第5話-2 秘密

「───夏って嫌い。」

快適な温度に設定された車中で呟く。

車は事務所を出るとギラギラと日を浴びるビルが林立したエリアを走っていた。町行く人は誰も彼も暑さに顔をしかめて額に浮いた汗を拭う。

交差点に差し掛かり車は一時停止。バックミラー越しに運転手兼私のマネージャーを務める──寺田が視線を送ってきた。


「夏生まれなのに滅多なことを言う」


車は青信号に気付いて動き出す。

私の誕生日は夏まっただ中の8月。学生の頃は休み期間中のため同級生からは「おめでとう」の言葉をかけてもらったことがないアンラッキーな幼少時代を送った。だが小学生の頃から芸能界に身を置いていたため、そもそも同級生との間にさしたる思い入れも無ければ思い出もない。当時から私の周囲には、商品を見るかような視線を送ってくる大人たちしか存在しなかった。

カーテレビにはしつこく私の熱愛報道に関して顔も会わせたことのない人々に感想を述べられている。彼らも仕事だ、と思うと自分はこの立場でまだ良かった、と胸をなで下ろす。


「今回の事は気にしなくて良いからしっかり休め」


寺田はそういって細い道を進む。


「寺田さん、今新しい子につきっきりで私に構ってる場合じゃないでしょ」

「バカ言うな。内の事務所で朝ドラ張ったの君で2人目だぞ。」


あの有名なドラマへの出演以来、私には“朝ドラ”の文字が修飾語のように取り付いている。主役の女の子の引き立て役、ぐらいの認識だったが回を重ねるごとに私の役回りは増えていった。何がそこまで私の評価を上げるか世の中わからないものだ、と本当に思った。そのおかげでバラエティ番組にも引っ張りだこ。ここのところまとまった休みは一切なかった。


「寺田さんは私にどうしてほしい?」

「…。」


彼は私の一回り年上。この事務所に移ってきて最初に担当についたので、かれこれ三年ほどの付き合いになる。仕事熱心だが私のことを妹のように扱うので最初は苦手だった。だが事務所の社長の計らいで私の込み入った事情を知ってる数少ない存在だと聞いてから、戦友のような間柄になった。

車が目的地につくと彼は一つため息を付いて振り向く。


「お前が幸せになれるなら私は応援するよ」


──もちろん、会社の利益が最重要だがな、と苦笑する。私は彼の優しさに触れる度に何度も辛い思いを乗り切ってきた。私を理解してくれる最強の理解者、それが彼。


スタジオに入り身支度を始める。普段ヘアメイクを担当してくれる女性は今日に限って休みを取っており代わりに髪を整えてくれるのはゴシップ好きの派手な男性メイクアップアーティスト。時代遅れも甚だしいファッションに髪はゴテゴテに色づけている。


「穂乃佳ちゃん、見たわよ~」

「えぇ、まぁ…お騒がせしてすいません。」


ライトの付いた鏡越しに声をかけられスマホに落としていた目線を上げて答える。ニヤニヤ楽しそうに微笑みかけてくる男に少しばかり嫌気をにじませるもお構いなしに聞いてくる。


「どこで見つけたの~?あんないい男。」

「誤解ですよ。週刊誌に書かれているような事は特にありませんから。」


写真を撮られたのは偶然だった。まぁ本当に彼とは何もないので別段気にしては居なかったが、これほどまでに世間が注目するとは思いも寄らなかった。


「まったまたぁ~。うっそおっしゃーい。」


どこかで聞いたことのある語尾をのばす話し方にいちいちしゃくに障っていてはこの業界ではやっていけない。私が最初に学んだ処世術。無言で微笑んで威嚇する。


——笑顔は動物の頃の相手を威嚇する修正の名残。

そう教えてくれたのは他でもない武川翔真だった。



それから数時間、スチールの写真撮影を終えて帰宅する頃には日付が切り替わるほどの深い時間になっていた。

この時間のテレビでは流石に私の報道を殊更取り沙汰すようなものはやっていない。

疲れた体をソファに横たえると机の上に置いたスマホがメッセージありを示す光を微かに点らせていた。

体を起こすのも億劫だったが、手だけを目一杯伸ばし手に取る。


『気をつけて行ってきなさい』


画面に表示された文言に不意に熱い物がこみ上げる。

そのメッセージの送り主は“武川翔真”。

私はスマホを両手で持ち胸元で大切に大切に抱き締めた。

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