第23話
その後、高坂先輩と策士先輩は救急車に乗って、近くの病院へ向かっていった。そして、僕と若葉先輩は救急車のサイレンを聞いて駆け付けた先生に連れられ、職員室の隣にある会議室に入った。
「……座って待ってて」
パイプ椅子と机が四角く囲まれるように並んでいて、僕らは適当な位置に並んで座る。先生は会議室を出てどこかに行った。
「……わかんないよ、ばっしー」
隣に座る先輩は、下を向きながら呟く。膝に置いた両手が、小さく震えている。
「どうして、あんなに魔法を使いこなせているのに、ばっしーは魔法が嫌いなの? 考えても考えても、全然わからない。ここずっと、それで頭がいっぱいで」
……考えてわかることじゃないんだよな。だって、言ってしまえば、私怨なんだから。
「今日の高水への対応だって。つるせっちがあんなに慌ててるのに、ばっしーは落ち着いて高水にしっかりとした対処をした。……一番年下の、ばっしーがだよ。あんな状況で落ち着いて魔法を使えるのに、魔法が嫌いって言われても、わからないよ」
会議室に走る、沈黙。時折軋むパイプ椅子の音が、耳障りにさえ思える。
「私……ばっしーが電車乗らなかった日から、怒って辞めちゃうんじゃないかってずっと不安で……だからわかりたくて……でも、やっぱりわからないよ……」
「わからなくて──」
僕が答えようとした瞬間、会議室のドアが開いた。校長先生、顧問の鉢形先生、そして最後に……
「っ」
この間の理事が入ってきた。三人は、僕らと向かいあうような位置に席を取り、座った。
「高坂さんが救急車で運ばれる事態になったことについて、説明してくれるかな?」
顧問の鉢形先生が重々しい表情とともにそう聞いてくる。
「え、えっと……通常通り練習を開始したら、高坂さんが急に倒れこんでしまいました。……高坂さんが飲んだ『白粉』入りのボトルの底に、溶け残った『白粉』があったことから、上板橋君は『白粉』の大量服用で高坂さんが倒れたと判断しました。そこで……えっと……」
そこまで言って言葉を濁し始めてしまう先輩。まあ、無理もない。学校の保健室を頼らなかった理由を言うのは憚られるだろうし。
「僕の判断で、緊急性を要するということで救急車を呼びました。学校を通じずに呼んだことは混乱を招く原因だったかもしれませんけど、なにせ高坂先輩の命がかかった状況だったので、そうさせていただきました。救急車を待つ間、僕が応急処置で取り込んでしまった『白粉』を吐き出させて、そして救急車が到着。……あとは先生がたが知っている通りです」
言葉に詰まった先輩の代わりに僕が最後まで説明した。
「どうして、一旦保健室を経由しなかったんだい?」
校長先生が険しい顔をしながら僕に質問する。
「……保健室までの距離、あと無理に移動をさせると危険かもしれない、っていうことでそうしました」
「なるほど、まあ、一理あるね」
「ご理解ありがとうございます」
「まあ、ここからが本題と言うべきかもしれない。では、どうして溶け残るほどの『白粉』があったのか、だけど」
「作った部員が容量を間違えたのではないのか? きっとそうだろう」
今まで黙っていた理事がここぞとばかりに口を開いてきた。
「故意にしろ事故にしろ、そのようなことが起きて活動を認めることなんてできないがな」
……やっぱり、狙いはそこか。クソ理事め。
「残念だが、次の理事会でエアカーリング部の活動について議論をさせてもらう。停部で済めばいいほうだと思ってくれたまえ」
本題、と言ったくせに理事がそう言うとだんまりになってしまった校長と顧問。
やはり、うちの部活はお荷物なのか。
ふと、隣に座る先輩を見る。
……震えていた。さっきよりも、わかりやすく。変わらず膝の上に置かれた両手はジャージを力いっぱいに掴んでいて、その両肩は小刻みに上下していた。
視線を上にずらし、目を見ると──先輩は、両目に涙を浮かべていた。
……たまるかよ。停部なんかにさせて。このまま理事の思い通りになんかさせて。
「さ、上板橋君。今、この場で退部届を出したら、君は自由に他の部活に再入部できる。君の魔法の実力なら、今から入っても結果を残せるだろう。さあ、出すんだ」
理事は机の上に退部届を出す。
表情がニヤついてんだよ。少しは隠せ。
「嫌です」
僕ははっきりとそう答えた。
すると、理事は露骨に顔をしかめ、舌打ちをした。
「なぜだ。どうしてこんな弱小部に固執する。君ならもっと東都で強い部に入って、全国で活躍できるだろう! 停部になってから部活を変えようと思っても、もう次の夏の大会には間に合わないんだぞ!」
「……僕は、あんたらのために部活やってんじゃないですよ」
「君、目上の人に対する言葉がなってないぞ」
「だったら少しは尊敬されるようなことやってみせろよ!」
