第27話

 その日の試合、若葉先輩は本当に冴えていた。四試合で四つ全てに勝利を収めた。これだけでも東都学園では初めてのことだそうだ。僕が立てたプラン通りに、いや、それ以上に高い精度でプレーをしてくれた。

 対して高坂先輩は二勝二敗。二戦目三戦目は策士先輩のアドバイスが効いたのか、きっちりと勝ちを掴んだ。しかし、四戦目は策士先輩曰く何もさせてもらえずに七回ギブアップ負けになったらしい。決勝トーナメントの可能性が完全になくなったわけではない。しかし、代々木からの帰り道、暇さえあれば元気づけようとしている策士先輩の声も空しく、高坂先輩から声は一切聞こえなかった。

 後ろで小さく結ばれた髪越しに映る高坂先輩の真っ白なワイシャツの背中が、今日はいつも以上に小さかった。

 家に帰り、晩ご飯を食べてお風呂に入った後、僕は策士先輩に電話を掛けた。

 高坂先輩が心配だったから。

「もしもし。どうした? 明日翔」

「すみません、明日もあるのに……」

 電話口から聞こえる策士先輩の声は、やはり快活だ。

「心配か? 高水のこと」

「はい。正直言って不安しかないです。帰り道、全く喋らなかったので」

 僕はスマホを右手に持ちながら、勉強机に置いたタブレットで明日の若葉先輩の対戦相手のデータを確認する。

「まあ、高水が話さないのなんて日常茶飯事だからな。ははは」

 スピーカーから、乾いた先輩の笑い声が聞こえる。端から聞けば。何も考えていないような笑いに取れる。でも。

「それ、本気で言ってます?」

「…………」

 僕が低い声でそう尋ねると、先輩の呼吸音だけが耳に伝わってきた。少しして、

「……僕も不安だよ。正直、今日は三勝一敗で乗り切る予定でいた。で、二日目で二勝一敗で切りぬけて、三位通過。これが僕のプラン。……ま、一戦目の相手がデータ以上に強くなっていた、っていうのが誤算だった。……まだ終わったわけじゃない。でも、あんなに落ち込んだ高水見るのも、初めてだったから……なんて言葉掛ければ……」

 そんな長い台詞が、先輩の口から紡がれた。

「もともと、そんなにメンタル強いほうには見えませんからね……高坂先輩」

 向こう側から、シャーペンが紙をこする音が響き始めた。

「……高水はさ、若葉先輩に拾われた身だから。若葉先輩が大好きなエアカーリング部を潰したくないんだよ」

「拾われた……?」

「高水とは小学校から同じなんだけど、昔っから自己主張がなくてさ。やりたいことあっても口にしない。嫌なことされても抵抗しない。そんな女の子だったよ。今でこそ、少しはマシになったけど」

「今よりもっと大人しかったんですか? 高坂先輩」

 あれよりもっと? そんな人現実にいるのか、と一瞬考えてしまった。

「まあ、色々あったからな……ほんとに色々」

「……いじめ、とかですか?」

「ありていに言えば、まあそう。男子からはからかわれるし、全然話さないから女子からもハブられるしで、もう凄かったよ」

「耀太さんは、なんで高坂先輩と仲良くしているんですか?」

「え? あー、小学六年生のとき、一回だけ話す機会があって。確か隠された筆箱見つけたんだっけ。僕、そのとき高水がいじめられていること知らなかったから、何も考えずに筆箱見つけて、『はい』って。そしたら、満面の笑みで『ありがとう』って言われてさ。その笑顔が凄く印象に残って。それからかな。僕が高水と話すようになったのは。ま、最初は僕も奇異な目で見られたけどね」

 で、と言い先輩は話を続ける。

「そんな高水も、魔法は人より上手かった。それで、中学の担任に薦められるがままに東都の魔法研究科を受験した。結果は合格。僕も普通の人よりは魔法が使えたから受けて、ギリギリ。それで、入ったはいいんだけど、研究科って、何かしらの魔法系の部活に入らないといけないんだよね。でも、高水はどこに入ればいいか、というか、どこに入りたいかがわからなかった。多くの部活が勧誘を終えて、入部シーズンも終わりかけた頃、高水は若葉先輩に声を掛けられた。『やりたいことがわからないなら、とりあえずここで探してみようよ』って。今思えば部員集めに必死だったからこその言葉かもしれないって、僕は思っているけど、高水にとっては救いの言葉だった。結局高水はそのままエアカーリング部に入った」

