第2話 コンチクショの顔


 朝、ブラウンの電動歯ブラシで歯を磨き、エイジング・クリームをたっぷりとつけて、面の皮にハリを与え、私はさっぱりとした気持ちで、改めて、自分の顔というものを見つめるのです。

 

 志ん朝の落語の一節が頭をよぎります。


 人間っていうのは、飲む・打つ・買うって道楽をいたしやすが、打つっていうのはいけません。なに、あっしも、人並みに、飲む・買うっていうのは、うーんっ、やったことはあるんですが、打つっていうのはしたことがありやせん。

 

 志ん朝がなぜ打つってぇのをしないのか、その理由がイイ。


 打つってぇと、人の顔がよくなくなるでさぁ、博打っていうのは、負けるって決まっていやすから、混んでくりゃ、自然、顔つきが悪くなるって、そう語るのです。


 確かに、その通りだ。

 でも、博打なんて、したことない私ですから、自分の顔を鏡の向こうに見て、顔つきが悪くなるってどういうことかと気をもむのです。


 三島由紀夫も確か書いていました。


  顔は所与のものであって、遺伝や様々の要因で決定されている。

  整形でさえ、顔の持つ決定論的因子を破壊し尽くすことはない。

  しかも、顔というのは、自分に属するというより、半ば以上、他人に属している。

  他人の目の判断によって、自と他とを区別する表徴なのだ。


 なんてことを言っていました。


 確かに、顔は与えられたものであり、両親の影響を受けて自分の顔がある。

 整形はしたことないけれど、整形をしても、内奥に、自分の顔があるのだから、仮に生まれて来た子は、整形のそれではなく、内奥のそれを持って生まれてくるのだ。

 さらに、確かに、顔というのは、他人の認識によって、分離されるものに違いない。

 自分ではなく、他人が自分の顔を使っているんだ。


 そんな愚にもつかないことを考えるのです。


 両の眉は、嫌なものを見たとき、ひそめられて嫌悪の情を巧みに表現して、相手に自分の気持ちを伝えていくのに使われます。

 その下にある瞳はといえば、時に、意思の確固たる在りどころを、時に、驚きの、時に、悲しみのと、我らの感情を表現してあまりあるものです。

 これとて、自分の感情を相手に伝えるに十分なる仕草なのです。


 鼻だって、フンとあしらったり、クンクンと察知を促したり、十分に他者を威嚇するに足りるものです。

 さらに、口はといえば、これまた、相手にさまざまな意図を伝えることが可能な器官です。

 恋する相手に甘い言葉を吐くのも、気に入らない相手に悪態をつくのも、軽率な判断で思わぬ言葉をだしてしまって、自らを貶めるのもこれです。


 文明化された人間はその身体をペラペラした造作物で覆っています。

 ファッションセンスあふれるそれらは、出て来た腹をわからぬように抑え込み、出ていない胸を膨らませてくれます。

 時には、肩をいからせ、みすぼらしい肉体にそれなりの格好を与えてくれるのですが、顔だけはそうはいきません。

 露骨なまでに露呈したそれらは、いつも、さらけ出されて、そこにあるのです。


 この隠しようのない顔は、確かに人生を刻んできたに違いないのです。


 苦労した人は、それなりのシワをおでこに刻み、こけた頬で、虚ろな視線を送ってくれます。

 能天気な人は、意味のない笑みをその目にたたえ、口元はいつもだらしなく下がっています。

 気難しい人は、口をへの字にして、鋭く冷たい視線が他人をさします。

 優しい人は、その目がそれを伝えて余りあります。


 あぁ 、なんて、顔ってやつは正直なんだと思うのです。


 赤ん坊が可愛いのは、そうしないと生きていかれないからだって、何かの哲学書に書いてありました。醜い赤子、憎たらしい赤子は、世話する大人たちから嫌われる、それを本能で知っていて、可愛くあるんだって。

 確かに、そうだ。


 しかし、歳を経ていくにつれて、人は、聞き分けがなくなり、コンチクショの顔になるんです。

 

 そう思ったら、私、朝の顔を、もう一度、見つめ直したんです。

 そして、エイジングクリームをたっぷりと手のひらに落として、顔がギトギトになるまで、それを塗りたくったのです。

 

 整形でさえ、顔の持つ決定論的因子を破壊し尽くすことはないと三島が言っているのに、整形どころか、クリームでそれを変えようとするのですから、愉快この上ないことです。


 まぁ、私の顔は私の顔であって、他人のそれでもあるのだから、これ以上はどうしようもあるまいと、タオルですっかりと拭き取って、綺麗さっぱり、今日一日を生きようと、私は、鏡の前から姿を消したのです。

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