第26話
二回。若葉先輩が点を取ったことで、先攻後攻が入れ替わる。今度は若葉先輩が先攻になる。
「先攻になったね、どうする? ばっしー」
「一投目は普通に中心を狙いましょう。あわよくばそのボールで決着をつけます」
「わかった」
先輩は軽い足取りでプレーイングゾーンに入り、しなやかな動きで第一投を放った。ボールはほぼ中心を捉える。
入れ替わって、男衾さんの第一投。男衾さんは正面のコースを切るようにボールを投球した。
「やっぱり上手いな……いやらしいところにボールを散らしてきますね」
「でも、あのボールも弾いていくんだよね?」
「勿論です。でないと、相手の術中にはまってしまうので」
先輩はポケットに浮かぶボール二つを見つめている。
「……少し地味な戦いかたを取っていますけど、守備的な選手相手に守備をさせたら全く点が取れなくなってしまうので、この試合は堪えてください、先輩」
「大丈夫、ばっしーの言うことだもん、堪えるよ」
「だと助かります」
そして先輩の第二投。指示通りボールを弾き出した。
さて、そろそろ男衾さんは動くと思うのだけれど……。
ビンゴ。
ボールを持たないでプレーイングゾーンに向かう男衾さん。仕掛ける。
少し悩まし気な顔をしつつ、ブロッカーを正面に配置させた。
「動いてきたね、男衾さん」
「はい。先にブロッカーを投げるってことは、少なからず戦況を嫌がっているということです。上手くいってます」
「次は、男衾さんが塞ぎたいポイントにボールを先回りさせる、だよね?」
「はい。中心にボールが残っている以上、これ以上中心を固める必要はありません。弾かれたらまた置けばいいだけの話です。それができる実力は、先輩は持っています。男衾さんが次に塞ぎたいのは、正面から見て右のコースです。多くの人が投げやすいスライダーが入って来るルートですからね。なら、先にそこにボールを置いて、投げにくくさせましょう。ただ、保険もかけてセカンドポケットくらいには抑えてください」
「わかったっ」
男衾さんとは対照的な明るい表情で、若葉先輩は赤と青の境界線くらい、つまり予定通りのセカンドポケットくらいの位置にボールを置いた。
よしっ、コースも位置もばっちり。先輩今日は制球が冴えている。
反対側のミックスゾーンを見ると、何やら深刻そうな顔で見合わせながら話をしている男衾さんとアドバイザーの人がいる。アドバイザーも同じユニフォームを着ているあたり、専任ではないのだろう。少し時間を取ってコミュニケーションを取るあたり、かなり劣勢を意識しているだろうか。
あまりスッキリしたとは言い難い表情のまま、相手はゆっくりとプレーイングゾーンに向かう。制限時間もあるから、ゆっくり話し合う時間もないんだ。
探るような投球は、少し精度を欠いたボールになった。コースも塞いでいないし、中心にも近くないどっちつかずのボールだ。
「しまっ……」
距離があるはずのミックスゾーンにまで、男衾さんの声は聞こえた。
よし……はまっている。若葉先輩のペースになっている。
エアカーリングはメンタルが大きく左右すると言われているスポーツだ。策士先輩曰くね。技術も勿論大事だけど、少しでも焦ってしまうと、それがもろに制球に出てしまうシビアなスポーツだと。
秋の都大会ベスト16の彼女がこの程度の劣勢で動揺するとは普通思えない。きっと。
東都が相手なのに。
そんな思いが焦りを加速させている。ましてや初戦だ。取りこぼしはしたくないはず。そんな意識が、より自らを泥沼へと連れて行くんだ。
二回に2点を追加し、これで3対0だ。
行ける。
僕と若葉先輩は共通認識として作戦がはまっていることを自覚した。
三回から九回も、それなりに作戦ははまり、男衾さんの得点を許したのはたったの三イニングだけ。最終十回の前で得点は7対4だ。
「先輩、最終回もやることは変わりません。徹底的にボールを弾き出します。それで勝ちは確定します」
「う、うん。そうだね」
「まだ決まってはいないです。落ち着いて、行きましょう」
「うんっ」
勢いよくミックスゾーンを飛び出し、ボールを持ってプレーイングゾーンに入る。
淀みない動きでボールを放つ。試合終盤でもフォームは乱れていない。練習通りだ。
きっちり軸となる中心に寄せ、プレッシャーをかける。負けている男衾さんは、三球はポケットに残さないといけない。後攻であることも踏まえると、最終投球の前にふたつはポケットインさせておかないといけない。
もう、守備的にプレーはできない。
唇をかみしめながら、ボールをサードポケットに散らした。
「弾きましょう」
もう、それで勝てる。