「耀太さんは?」

「僕も、最初は魔法研究部に入ろうと思っていたけど、高水の友達ってことで、無理やり若葉先輩に連れて来られたよ」

「ふっ、今の部員皆、若葉先輩が引っ張ってきたんじゃないですか」

「そうだな。まあ、周りを動かす何かって奴を、持っている人だと思うよ、僕は」

「そうですね」

「昔話が過ぎたな。今は高水をどう励ますかが大事なのに」

「……大丈夫ですよ。高坂先輩は」

「そうかな」

「耀太さんがかける言葉なら、きっとなんでも高坂先輩は喜びます」

「それ、言うの若葉先輩の台詞じゃない? 『つるせっちの言うことなら、きっと高水はなんでも喜ぶよー』って」

「まあまあ。それより耀太さん。似てないです」

「……明日翔と話したら、少し気が楽になったよ。うん。気負わずに高水と話すよ。これから」

 電話し始めたときは、硬かった策士先輩の声は、今にはだいぶ柔らかくなっていた。

「はい。それじゃあ、耀太さん。また明日」

「ああ。また明日、明日翔」

 電話が切れて、スマホの画面に通話が終了しました、という表示がトーク画面に追加される。

 僕は左手で暗くなってしまったタブレットの画面を触り、再び明日の対戦相手のデータを読み始めた。あらかた読み終えると、僕は部屋の電気を消し、ベッドに横になる。読書灯につかっているスタンドを点けて、相手の試合の動画を見始めた。

 その日、僕が寝たのは日をまたいで数時間が経ってからだった。


 大会二日目。一次予選の最終日。この日が最後になってしまう人が半分以上になる、そんな日だ。

 代々木公園に集まった僕ら四人は、それぞれ違う面持ちで顔を見合わせていた。

「……泣いても笑っても、とりあえず今日で一区切りだ。落ち着いて行きましょう。みんな」

 真っすぐ前を向いている策士先輩。

「うん。いつも通り、ね」

 柔らかい表情を崩さない若葉先輩。

「…………」

 昨日の帰り道から変わらず、冴えない顔をしたまま何も話さない高坂先輩。

 そんな先輩達を、俯瞰で眺めている僕。

 観戦スペースの一角に場所を取り、円を描くように並んだ僕らは、若葉先輩の次の一言でその輪を解いた。

「気負わないで、いつも通り、ね? みんな」

 その「みんな」が、特に誰を指しているのか。

 若葉先輩の目線は、痛いくらいに優しく高坂先輩に向けられていた。

 そして、若葉先輩と高坂先輩の選手二人は、昨日と同じように軽くランニングをしに行った。

 僕と策士先輩はその場に残り、隣同士場所取りに使ったレジャーシートに腰を落とす。

「大丈夫ですか? 高坂先輩」

「……やばいかもな。正直。昨日明日翔と電話終わってから高水に電話したけど、今にも泣き出しそうな声色でさ」

 先輩はゴクリと唾を飲み込んだ。

「……もし、もし、だったら。……頼んだ、明日翔」

 芝生を微かに揺らす風にさえかき消されるくらい、小さな声だった。

 もし、の後に省略された言葉は、きっと。

 それは、あまりに高坂先輩にとって残酷な未来だ。だから、策士先輩は口にしなかったんだ。

「考えないようにはしておきますが、そのときが来たら、頼まれます」

「……ああ」

 ピッチの近くに続々と広がる喧騒。その喧騒に取り残されるように、僕と策士先輩はただただ緑色のピッチを眺めているだけだった。


 二日目の初戦、一次予選第五戦。先にコールがかかったのは、高坂先輩だった。

「行こう、高水」

「……う、うん……」

 ガチガチに震えた声で、高坂先輩は返事をした。

「高水、いつも通り。笑って笑って」

 そんな高坂先輩を励ますために、若葉先輩は自分の頬を指で突きながらニコッと笑ってみせる。けれど、高坂先輩の顔は一瞬作り笑いを浮かべただけで、すぐにまたもとの硬い顔に戻ってしまった。

