第32話


 言われた通り、かなり体がやられていたようで、ベッドに入るとあっという間に眠りについてしまった。試合の結果は気にはなったけど、それよりも体が睡眠欲に正直になり、目が覚めるともう夕方だった。

「ん……よく寝た……」

 体を布団から起こし、ぐっと伸びをする。朝感じていた体の重さは抜けていて、心なしか熱が下がったようにも思える。

「結果……どうなったんだ」

 僕は枕元に置いたスマホを手に取り、ロックを解除する。

 何件かの連絡が来ていた。

 高坂先輩からは体調を気遣うラインが、策士先輩からはデータ預かったぞと、そして。

 通知を減らしていくなか、また一つ、若葉先輩からラインが届いた。

「…………」

 そこには、満面の笑みを浮かべた若葉先輩と、策士先輩、高坂先輩の三人が写った写真が送られていて、一緒に送られたメッセージには、


「ベスト8残った! やったよ! ばっしー」


 とテンション高めな言葉が綴られていた。でも、それはきっと僕も同じようだ。

「よっしゃあ」

 ベッドの上で一人、握りこぶしを空に突き上げていたから。

 これで、次の相手は……。

「前回準優勝の、玉淀さんか」

 玉淀さんのデータは、もう既にまとめてある。春の大会で直接試合を見たから、特徴もつかんでいる。

 正直、それ以降は、もうわからない。というか準備もしていない。

 ……なるようにしか、ならない、かな。

「とりあえず、もう少しだけ、寝よう……」

 まだ少し眠気が残っていたので、いっそのことこれまでの寝不足の分をここで取り返してしまおう、ということで僕はもう一度、意識を布団の中に落としていった。


 次に目が覚めたのは、夜の九時過ぎだった。スマホが振動しているのに起こされたような形だった。

 目をこすりつつ、僕は着信画面に目を移す。

「若葉先輩……」

 僕は体を起こしてから先輩の電話に出た。

「もしもし……」

「あ、ばっしー。起きてたんだ」

 電話口からは、嬉しい気持ちが漏れ出ている先輩の抑えた声が聞こえてくる。

「起きてたんだ、というか、今起きたんですけどね」

「あっ、そうなの? なんかごめんね、起こしちゃって」

「いや……別にいいですよ」

「体調はどう? 良くなった?」

「はい。おかげさまで」

「ならよかった。明日は、よろしくね」

「はい」

「…………」

 テンポよく続いていた会話が、ふと、止まってしまう。

「先輩?」

 急に黙ってしまった先輩に、僕は声を掛ける。

「……明日で、もしかしたら、最後になるかもしれないからさ、ちょっとね」

 先輩らしからぬ、少し元気のない声色。

 告げられた言葉は、二つの文字を否応なく僕につきつけた。

 引退。

「一応、さ。最低限の目標は達成しちゃったわけだし……。それに。……引退しないためには、優勝しないといけないわけだし……。そのためには、まず準々決勝で、南を倒さないといけないわけで……」

 八月に行われる全国大会に出場するには、優勝するしかない。準優勝では参加できない。先輩がそう言うのも理解はできる。

 レベルとして、国立は狙えるけど、全国は厳しい。それが今の若葉先輩の力だ。

 だから、先輩は明日で最後になるかもしれない、なんて言いだしたんだ。

「……別に、絶対負けないでください、なんてスポ根ものみたいなことは言いません。でも、先輩の目標はただ国立に立つことではないですよね?」

 僕は、そんな現実を少しでも遠ざけたくて、そんなことを言い出した。

「うん」

「国立で、ちゃんと試合して、悔いのないようにするのが、目標なんですよね?」

「そうだよ」

「だったら。……今度は、先輩が約束、守って下さいよ」

 本当は、そんな約束、どうでもよかった。でも、燃え尽きかけている先輩に火を点ける言葉を、僕はそれ以外に見つけることができなかった。

「……約束?」

「言ったじゃないですか。僕が魔法を好きになれるように、協力するって」

「あ……」

「正直、まだ僕は魔法を好きになれてません。昔ほど、嫌悪感を持つことはなくなりかけてますけど、やっぱり好きにはなれてないです。だから、先輩。明日のプレーで、僕を魔法に惚れさせてください」

 何秒かの間、空気の音が電話口越しに流れてきた。そして。

「ばっしー」

 いつもの、明るい、陰を感じさせない先輩の声色が耳に入る。

「わかった。明日、精一杯やるから」

「はい」

「……そろそろ、寝よっか? 明日も早いし。これ以上夜更かしさせたら、悪いしね」

「そうですね」

「じゃあ、また明日」

「はい、また明日」

 電話が切れて、僕はバタンとベッドに頭を沈めた。

 その日は、結局よく眠ることができた。余程、僕は疲れがたまっていたのだろう。


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