僕は席をガタンと立ち上がり、机を叩きつけながらそう叫んだ。理事は顔を真っ赤にして怒り出す。
「このっ……貴様は特待生だろ! 少しは学校に貢献しようとは思わないのか!」
「僕の父親を殺した学校に貢献なんかしてたまるかよ!」
瞬間、会議室に僕の怒号が響いた。そして、少しの間、誰も何も口にしなくなる。
若葉先輩が、ポカンと口を開けたまま、僕の顔を見つめていた。
「魔法を見つけるまでは全然父さんに構わなかったくせに、発見した途端大きい顔し始めて、挙句の果てに製薬会社と手組んで父さんを追い込んだ! 『白粉』開発っていうでかいものを得るためだけに、あんたらは僕の父さんを殺した!」
「こ、殺した……? え、ば、ばっしーのお父さんってもう……亡くなっているの?」
「言いがかりだそんなの! 第一、もう家と学校、製薬会社とで和解は済んでいるだろうが!」
「納得しているわけねーだろ! だから、だから、僕はここの研究科には入りたくなかったんだ!」
そして、僕はジャージのポケットにしまっていたスマホから、一つの動画を再生した。
「それに! ……事故なんかじゃない。事件だ。……あんたがやったんだろう!」
理事に、二人の先生に見えるように僕はそれを見せる。……部室の隅から撮影していた映像だ。
その映像には、策士先輩が一瞬部室から出た間に、中に忍び込んでボトルに何かを入れている理事の姿があった。
「なっ……」
みるみるうちに顔が赤から青に変わる理事。
「いいよ、あんたらが邪魔をし続けるって言うなら、僕はこの学校を辞める! 部活じゃない、学校を! この部活の邪魔は、絶対に僕はさせない!」
「もう止めないか。上板橋君も、川越理事も。……しかし、今回の出来事が理事がやったことということになると、エアカーリング部に処分を下すことはできませんね……とりあえず。一旦この案件は理事会ではなく私が預かります。もう、二人は出ていいですよ。練習中だったのに、申し訳ない」
校長先生にそう言われ、僕と若葉先輩は会議室を出る。ペタペタと廊下を歩き、外の部室に向かっていると、
「……ばっしー、ありがとう……部活、守ってくれて」
か細い声で、若葉先輩がそう言った。
「……ありがとう……ばっしー。私、部長なのに……何も、してない……ね」
今にも折れてしまいそうな、そんな声。高坂先輩の一件と、今の理事の脅し、そもそも存続が危ぶまれるプレッシャー。
よく笑っていられるよ。それがキャラだとしても。
「いや……先輩はよくやってますよ。こんな状況で、部長なんかやっていたら普通潰れるかどこかで爆発します」
「で、でも……」
「いいんです。先輩がそうすることを選んだんです。先輩は、笑っていてくれるだけで、それでいいんです。先輩がニコニコしているだけで、僕らは安心できるんですから」
「……ばっしーは、私がキャラ作ってるの、何とも思ってないの?」
「だって、僕は『明るい』若葉先輩しか知りません。それがキャラだとしても、僕がとやかく言う筋合いはありません。……まあ、玉淀さんが心配するのもわかりますけど」
中学の同級生が高校に入ってから無理に「明るい」キャラを演じていると知ったら、そりゃ心配のひとつはするだろう。
「……先輩は、そのままでいいんです。仮にそれが間違った道だとしても、僕は、僕だけだとしても、先輩が選んだ道を尊重します」
「っ……ばっしー、本当に十五歳? 全然大人過ぎて……凄いなぁ……」
「大人にならざるを得ない環境でしたから」
僕のその一言を聞いて、若葉先輩も察したようだ。
「……ねえ、さっき、理事の人に言っていたことって」
「……ええ、僕の父親はもう死んでいます。僕の父さん──坂戸浩二は、魔法を発見した第一人者で、『白粉』を開発者でした」
下駄箱で外靴に履き替え、外へと出る。雲が切れかけた空の下、並んで部室へ向かう。
「父さんは、本当に良い意味で子供で、一つのことに夢中になると止まらない人で。しばしば僕も魔法の研究に付き合わされました。だから、人より魔法に触れてきた時間が長いんです。それで今、こんな実力になっている」
「そうなんだ……」
「僕の休日潰れることもままありました。まあ、今思えばいい思い出なんですけどね。それで、父さんは魔法を発見し、それを証明した。先輩の知る通り、大フィーバーです。一気に父さんは有名科学者になりました。……それで終われば、僕がこんな捻くれることはなかったと思うんですけど」
「……終わらなかったんだね」
足元に転がる小石を蹴りつつ、若葉先輩は僕の顔を向く。沈みかけた太陽の光がバックになり、先輩の顔が一瞬眩しくて見えなくなる。
だから、だろうか。視界にまた黒髪ショートの先輩の顔が映ったとき、いつもと違うように見えた。