「……若葉先輩、とりあえず、僕らは自分の心配をしましょう。まだ予選突破が決まったわけではないんですから」

「う、うん……」

 とは言うものの、若葉先輩も高坂先輩のことが気になってしまうのだろう。視線で高坂先輩が試合を行っているポケットを見つめているし、コールがかかって自分たちが移動するときでさえも、高坂先輩の様子を見ていた。

 きっと、それがいけなかったのかもしれない。

 昨日の絶好調はどこへやら、若葉先輩は制球の精彩を欠き、第五戦を落としてしまった。相手が春二日目勢ということもあったのかもしれないけど、あまりにあっけない敗戦だった。これで四勝一敗。あと一勝でほぼ確定だけれど、油断はできない。次の相手も春二日目まで残った相手だから。敗れるようだと決勝トーナメントが怪しくなってくる。

「……切り替えましょう。しょうがないです。でも、次は集中してくださいね」

「そ、そうだよね、集中集中、あはは……」

 あまり感情の入っていない笑いを浮かべつつ、若葉先輩は僕と一緒に観覧スペースに戻った。

 そこにはもう高坂先輩と策士先輩が戻っていた。

「耀太さん、結果は……」

 顔を見合わせるなり、策士先輩は苦笑いを浮かべつつ右手の親指を立てて、

「延長十一回サヨナラ勝ち」

「っ……ま、まだ望みは……」

「ああ、残っている」

 そう言い、頭にタオルをかぶせている高坂先輩の頭をそっと撫でる。

「よくやったよ、高水」

 タオルで表情は見えない。でも、若干震えている肩が、見えなくてもどんな顔をしているかを僕に想像させる。

 高坂先輩の粘りを、無駄にするわけにはいかない。……次の相手、岩槻さんは去年の秋の都大会ベスト32の強豪だ。簡単な相手ではないけど、最終戦にもつれさせたくはない。国立を狙うなら、これくらいの相手には勝たないといけないんだ。

 もう、逃げてなんていられない。

 そんな決意を固めていると、僕ら四人の目の前を、泣きじゃくりながら通り過ぎて行くユニフォーム姿の二人がいた。

「よくやったよ、あそこまで戦えたんだよ、二日目勢相手に。凄いよ」「っ、で、でもっ……終わっちゃったよ。最後の大会っ」「まだ泣かないの。あと……二試合残っているんだから。最後までやらないと。ちゃんと」「……うっ、う、ん……」「よしよし、お疲れ……」

 きっと、決勝トーナメントの目がなくなってしまった三年生だろう。こうやって、一試合が終わるたびに、こういう光景がどんどん出てくるのが二日目なんだ。

 そんな様子を見てか、高坂先輩の小さな瞳が、一瞬大きく見開かれた。

「……嫌だ」

 そして、ポツリ、そんな言葉が漏れ出た。

「まだ……まだ……終わりたくない……私、まだ菜摘先輩と部活してたい……」

 まるで、抑えが効かなくなった水の流れのように、あふれ出した高坂先輩の秘めたる思い。

「まだっ! ……まだ一緒に部活したい……!」

「た、かみ……?」

 僕の記憶の限り、一番大きな高坂先輩の声を今聞いた。それは、どうやら策士先輩も、若葉先輩も同じみたいで。

 みんな、驚きに溢れた目で、高坂先輩のことを見ていた。

「一番ポケット、予選九組、東都学園、高坂さん。都立青海、初石さん」

 そんなタイミングで、第六戦のコールがかかった。

「行こう、鶴瀬君」

 今までと違い、今度は先に高坂先輩が立ち上がり、ピッチに向かい始めた。

「あっ、お、おう」

 呆気に取られていた策士先輩は、それに引っ張られるような形でついていった。

「た、高水があんなふうに声を出すの、初めて見た……」

「僕もですね……でも、それだけ、思いが強いってことですよ」

「うん。そう、だね」

「五番ポケット、予選十組、東都学園、若葉さん。都立八王子北野、岩槻さん」

「さ、僕らも呼ばれましたし、行きましょう」

「……勝つ、よ。今度は」

「……ええ」


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