第3話 百年の命


 新たなことにチャレンジしようという意欲のある人たちが学び直し、新たな人生を始めることができるのです。

 そういう社会にすることで、日本は活力ある社会を維持し、発展することが可能になります。


 日本政府がこのように述べているのです。


 昨年の秋に、立ち上げた「人生100年時代構想推進室」なるところが中心になって、このような文言を作り、呼びかけているのです。


 まったくその通りであると思っています。

非の打ち所がない文言であると、そう、思っているのであります。


 同時に、私、新聞紙面の下で盛んに警句を発している広告のキャッチコピーにも、同じように同感をしているのです。


 曰く、足りるかな、お金!

    ご自宅を担保に、お支払いは使った分の利息だけ

    平均寿命より健康寿命


 などと、そう叫ぶ言葉の数々にです。


 政府の呼びかけも、営利団体が発する呼びかけも、一点の非の打ち所もありません。

 でも、どこか腑に落ちないのはなぜかって、考え込んでしまうのです。


 人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり

 ひとたび生を享け、滅せぬもののあるべきか


 幸若舞の一節です。

 信長が好んで唄い舞ったという、『敦盛』の山場の箇所です。


 十六世紀、信長の生きた時代、日本人の寿命は五十年であったと言います。


 天正十年六月二日に起こった本能寺の変で、信長は、事業なかばで命を絶たれます。

 天正十年を新暦に直しますと、一五三四年になります。生まれたのが、天文三年五月十二日と言われています。これも新暦に直しますと、一五八二年になります。

 つまり、信長は満で四十八、数えで四十九で、その生を終えたということになるのです。

 

 幸若舞のあの言葉通りに、信長は己の生をまっとうしたということになります。


 さしづめ、現代に、信長が生きていれば、今の時代の日本人の平均寿命にかけて、人間八十年となるのでしょうが、そうそう短絡的にはいかないようです。


 『敦盛』の中の一節「化天」がそれです。


 「化天」とは、佛教でいうところの、「六欲天」の五番目の世界で、一昼夜の時間は、この世の八百年にあたり、そこに居るものの命は八千歳とされるのです。

 

 信長のことですから、非現実的な「化天」を、現実的な「下天」と読んで、唄い舞ったとしたら、これは面白いことになります。


 「下天」もまた、「六欲天」の中にあり、その位置は、最下位にあり、そこでは一昼夜は人間界の五十年に当たり、そこに暮らす人の命は、五百歳というのですから、「化天」に比べれば、幾分、現実的であります。


 だとするなら、信長は、「化天」ではなく、「下天」を認識して、その通りに生き抜いたということになります。


 信長は、人間界でその生を、ほぼまっとうし、下天界で、未だ生き続けているということになるのです。

 計算してみますと、今年、信長は、下天界で四百三十七歳になります。


だから、信長は、その世界から、今の時代を見下ろして、「であるか」と頷いたり、「是非もなし」とのたまわっているのではないかと思っているのです。


 それはともかく、政府も、業界も、日本人の命が伸びてきたことを心配してくれます。

 ありがたいことだと思っているんです。


 こんな国、世界のどこにもありません。


 戦争で亡くなった人など、この七十年余りもいない国なのです。さらに、戦争で、他国の人間をひどい目に合わせたこともありません。


 いかなる人も自由と人権が保障されて、この国で生きていくことができます。ですから、みな、言いたい放題、やりたい放題です。時には度が過ぎて、警察のお出ましになりますが、それでも、自由であることが、何より大切だとみなが思っています。


 ガンは早期発見が行き届き、ガンで命を失うことが年々減ってきています。

 PS細胞での治療も世界で初めて実施されることになりました。

 何より、私たちの国の食べ物は、世界一安全で美味しいものです。


 私個人でいえば、実に健康そのもの、ゆくゆくは、腎臓一個だけという弊害も出ては来るのでしょうが、まあ今の所は、ロードバイクをぶっ飛ばし、湖をエンジンふかして滑っていますし、時折、ピンポン玉を思い切り打ち込んでいるくらいですから、与えられた健康寿命に感謝をしているんです。


 政府や、民間会社のご心配に感謝をしつつ、私は、与えられた寿命をそれが六十年であろうが、八十年であろうが、百年であろうが、寿いでいきたいと思っているのです。


 ですから、政府や営利団体のご心配が、どこか、空々しく聞こえてしまうのではないかと思っているのです。

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