あ、れ……? 先輩って、こんな顔していたっけ……? いつもの、よく言えば天真爛漫、悪く言えば何も考えていないような明るい表情でもなく、かといって先輩の本性(?)の物静か、暗い、そういう表情でもない。
オレンジに染められた光に照らされる先輩は、なんというか、その。
温かく見守るような、優しい表情をしていたんだ。
目じりを細めて、少し緩んだ口元はわずかに開いていて。両手を後ろで組んで一歩一歩ゆっくりと歩くその姿さえも。
温もりを汲み取れる。
「ぁ、は、はい……」
その顔に見惚れた僕は、つい声が裏返ってしまう。
「魔法を証明した父さんが次にやらされたのは、その魔法を一般に使えるようにすることでした。証明するのも難しいものを、誰でも使えるようにするなんてこと、簡単にできるはずはありませんでした。でも」
僕はまた前を向いて言葉を繋げる。
「うんざりするほど、大人の都合って奴でした。金を儲けたい製薬会社の無謀な納期と、これを機に取引を継続させたかった東都学園の思惑に振り回された父さんは、『白粉』を作り上げたのと引き換えに、自分の命を落としました。……過労、だったそうです」
だったそうです、としか言えないのがほんと笑える。
「ここまで言えばもうわかりますよね? 完全に私怨なんです。僕が魔法を嫌う理由。いつまで駄々こねてんだって話だと思います。……でも、どうしても受け入れられないんです。父さんを殺した魔法が」
地面を踏みしめる音だけが、僕と先輩の間に流れる。
「僕の今の名字が上板橋なのは、坂戸のままだと色々うるさいから。母親の旧姓を名乗っているだけで、僕が坂戸浩二の息子、と気づく人は少なくなりますから。……詮索されるのも、嫌なんで」
「そっか……そうだったんだね……」
そして、僕と先輩は部室にたどり着いた。中に入って、設置しているベンチに腰を落とす。
「……ごめんね、軽々しくどうして魔法嫌いなのって聞いて」
「いえ……あのときは僕もやり過ぎました。まあ、ピリピリしていたのかもしれませんね」
「私、何もないんだ……。何もない。前も言ったね。運動もできるわけじゃないし、勉強が好きなわけでもない。何か人より得意なこともないし、部活でやっているエアカーリングさえ、平凡。でも、それでも、私は魔法が大好きで。初めて出会ったときから、こんなに人をワクワク、楽しく、惹きつけるものがあるんだって思った。……何もなかった私に、夢中になれることを与えてくれたんだ、魔法は」
自分の膝に視線を送りながら、自分のことを語り始める若葉先輩。
「まあ、結局そのエアカーリングも平凡だったんだけど。でも、それが楽しいのは間違いなくて」
そうなんだろうなぁ、と見ててとれる。あれだけ楽しそうに普段プレーをしていたら、誰だって好きなんだなって思うよ。
「……魔法が、ばっしーのお父さんの……犠牲で成り立っているのはわかった。でも、やっぱり私は魔法が大好きだし、この力で人を笑顔にさせたい。言ったよね? 前にも。魔法は何かを傷つけるためには使ってはいけないと思うって。誰かを笑顔に、幸せにするためだけに使うべきだって。もとの成り立ちが……一人の犠牲なら、尚更だよ。だったら、少しでも魔法で……魔法で幸せにすることが、お父さんへの感謝になると思うから! だから……」
話しながら、だんだんと先輩は僕の顔を見つめてきた。何かを訴える、その真剣なまなざしは、痛いくらいに僕に刺さった。
「だから……ばっしーは、魔法を嫌いにならないで……」
「……え?」
「だって、ばっしーも最初は魔法好きだったんでしょ? じゃなかったらあんなに魔法は上手くならないし、楽しそうに、魔法を研究していたお父さんのこと話さないよ」
何も言うことができなかった。
図星、だったから。
「もし、魔法を好きになるのが難しいなら、私も協力するからっ。だから……」
「……僕は辞めませんって。ったく……何回言えばわかってもらえるんですか」
僕は小さく笑いながら、先輩にそう言った。
「先輩を、国立に連れて行くって、努力するって、言ったじゃないですか」
「……うん」
「約束は守りますよ、僕」
「……うん」
「だから泣かないでください」
「なっ、泣いてないもん、ばっしーの意地悪」
「じゃあ、泣いてないならもう少し声潤まないようにしてください」
「っ……ぅぅ……」
結局、先輩が落ち着くまでそれなりに時間がかかった。いつもの帰宅時間を少し過ぎてからようやく先輩が落ち着いた。
「あ、耀太さんから連絡来てます。高坂先輩、大丈夫そうだそうです」
「ほんと? 良かった……これで大会はなんとかなりそうだね」
「はい、そうですね」
駅に向かう帰り道、晴れた夜空が、僕らの上に優しく広がっていたんだ。
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