第5話
だけど。
ボクの幸せは長くは続かなかった。
しかもあまりにも短かった。
あくる日の夕方の屋上。
ボクはカイトに抱きしめられ口付けられていた。
(桜……)
金網越しに見える桜は緑葉に包まれていた。
すっかり花びらは落ちてしまい、夕焼けに照らされて青々している。
(桜吹雪が見たい……な…)
桜色の吹雪。
それが夕焼けに溶け込んで見えるさま。
あれはこの世の物とは思えないくらいに美しい。
いつも春の季節になると、毎日のようにここにやってきていたボク。
夕焼けに照らされる桜を見たくて。
夕焼けに照らされる桜吹雪を見たくて。
「春が……」
「ん…何か言ったか?」
「ううん、何でもない……」
ボクの身体をまさぐる熱い手も。
ボクの唇を奪うねっとりとした感触も。
今だけは何も感じない。
やさしいカイト。
冷たいケイ。
そして、ボク。
何もかもどうでもいいような気がして。
もう何が本当で何が嘘なのかわからなくて。
誠実も裏切りも、そんなもの、どこにもないようなそんな気持ちになってきだして。
(明日、春が来たら……)
思わず心に浮かんだコトバ。
明日、春が来たら……
そのとき。
「何してるんだ?」
ボクははっとしてカイトから身体を離した。
そして、恐る恐る振り返る。
そこにはケイが立っていた。
「君たちは何をしているんだ?」
もう一度ケイが聞く。
その声は怒気を含んでいるものではない、妙に淡々としていた。
ケイの顔の表情も、まるで能面のようにのっぺりとしている。
それがボクの心を凍らせた。
まるで冷水を浴びたような感じだ。
「ケ……イ……」
声が緊張で掠れる。
言葉が続かない。
「ケイ、待てよ」
するとカイトがボクの前に回ってきた。
ボクは彼の背中の影に隠れてしまう格好となった。
なんだかとても頼もしいと感じた。
「見ての通りだよ」
「見ての通りとは何だ?」
相変わらずケイの声は落ち着き払っている。
「俺は直樹が好きだ」
カイトがキッパリとそう言った。
だけど、ケイがそれに答えて。
「直樹は僕の物だよ」
ドキッと胸が鳴る。
ナオキハボクノモノダヨ……
ボクはその瞬間気付いた。
もしかしてボクは、ものすごい間違いを犯してしまったのではないのか、と。
「ふざけんなよ、ケイ!!」
「ふざけてなどないさ、本当のことだ」
「だったら、なぜ直樹をほおっておいて他のヤツなんかと…」
「他のヤツ……?」
「崎本のことだよっ」
「ああ……」
ケイの声の調子が変わった。
なんだろう。
とても楽しそう───なんだかこの感じ、イヤだな。
「何を勘違いしてるんだか……直樹」
ボクはビクリと身体を硬直させた。
「ねえ、直樹。僕が君を裏切ったと、君はそう思ったんだね」
「ちがっ……」
ボクは叫んだ。
慌ててカイトの背中からケイの前に飛び出した。
「何が違うの?」
「………」
ボクはぞっとした。
ケイは微笑んでいた。それはそれはやさしそうに微笑んでいた。
でも、その微笑みは───
なぜか、ボクはとても怖いと感じたんだ。
ざあっと風が吹き抜けていく。
それと同時に、ボクの心にも風が。
春の風は生ぬるい。
だけど、ボクの心に吹き抜ける風はとても冷たかった。
「裏切ったと思ったんだね」
「………」
ボクは声が出せなかった。
出したかったのだけど、どうしても言葉が出なかったのだ。
微かに微笑んでいたケイの顔が曇る。
「直樹、僕は悲しいよ」
「………」
「あんなに好きだと言ったじゃないの。それなのにどうして僕を信じられなかったの」
「………」
ボクはその場所にいるのが辛くなってきた。
今すぐどこかに逃げ出したかった。
それとも、今すぐにでも足元に穴を掘って隠れたいと……コンクリートじゃ無理なんだけども。
「ケイ、やめろよ」
カイトがボクの後ろから怒鳴った。
「おまえの行動が不自然だったからだろう。直樹を責めるのは酷だ」
「君は黙ってるんだ」
「………」
カイトが息を呑むのを感じた。
それもそのはず、ボクも今のケイの声を聞いて、一瞬心臓を鷲掴みにされたと思うほどの恐怖を感じたから。
(なに……?)
何だろう。
このケイの圧倒的な威圧感。
まるで、まるで───
ボクは恐る恐るケイに視線を向ける。
「…………」
ケイはケイだった。
どこから見てもただのケイ。
女の子よりもキレイだということを除けば、ただの人間にしか見えないけれど。
でも、すぐにケイから感じられた威圧感がなくなった。
そうすると、ケイの悲しそうな表情がより一層悲しそうに見えてきだして、ボクは胸が詰まりそうになった。
「どうして信じてくれなかったの」
「ケイ……」
「裏切りは許さないって言ったじゃないの」
ケイは一歩一歩足を進める。
ボクへ向かって。
「そんな僕が、君を裏切るだなんてそんなこと、ほんとに思ったの?」
「だって……」
「僕は悲しいよ。僕はただ彼女の相談にのってあげてただけだよ」
「え……」
「それなのに君は僕に確認することなく、僕のことを信じずに……」
「………」
だんだんと近づいてくるケイ。
ボクは弱々しく首を振りつつ、後ずさった。
「ねえ」
「……」
ケイの顔がボクのすぐ傍に。
ボクらはそれほどの背の違いはなかったので、まともに顔が近くにくる。
ボクは顔を逸らしたかった。
だが、なぜか動けず、じっと彼の目を覗き込んでいた。
(あ……銀…)
彼の瞳の奥で、銀色の炎が揺らめいたような気がした。
同時に、どこからともなく、またあの音色が聞こえてきたような気がした。
すすり泣くような悲しげで儚い音色。
「カイトに抱かれたの?」
「ケ……イ…」
「僕が抱いたその身体を、他の男の好きにさせたの?」
「でも…ちが……」
「何が違うの?」
「だ…だって……」
ボクは首を激しく振るだけだった。
だって。
だって。
やさしかったんだよ、カイトはとても。
ボクは確かにケイが好きだった。
好きだったからこそ、ケイに好きだと言われたらとても嬉しかったし。
だから抱かれたんだ。
けど、どうしても彼に好かれているという気持ちが感じられなくて。
ほんとは、抱かれても気持ちいいなんて思ったことなかった。
なぜなんだろう?
あんなに好きだったケイなのに。
抱かれても抱かれても、嫌悪感しか感じられなかった。
まるで。
まるで。
あの男に陵辱されているような、そんな気までして。
けれど。
カイトは違ってた。
彼に抱かれたとき、ボクはこれなんだと、これが本当の「抱かれる」ってことなんだと気づいた。
抱かれるってことが、こんなにもやさしい気持ちになるとは。
愛撫されるってことが、こんなにも気持ちのいいことだってことが。
ボクは一度も感じたことない絶頂を何度も感じた。
それこそ、何度も何度も。
これが本当に愛されるってことなんだと。
ボクはカイトに抱かれて、この上なく幸せを感じたんだ。
でもそれは───
「君は僕を裏切ったんだね」
カイトの言葉がボクの心に突き刺さった。
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