第33話

 翌朝、ここ最近で最も調子がいい朝になったかもしれない。カーテンを開けて受ける陽射しが、今日はやけに心地よい。

 朝食を食べて、家を出る。玄関前では、昨日と同じように若葉先輩が制服をはためかせながら僕を待っていた。

「おはよう、ばっしー。元気そうだね」

「おかげさまで」

「じゃ、行こっか」

 くるりと回れ右をして、三鷹駅に向かう。休日の朝、人通りはやはりまばらで、時折ランニングをしている人とすれ違う程度だ。

 三鷹駅が近づくと、徐々に人通りは増えてきた。車道の脇をロードバイクが駆け抜けたり、僕らの脇を魔法で高速移動している人がすり抜けたりといったことも。

「でも、ばっしーの魔法嫌いも、大分良くなったよね。最初出会ったときなんか、魔法見ただけで嫌そうな顔してたのに」

「……先輩のおかげですよ」

「え……?」

 ふと、思い出話を楽しむかのように言い出した若葉先輩に僕はそう返す。

「多分、先輩じゃなかったら、僕はこの部活入ってなかったんで」

「っ、ば、ばっしー……?」

「だから、ある意味感謝しているんですよ。もし、先輩があのとき僕の勧誘を諦めていたら。そう思うだけでゾッとします」

 駅に着いた僕らは、改札を抜け、新宿方面の各駅停車のホームに上がる……のだけれどまだ若葉先輩が改札を通ってなかった。

「先輩? どうしたんですか?」

「あっ……いや……なんでもない」

 ははと軽く笑みを浮かべつつ、遅れて若葉先輩も改札に入った。

 国立競技場の最寄り駅、千駄ヶ谷駅は、つい先週まで試合を行っていた代々木の隣の駅だ。まあ、代々木公園に行くのに代々木駅は少し遠いのだけど、細かいことはさておく。

 今まで、この代々木、千駄ヶ谷の壁が厚かった。らしい。

 近くて遠い国立競技場。それは、例えるなら、甲子園球場が近い兵庫県の高校球児のようなもので。

 学校のある中野駅から、たった五駅。それだけ近いところに国立競技場はある。でも、遠かった。策士先輩曰く、東都学園初の国立。

 そんな大舞台が、これから若葉先輩と僕を迎え入れる。

「もうすぐ、だね。ばっしー」

 滑り込んできた電車を目の前に、先輩がそんなことを呟く。

 どこか遠くを眺めているようにも映る先輩。その目は、しかし至って真面目で。

 あと、少しで始まる。


 千駄ヶ谷駅に到着した。改札付近には、今日の準々決勝に残った男女の選手が何人か立っている。そのなかには、見慣れた制服を着た策士先輩と高坂先輩もいる。

「あ、おはようございます、若葉先輩」

「おはよーつるせっち」

「明日翔も、もう体調はよくなったんだな」

「はい、もう大丈夫です」

「明日翔のまとめたデータ、ドンピシャすぎて、凄かったよ。そこ攻めるだけで、どんどん若葉先輩のペースで試合進んでさ」

「いや……耀太さんのおかげ助かりました。耀太さんならきっとデータを拾ってくれるって思ったんで……」

「今日は頼むよ、明日翔」

「はい。高坂先輩も、昨日はありがとうございます」

 策士先輩の隣にちょこんと立っている高坂先輩にもそうお礼を言う。

「ぜ、全然……大丈夫です」

 この間の感情を強く表に出していた高坂先輩の影はどこにもなく、いつもの大人しい声が、先輩の口から放たれた。

「よっし、じゃあみんな揃ったし、国立競技場、行こっか」

 若葉先輩はそう言い、千駄ヶ谷駅前のロータリーを出て、目的地である国立競技場へと歩き出した。


 国立競技場周りは、多くの人でごった返していた。

「あれ? 一般の人も入れるんですか?」

 あまりに数が多いので、僕は近くを歩く策士先輩に尋ねる。

「ああ。準々決勝からは、一般にも公開する。エアカーリングはそれなりに人気のある競技だから、毎年結構な人数が試合を見に来るんだ。去年は確か……五千人くらいは動員したはず」

「ま、まじですか……」

「まじ。あと、テレビの中継も入るよ。CSだけど、実況と解説も入る。全試合ね」

「…………」

 もしかして、物凄い世界に足を踏み入れた?

「だから、今日はアドバイザーも決まった人しか入れない。中継の関係で。つまり、今日若葉先輩を助けられるのは明日翔しかいない」

「なる、ほど」

「僕と高水は、スタンドから、見ているから」

「は、はい」

「多分、中に選手とアドバイザーの控室があると思うから。外でのアップなら付き合うから、何かあったら連絡して。じゃあ、僕らはここで」

 そう言い終えると、策士先輩達はメインスタンドの観客席の列へと入っていった。

 僕と若葉先輩は、関係者入口とかかれた場所へ向かう。すると。

「菜摘」

 聞き覚えのある声が、後ろからした。

 人混みのなか、据わった目をした玉淀さんが、こちらに近づいてくる。

「まさか、菜摘と国立で試合をするときが来るなんてね」

「私も、まさか当たるとは思ってなかったよー」

「……春に当たったときは、全然だったのに。それに、上板橋君。あなた、専任のアドバイザーになったの? 選手やめて」

 うがつような目で僕を見る玉淀さんは、そう聞いた。

「まあ、そうですね。若葉先輩を国立に連れて行くための策として必要な判断だったので」

「……そのために君の最初の一年を犠牲に?」

「犠牲に、だなんて思ってないですよ。僕のためでもありますから」

「そう……まあ、私がとやかく言うことではないし、まぐれで国立は行ける場所じゃない。春から強くなった菜摘との試合を、楽しみにしてる。じゃあ、またピッチで」

 それだけ言うと、玉淀さんは僕らを追い越し、競技場のなかに入っていった。

「私達も、入ろうか」

「はい」


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