若葉先輩も無言でうなずき、投球準備に入る。
ブロッカーを投げて、そのまま直接ボールに当てた。もう、こういうふうにブロッカーを使えるのも大きい。
それを見て、一つため息をつく男衾さん。ボールを持たずに、審判のもとに歩み寄る。
「……ギブアップです」
その瞬間、ピッチが少しざわついた。視線を観戦スペースに向けると、男衾さんの試合を観戦していた人たちが、信じられない、というような顔をしていた。
握手を交わし、笑みを零しながら戻ってきた若葉先輩。
「やったねっ、ばっしー」
ハイタッチ、とまではいかないけど、胸の高さで手を合わせる。
観戦スペースに引き上げるときも、どこか注目されるような視線を僕と若葉先輩は集めていた。
自分の高校の場所に戻ると、先に試合に行っていた高坂先輩と策士先輩が既にいた。でも。
「あ、若葉先輩、お疲れ様です。勝ったみたいですね、初戦」
「…………」
高坂先輩に、元気がない。
僕が視線で高坂先輩を追いかけたからだろうか、策士先輩は苦笑いをしつつ、
「ああ……高水は負けました。初戦。強かったですね、相手が」
体育座りで、顔を膝の上に埋めたままの高坂先輩。かなり、落ち込んでいるようだ。
「ほら、高水。そろそろ切り替えないと。次の試合始まるよ?」
「…………」
「たーかーみ」
音沙汰なしの高坂先輩にしびれを切らしたのか、策士先輩は俯く高坂先輩の髪をワシャワシャし始める。
「わわっ……つ、鶴瀬君……?」
「いつまで落ち込んでんの。ほら、元気出す。じゃないと、ピッチ行かせないからな」
「ご、ごめん……」
前髪が少し乱れて、普段見えない高坂先輩の瞳が見えた。少し、潤んだきれいな宝石が、見えた。
「負けたことは仕方ないんだ。しっかり反省し終わったらもううじうじしない。いいな?」
「う、うん……」
一瞬で高坂先輩の表情に生気が戻る。
さすがだなあ、と見ていて思った。策士先輩じゃないと、きっとできなかったこと。僕にはできない。こういうケアは。
「よっし、それでいいよ。高水は多少無理して笑っているほうがいい」
「え……?」
策士先輩のその一言で、ポッと明かりが点いたように高坂先輩の顔が赤くなった。
「昔からそうだよ。高水は笑っているときが一番輝いてるんだから。試合中も笑ったほうがいい」
「あ、あぅ……」
あーあ。策士先輩。……完全にこれ、落としちゃったよ。
「ほら、笑って笑って」
頭を優しく撫でて、穏やかな目で高坂先輩を見つめる策士先輩。
それに対して、蒸気が出ているんじゃないかと思うほど顔が赤くなっている高坂先輩。
そんな二人を近くで眺める、僕と若葉先輩。
なんだ、この構図は。
「いいんだよ。ばっしーも私にこういうことしてくれて。いつでもウェルカムだから」
横目で眺めつつ、若葉先輩は少しニヤニヤしながら僕にそう言う。
なんか、余裕たっぷりなのが嫌だなあ。春の大会後とか、あんなに余裕なかったのに。
うーん。なら。
僕は一つアイデアを思いつき、先輩の耳元でこう囁いた。
「……よく頑張りました。菜摘先輩」
そして、先輩の肩にそっと手を置く。
「あ、ば、ばっしー?」
わかりやすく動揺しはじめている若葉先輩。
「これをやれって言ったのは、菜摘先輩ですからね」
「あっ、いや……そ、それはそうだけど、まさかこんな急に……」
「ほんと、な、つ、み、先輩はすぐ照れちゃうから。可愛いなー」
「ばっしー……わざと名前で呼んでるよね?」
「あ、バレました?」
「もう……」
何か俯きながら呟いている若葉先輩。小さすぎてよく聞き取れなかったけど。
「三番ポケット。予選九組、東都学園、高坂さん。千代田科学技術、赤城さん」
「ほら、高水。高水。コールかかったから行くよ」
「あ、う、うん」
……そりゃあ呆けますよね……高坂先輩。
まあ、策士先輩がそう言うなら、笑っていてください。高坂先輩に関して言う策士先輩の言葉は、絶対に信用できるので。
「さ、僕らもそろそろですから、気持ちの準備をしましょう」
「そうだね、あ、す、か」
「……僕としてはばっしーよりも名前呼びのほうが恥ずかしくないんで、歓迎しますけど……。狙いました? 若葉先輩」
「む、むぅ、ばっしーだけ余裕ぶってずるい」
あなたがあまりにも恥ずかしいあだ名作るからですよ……。
すこしふくれっ面をした若葉先輩と一緒に軽く体を動かしているうちに、二回戦のコールがかかった。「よしっ」といつものニコニコ顔に戻った先輩は、軽い足取りでピッチへと向かっていった。
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