ケイの声にも似ているように思える。

 けれど、なんといったらいいのだろう。

 今までに聴いたことないような不思議な声。

 こういうのを神の声というのだろうかと思ってしまいそうなほど。



  花よ人よ悲しき者よ


  さあその悲哀を捧げよ


  さあその業を捧げよ


  花に命を


  人に心を


  悲しき魂を


  罪深き己を恥じよ


  捧げよその身を


  全ての神々は


  その身体を貪り


  その心を吸い尽くし


  罪深さを許すのだ


  さあ捧げよ


  命を差し出すのだ



 強い衝撃がボクの身体を襲った。

 何が起きたのか。

 ボクは永久にそれを知ることはない。


 けれど。

 ボクは幸せだった。

 これでボクは救われる。

 これでボクの罪は許される。


 ボクは今この瞬間、きっと微笑んでいるに違いない。


 そして、ボクの意識は永遠に閉ざされる。

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